暴行、強姦、そして殺人…日本でも連日報道されるパキスタンの女性暴行事件。「問題が大きすぎてなんとなく実感がわかない」と考える日本女性は多いでしょう。しかしそこには、過酷な現実と日々戦い続ける女性たちの姿があります。 今回インタビューしたのは、パキスタンで女性の自由と権利を求めて活動する、女性活動家のルクシャンダ・ナズさん。生まれてからずっと差別と命の危険にさらされながら、自分たちの力で少しずつ現状を変えてきた彼女の言葉から、つらい現状を打破していくためのヒントを探ってきました。
タテマエだけの女性保護法案
――ルクシャンダさんが最初に「パキスタンでの女性差別」を意識したのは、何歳くらいのときですか? 何かきっかけはありましたか?
ルクシャンダ・ナズさん(以下、ルクシャンダ):最初のきっかけは、私が子どものころ道で遊んだことで、お父さんがとても怒ったことです。兄弟たちは怒られないのに、すごくがっかりしました。 そして2つ目は、93年か92年、弁護士として働きだしたときに、シャリーア法(イスラム法)違反で刑務所に入れられている女性たちを目にしたときのことです。その法律では、強姦、婚姻外の性交渉は“ジナー(姦通)罪”として刑罰の対象となっており、彼女たちは強姦された被害者だったにも関わらず、牢に入れられていました。2006年のジナー法改正以降もその内容は変わっておらず、2012年時点で収容されているジナー罪による女性受刑者の数は1100人にのぼります。
パキスタン政府は、対外的なアピールをするために人権に配慮した法律を作りはしますが、国内ではきちんと実施されていません。せっかく女性を保護する法律ができても、女性は司法にアクセスできず、結局、従来通りの女性差別的な文化的・伝統的慣習によって裁かれているのです。司法の現場で女性がいかに従属的に扱われ、力を持たないかを痛感しました。そのことが、公の活動をしようという動機になっています。それをなんとかしたいと思い、私は女性活動家になり、女性団体で活動するようになったのです。
女性運動のほとんどは一時しのぎにすぎない
――現在のパキスタンの女性運動には、どういった活動が多いのでしょうか?
ルクシャンダ:パキスタンでは、フェミニスト(女性解放)運動はそれほど大きくありません。多くのNPO団体が出現し、たくさんの国連のプロジェクトがありますが、それは「女性の地位向上を目指す政治的な運動」ではなく、Women Development(女性開発)プロジェクトです。学校運営などのコミュニティ活動や、女性の技術支援、生活水準改善に関する活動など、プロジェクトベースの活動に限られるのです。こうした女性開発プログラムが70%、本当のフェミニストグループは10%以下でしょう。 フェミニストに対しては多くの権力者から批判があるため、女性開発プロジェクトは女性や社会グループに「政治的な運動には関わらないように」強制します。
弁護士としての個人的な活動から、複数の女性団体と連携した活動へ
――ルクシャンダさんは、パキスタンにおいてどのような活動を中心にされていますか?
ルクシャンダ:パキスタンでは人権に関してさまざまな課題がありますが、私が最も問題視しているのが、「男性から女性への暴力」です。そのため、家庭内暴力を受けている女性のために弁護士を派遣したりしています。 政策や法整備という点では、たくさんの法令の見直しを行ないました。パキスタンでは数多くの女性差別的な法律があり、女性の人生に影響を及ぼしています。たとえば、証人の価値は、女性二人で男性一人分。また、女性には家庭において遺産相続権がありません。他のメンバーの助けも借りながら、法令の見直しを行ない、改正しようとしています。他には、強制婚、早期婚、家庭内暴力、ジナー(姦通)罪から逃れるため、家から逃げた女性を保護するセンターの委託もしています。
――そういった活動は、どのように広げていったのですか?
ルクシャンダ:最初は個人で弁護士として活動を始めました。あるとき、上司が、「あなたにはサポートが必要だから、団体に参加したほうがよいのでは」と提案してくれて、それで、女性の解放とエンパワーメントに力を入れた最初の団体のひとつ、オーラット財団に参加しました。それが私のパキスタンでの土台となっています。国内の別の地域にもオフィスがあって、他の団体とも連携するようになりました。
身を守るために、12年間毎日オフィスへのルートを変える
――パキスタンの女性活動家にとって、最大の課題はなんですか?
ルクシャンダ:タリバンに代表される、イスラム過激主義です。反対者に対して過激主義者を送りこんだりするので、それが活動家にとってひとつの大きな試練になっています。
――危険な状況の中で、ルクシャンダさんはどのように身を守っているのですか?
ルクシャンダ:自分自身も何度も脅迫を受けたりしたので、ときにグループのサポートを受けたり、目立たないようにしたり、セキュリティに力をいれたりしています。パキスタンでは、誰かに会うには入口でセキュリティのチェックを受けないといけません。また、身内でも同じオフィスの者でも、旅行の計画は伝えません。2000年には、同僚の一人の女性が、私を殺害したいと言っているグループと通じていたことがありました。それから約12年、私は毎日オフィスへのルートを変えています。そして決まった時間に決まった場所に行くことはありません。
――危険な目にあってしまう状況で、海外へ逃げたいと思ったことはありませんか?
ルクシャンダ:ありません。ムスリムには、信仰があります。我々は自分が死ぬ日は決まっていると信じています。
「女性を縛る」規律の多くはイスラム教ではなくアラブ文化
――女性が肌を出したり仕事をすることを非道徳的だなどという、女性の自由を縛るイスラムの文化については、賛成ですか?
ルクシャンダ:実際、我々はしばしば宗教の話をします。そして疑問を呈します。イスラム法にドレスコードがあるのは事実です。そしてそれに従います。でも、多くのケースで、イスラム教はアラブからやってきたものであることに気が付くのです。アラブから別の世界に翻訳されて伝わっているのです。 コーランには多くの翻訳、解釈がありますが、アラブ文化をそれとわからない形で我々に課しています。イスラム文化とアラブ文化は異なるものです。多くのことはイスラムでは許されているのに、アラブ文化では許されていません。アラブ人は言語的にコーランに対して優勢的な位置にいます。だから彼らは宗教という名のもとに、彼らの文化を私たちに課そうとするのです。
――「イスラム世界」で女性運動をする上では、イスラム教との付き合い方が重要ですよね?
ルクシャンダ:もしあなたがパキスタン、あるいはほかのイスラム社会で生きていくならば、宗教、つまりイスラム教と向き合わざるを得ません。最初は、女性活動家の間でも、宗教に関与すべきでないという考えがありました。しかし現在は、宗教団体とかかわりを持つグループがたくさんあります。彼らと対話し、宗教のフレームワークの中で、女性の権利を獲得する道を模索しています。他に選択肢がないからです。
【後編につづく】”恵まれている”だけでは不十分 女性差別の国の活動家が語る、いま日本女性がやるべきこと
●ルクシャンダ・ナズ
1966年、パキスタンでも伝統的な部族社会が強いハイバル・パフトゥンハー州に生まれる。ペシャーワル大学の法学院を卒業し、弁護士実務の傍ら女性の権利に取り組み始める。1993年から、現地NGOで女性のためのプロジェクト責任者として活躍した。同時に、名誉殺人を禁止する法を実現する運動にも積極的に参加。2010年9月からUN Women(国連女性機関)パキスタン委員会で女性のためのプロジェクトを推進。 現在、イギリスのコベントリー大学で国際法を勉強中