昨年9月、第25回目となる世界最大規模のフォトジャーナリズムの祭典「ビザ・プール・リマージュ」がフランスで開催された。約3,000人の写真家や編集者が集まるなか、多くの人の心を揺さぶったのが「キルギスの誘拐結婚」。泣き叫ぶ女性を無理矢理誘拐し、男性の家に連れて行く。さらに、近所の老人たちが女性を説得しに訪れる……現代社会では考えられないような、衝撃的な慣習の一部始終を捉えた写真である。
この写真は、同祭典において報道写真企画部門の最高賞「ビザ・ドール(金賞)」を受賞した。この日本人初となる快挙を成し遂げたのが、東京在住のフリーランスフォトジャーナリスト・林典子さん、当時29歳。「顔に硫酸をかけられたパキスタンの少女」や「リベリアの内戦後に生きる子供」など、世界に潜む不条理な事態に直面している人々の姿を追い続けている林さん。世界を舞台に活躍している彼女の仕事観、等身大の姿に迫った。
アメリカ留学時代にガンビアの新聞社で働き始めた
――フォトジャーナリストを目指すことになったきっかけを教えて下さい。
林典子さん(以下、林):学生時代は国際政治や紛争学を学んでいたこともあって、将来はNGOなどに就職して、現場で支援活動を行いたいと思っていました。私はアメリカの大学に留学していたのですが、専攻していた授業の研修で、大学3年生のときにガンビアというアフリカの小さな国を訪れる機会がありました。期間は約2週間だったのですが、せっかくアフリカまで来たので、もう少し将来につながる実践的な活動がしたいと思い、私は残って小学校でボランティアをすることに決めました。
ボランティアだけでは時間が余ってしまうので、ほかにもガンビアという国を知るために何かできないものか、と考えた時に新聞社で働けないかなと思い、飛び込みで「何か仕事ありませんか?」と訪ねていきました。それから、編集長に会わせてもらって、色々頼み込み少しずつ仕事を任せてもらえるようになりました。
――当時、その新聞社には林さんの他にも日本人は働いていたのでしょうか?
林:いいえ、私だけですね。西アフリカのなかで、シエラレオネ人やナイジェリア人はいましたが、ヨーロッパやアジアから来て働いている人はいませんでしたね。
――新聞社ではどういった仕事をされていたのでしょうか?
林:パソコンに打ち込む仕事を手伝ったり、カメラを持っていたので、インタビューの対象者やサッカーなどスポーツの写真を撮ったりというように、記者と行動をともにしていました。
大学卒業後、就職活動はせず、フォトジャーナリストに
――その経験が今の仕事につながっているのでしょうか?
林:そうですね。その時の記者との出会いが大きかったと思います。当時、ガンビアは独裁政権で報道の規制がかなり厳しい状況でした。そんななか、お給料もままならず、伝えたいニュースも十分に書けない記者たちに、なぜこの仕事を続けているのか尋ねたことがありました。返ってきたのは、「私はジャーナリストである以外に他の仕事をしている自分が想像できない」「やりがいがあるから続けている」という答えでした。そんな記者たちが身近にいるなかで、仕事にそれだけやりがいをもって打ち込めるって、羨ましいなと思いましたね。
――それから、ご自身もジャーナリストを目指されるようになったのでしょうか?
林:当時アメリカの大学に通っていたのですが、就職を考えた時にどうしてもやりたい仕事があるかというと、とくに思い浮かばなかったんです。どこかの会社に就職したいというのもありませんでした。ただ、ガンビアの記者が話していたように、誰も知らない国で起きていることを伝えるような活動がしたいという思いは増すばかりでした。そのため、就職活動は全くせずに、大学卒業直後にまずはアルバイトなどをしてお金を貯め、4年前からフリーのフォトジャーナリストとして活動を始めました。
「理解したい」「知りたい」と強く感じるテーマを追いかけている
――「顔に硫酸をかけられたパキスタンの少女」や「キルギスの誘拐結婚」など、社会派の写真を多く発表されています。女性の人権問題にも迫っているものも多いかと思うのですが、テーマはどのように設定されているのでしょうか?
林:「なぜこんなことが起きてしまうんだろう」と、理不尽さを痛感する問題に直面することがあります。「キルギスの誘拐結婚」にしても、自分が当事者の女性だったらどうしただろう、と考え込んでしまいました。女性の人権に関わるテーマが多いのも、自分が女性だからということもあって、気持ちを揺さぶられるのかもしれません。個人的に「理解したい」「知りたい」と強く感じるテーマを追いかけていることが多いです。
――文化や価値観、人種の違いなどから取材の難しさを感じることはありますか?
林:私は長期間にわたって取材対象者と生活をともにしながら撮影をするのですが、過酷な状況下に置かれながらも、自分の生き方を確立していこうという強さを持っている女性たちが多かったように思います。
ただ、彼女たちが生活のなかで、ふと悲しみや切なさを感じた時に、外国人であり、彼女たちの暮らす社会の中に存在する「こうあらなければならない」という価値感を持っていなかった私だからこそ、意外と本音や愚痴などをこぼしやすい存在だったのかなとも感じることがあります。
仕事を通して「女性だから」という偏見を感じることも
――日本では社会で活躍する女性も増えています。一方、公の場で女性蔑視ともとれるような発言が取り沙汰されたことも記憶に新しいです。
林:日本の場合は、「女性なのに」「女性だから」というように、性別を踏まえて判断することが多いように思います。私はフォトジャーナリストという仕事柄、批判的な意見をもらうこともあるのですが、自分が女性だから言われるのかな、と感じることもあります。
とくに、同性を対象にした写真の場合、「同じ女性なのに被写体となる相手の不幸を踏み台にしている」という風にも言われます。海外で作品を発表する時には、そのように言われることはほとんどありません。日本で普通に生活している時には、女性だからといって偏見を持たれていると感じることはないのですが、仕事を通しては感じることがよくあります。
――今後の仕事やプライベートなどでの目標について教えて下さい。
林:今までは仕事だけに集中していましたが、最近になってようやくプライベートも充実させていこうという気になっていきました。これまでずっと仕事が優先で来て、いまもそれは変わらないのですが、自分の生き方とか楽しみとかをちゃんと見つけていきたいなと。この年になって、ふと自分に何があるか考えた時に、つまらない人だなと思ったんですね。
昔はダンスが好きだったり、映画を観たりとか色々趣味があったんですけど、近頃は写真のことばかりでどんどん世界が狭くなってきている気がして。仕事の時間が惜しくて、髪の毛もついこの間まで自分で切っていました(笑)。それじゃダメだなと思って、最近は学生の頃の友達と会ったり、買い物に出掛けてみたり、山登りをしたりいろいろなことに挑戦をしています。

結婚4か月目にして、夫のバヒール(当時45歳)から日常的な暴力を受けていたセイダ・コーセル(当時20歳)。実家に避難していた矢先に、突然訪れた夫から酸をかけられた。酸による火傷で、顔から首にかけての皮膚は溶け落ちた。女性を家に縛り付けることが目的ともいわれるアシッド・アタック(酸攻撃)は、おもにイスラム教圏の国で多発している

突然誘拐された大学生・ファリーダ(当時20歳)。誘拐した男・タイシュンベックの家に連れてこられているところを捉えた1枚。タイシュンベックの身内の女性たちがファリーダを待ち構え、説得のため家の中へ無理やり連れて行く。キルギスでは誘拐した男の身内にあたる女性たちが、誘拐された女の子に対し結婚するよう熱心に説得するという
●林典子
フォトジャーナリスト。1983年生まれ。大学在学中にガンビア共和国新聞社「The Point」で写真を撮り始める。「ニュースにならない人々の物語」を国内外で取材。2011年に名取洋之助写真賞、12年DAYS国際フォトジャーナリズム大賞、13年仏世界報道写真祭「ビザ・プール・リマーシュ」金賞、14年全米報道写真家協会現代社会問題部門1位などを受賞。著書『フォト・ドキュメンタリー 人間の尊厳――いま、この世界の片隅で (岩波新書)』(岩波新書)、『キルギスの誘拐結婚
』(日経ナショナル ジオグラフィック社)。