ディズニー映画『マレフィセント』(2014年7月5日公開)のプロモーションで来日したアンジェリーナ・ジョリー。アンジーは女優業のほかに監督作を発表したり、また慈善活動にも尽力したりと幅広い活動をしているスター女優です。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使を務め、最近、英国エリザベス女王から「デイム」の称号を与えられるという栄誉も。貧しい国の人々を救ったり、その地の孤児を養子として迎え入れたりと、いまやハリウッドのマザー・テレサのようなアンジー。しかし、女優として注目を浴び始めた頃は、結婚離婚を繰り返し、イケイケでエキセントリックな女として有名だったのです。なぜ? アンジェリーナ・ジョリーはこれほど変わったのでしょうか?
うつ病に苦しんだ思春期、奇行が目立った若きアンジー
アンジーの人生は波乱万丈です。父は名優ジョン・ヴォイドですが、生後まもなく離婚したので母親の元で育ちました。10~20代にかけては、学校でのいじめやコンプレックスなどのせいで、他人に心を開かなくなり、うつ病と自傷行為を繰り返すようになったそうです。
14歳でモデルデビューをし、16歳で演劇を志すようになった彼女は1999年に『十七歳のカルテ』でアカデミー賞助演女優賞を受賞。しかし、栄光を手に入れてからも奇行は目立ちます。ジョニー・リー・ミラーと結婚離婚、バイセクシャルなコメント、ビリー・ボブ・ソーントンとの結婚、とスキャンダルの宝庫でした。ビリーとは公の場で過剰なほどイチャイチャしたり、お互いの血の入ったペンダントを持ち歩いたりと肉食系の激しいカップルとして話題に。この頃のアンジーには人道活動の片鱗もありません。
カンボジアで愛を求めることから愛を与えることに目覚める
アンジーは2001年頃より慈善活動を開始しますが、主演作『トゥームレイダー』の撮影でカンボジアに行ったことがあり、それがきっかけではないかと思われます。難民の報告書を読んだり、現地を見たりしたアンジーは、2002年カンボジアの孤児院からマドックスを養子にし、父親になることを望まないビリー・ボブと離婚。アンジーの愛情を注ぐ先はマドックスに絞られたのです。
その後も孤児の養子2人、パートナーのブラット・ピットとの間の3人の子供をもうけ、6人の子供の母になったアンジー。彼女は『マレフィセント』の来日会見で「私はマドックスを養子に迎えて母になってから変わった。子供は私に幸福をもたらしてくれました」と語っています。
若い頃はひたすら愛を求めていたアンジー。すぐ結婚したのも、常に夫とイチャイチャしていたのも、女性に愛を求めたのも、彼女が愛に飢え、なおかつ自分の愛情を持て余していたからかもしれません。しかし、母になって「自分が求めていたのはコレだ!」と実感したのでしょう。
傷つき、人生に迷ったからこそ見つかった自分の道
とにかくアンジーは母性の塊のような人なのです。その愛情は家族に限らずワールドワイドに広がっています。難民救済の活動もそうだし、女性の権利の向上や女性に対する性暴力問題にもかかわっています。
『マレフィセント』の会見では「女性は生まれつき可能性を秘めているのに、虐待、迫害など傷つけられると、自身がなりたい人になれるという夢や目標を手放し、落ち込んでしまいます。そんな人をみんなで団結して愛して励ましてサポートすることが大事です」とも語っていました。映画『マレフィセント』は社会派映画ではありませんが、愛する国と人々をかたくなに守ろうとするマレフィセントは、アンジーに似ているかもしれません。
少女時代に心を傷つけられたり、20代で愛情に飢えて暴走したり、若い頃に迷いに迷っていたアンジーがたどり着いたのが、母としての生きることと、女優業をしながら人道的な活動をすることなのでしょう。「愛を与える」という自分の居場所を見つけたからこそ、アンジーは変わった。落ち着いて自分を信じる道を歩めるようになったのかもしれません。
●『マレフィセント』7月5日(土)全国公開