ショルダーマンガ家・ヤマダカナンさんインタビュー

「母になるのがおそろしい」母を嫌いな私が、母になるまで

「母になるのがおそろしい」母を嫌いな私が、母になるまで

男性依存症の母と暮らし、ネグレクトや義父による性的虐待を受けた幼少期。そんな過去を持ちつつも、みずからが子どもを産み母親になるまでをノンフィクションコミック『母になるのがおそろしい』(KADOKAWA)に描き、話題となった漫画家のヤマダカナンさん。

現在二児の母親として、そして漫画家として日々活躍されているヤマダカナンさんが、子どもを持つことに希望を持てない女性に伝えたいメッセージとは。

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母親になることに希望が持てなかった

――ヤマダさんはどのような幼少期を過ごされたのですか?

ヤマダカナンさん(以下、ヤマダ):私の母は男性依存症で、幼い頃から常に見知らぬ男性が家にいる状態でした。彼らは酒やたばこ、ギャンブルは当たり前。時には母親が暴力を受けている場面を間近で見ることもありました。

そんな状況で育ってきたので、物心ついた頃には「結婚なんかしたくない」「母のようには絶対になりたくない」という思いがありました。

――それはかなり大変でしたね……。

ヤマダ:ですから、30代になって周囲から「子ども、産まないの?」と聞かれることが増えても、正直母親になりたいという気持ちにはなれなかったんですね。

「普通」の母親のロールモデルがいなかったので、自分が子どもを育てるというイメージがどうしても湧かなかったんです。また、親に愛された記憶がなく、自己肯定感が低い私に果たして子どもが愛せるのかという不安も拭えず、母親になることにまったく希望が持てずにいました。

――そんな中で、出産を決意されたのはなぜ?

ヤマダ:ある日、夫に「そろそろ子どもが欲しくない?」と言われたんです。その話をされた時は、とても悩みました。でも、夫は私とは正反対の性格で、自己肯定感も高い。そして、家事も平等に分担してくれていました。心理的にも物理的にもこの人とだったら子どもを育てられるかもしれない――そう感じて出産を決めたんです。

子どもが可愛いと思えない日々から抜け出すまで

――実際に子育てを始めてみるといかがでしたか?

ヤマダ:実は、子どもができてすぐの頃は、「子どもが可愛い」という気持ちがどのようなものかわかりませんでした。1ヵ月健診の時に、病院から渡されたアンケートに「子どもを愛しいと感じますか?」「守りたいと思いますか?」という質問があったのですが、「はい」という欄に丸をつけることができなかったことを覚えています。

ただ、子どもが可愛いとは思えなくても、「自分の母のようになってはダメだ」という気持ちは強かったため、子育てに関する情報は熱心に集めていました。すでに子どもを産んでいる友人に話を聞いたり、ネットや書籍を参考にしたりして、日々試行錯誤で育児に取り組んでいました。

――そんな状況に転機はありましたか?

ヤマダ:ネットや書籍を見て子育ての勉強をしていたのですが、そこは「理想の母親像」であふれていて。「よい母親にならなくてはいけない」という思いが人よりも強かった私は、巷の母親像にがんじがらめになって、精神的に追い詰められてしまったんですね。

もう自分ではどうしようもできないというストレスフルな状態になった時、初めて手を抜いたり、誰かに頼ったりすることができるようになりました。それからは、ファミリーサポートなどの公的なサービスなどを利用して、子育て情報も自分にできそうなことだけを取捨選択するようにしたんです。

――気持ちに余裕はできましたか?

ヤマダ:はい。そうやって「もう少し気楽にいこう」と肩の力を抜いた時期に、子どもの睡眠時間も長くなってきて余裕ができたのか、ある日、ふと子どものことが「可愛い」と思える瞬間が来たんです。

「いつでも完璧な母親でいなくては」という思いが、自分を追い詰めることになると気づいてからは、夫と協力して自分たちなりの子育てのかたちを模索しています。

性的虐待について語ること

――『母になるのがおそろしい』には、義父からの性的虐待についても描かれていますね。

ヤマダ:私が母親になることに希望を持てなかったもう一つの大きな理由として、義父からの性的虐待の経験があります。今でも男性への恐怖や不信感が拭えず、いまだに立ち直ったとは言えないのですが、同じような状況で声をあげられない方は、この世の中にまだまだいるのではないかと思っています。

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ヤマダ:正直、この経験を他者に伝えることには抵抗がありました。みんなが自分を見る目が変わってしまうのではないかという恐怖があったからです。ですから、この経験を漫画にして世に出すかどうかについても、とても悩みました。特に性的暴力の経験を被害者が語ると、必ずいろいろな批判があがりますし。

――それでも描かれたのですね。

ヤマダ:はい。私のように創作をしている人間が事実を世に出したことによって、少しでもこういった問題が社会にあることを認識してもらえたらという気持ちが次第に強くなっていったんですね。また、私が体験を語ることで救われる人がいたらいいなとも思っています。

自分自身も、もっと早くに人に相談できていたら、心の傷がもう少し浅くて済んだかもしれないという後悔があって。だからこそ、性的虐待の体験を描くことで、人に相談しやすい雰囲気を社会につくっていきたいと考えています。

母を許す代わりに、自分の気持ちを言葉にする

――そんな幼少期の経験にどのように向き合っていこうと考えていますか。

ヤマダ:自分が母親になる前、一度母と話をする機会をつくったことがありました。その時、母も複雑な家庭に育ち、苦労していたことを知りました。

ただ、母の生い立ちや苦労を知ったからといって、母のしたことを理解したり、許したりすることとは別というか……やはり複雑な気持ちがあります。

――お母様も……。

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ヤマダ:ですから、母を理解したり、許そうとしたりする代わりに、「何がつらかったのか」「本当はどうしてほしかったのか」という自分の気持ちを言語化することで、過去と向き合おう、と。そうすることで、自分の中の毒を出してしまいたいという気持ちがあるのかもしれないですね。

もちろん、言語化しようとすると昔の記憶がよみがえって、精神的に不安定になってしまうこともあります。でもその苦しさを乗り越えて言葉にすると、そのたびにつらさが和らぎ、自分自身が変わっていく実感があるんです。

――言語化することで、何がつらかったのかを自覚し、少しずつ前に進んでいけるということですね。

ヤマダ:そうだと思います。また、言語化することで気づいた「自分がしてもらいたかったこと」はなるべく息子にもしてあげたい。例えば、私が小さい頃は、何かに対して泣いたり、怒ったりしていても、親に怒られるか、放っておかれるかのどちらかでした。でも今は自分の息子が泣いたり、怒ったりしていれば抱きしめて、どうしたかったのかをじっくり聞いてみます。

小さい頃に私が母にしてもらいたかったことを息子にしてあげる。そうすることによって、私は子育てをしながら、幼少期の自分を癒しているのかもしれません。実際に、そうすることで息子は私のような子にはならない、と未来に希望が持てるようになりました。

――そうなんですね。

ヤマダ:ただ、私は今の夫が相手でなければ子どもを育てようという決意はしなかったと思います。だから、誰もが「母親になる」ことを選ぶ必要はないと感じているんです。子どもがいても楽しいし、いなくても人生は楽しいはず。だから、世の中の女性に「子どもを産んだ方がいいよ」とは言いたくありません。

子どもを産むことに悩んだからこそ、「どちらを選んでもいいよ」と言いたいです。

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