わたしの三大悪癖
引っ越しが好きだ。
これはわたしの三大悪癖の一つだと思っていて、ちなみに残りの一つ目は毎日コンビニでフライドポテトか(からあげクンやファミチキなどの)フライドチキンを買って食べていること、もう一つは気に入ったもの(例えばスニーカーの中に履くシリコンのついた靴下とか)をいっぺんにたくさん買ってしまうことである。
三つともお金がかかるが、引っ越しはファミチキとは比べものにならない大出費だし、そもそも大変に労力が要る。引っ越しの荷造り・荷解きももちろんのこと、転居先の手続きのあれこれがとてもたいへんだ。
漫画家という職業と引っ越しの関係性
この数年、漫画連載を複数個かけもつ生活をしながら5年で5回の引っ越しをした。
わたしとしては気が向いたことをそのまま実行に移した結果なのですが、人に言うと驚かれる。習っている英会話の先生に自己紹介をさせられた際「わたしの特筆すべき点」といういまだかつて考えたことのない難題を与かり、頭を悩ませた挙句にこの事実を伝えたら「ベリーナイスアンサー」と褒められた。
普通の人は年に一度とか、引っ越しをしない。
なかには引っ越しを毛嫌いする人も少なくない。彼らの言い分として「生活環境を変えることがストレス」というのがある。なるほどなるほど。
わたしの仕事は言うまでもなく漫画を描くことで、常々羨ましく思っているが小説家さんのように旅先で執筆ということができない。
最近ではデジタル漫画を描く人が増えて、ちっさな液晶とペンだけで原稿を完成させる人もいるらしいが、わたしはいま現在まったくのアナログ環境で漫画を描いており、唯一のデジタル仕事がこのエッセイの執筆。手元のiPhoneでこちょこちょやっているので家人には遊んでいると思われているのが悔しいが、これが唯一場所を選ばずできる仕事だ。
他の漫画家からよくネーム入れの作業を外でやる話を聞くけど、わたしとしては外でやって人に漫画を描いてることがバレるのがイヤだ。なので話を考えたりノートを広げたりはするけども、家以外で本格的な仕事はできない。
それにもっとも重要なことに、漫画にはアシスタントさんの助けが絶対に必要なのだ。アシスタントさんがいないとこの仕事はわたしにはできない。仕事量的にも、精神的にも、だ。友達の少ないわたしにとって、恋バナでも愚痴でも、まだ完成度に自信がないモノマネでも、にこやかに聞いてくれる(それも仕事内容に含まれています)アシスタントさんは清涼剤でもある。もしアシスタントさんが引っ越すなら真面目な話、わたしがついて行きたいくらいだ。
そういう仕事なので生活環境と職場環境がまったく同じになってしまう。変わらなさすぎることこそがストレス。
わたしにとって引っ越しはそういう日々の鬱憤を急速的、破壊的に発散させてくれる一大イベントなのです。
賃貸物件を選ぶポイント
だからなのか、普通の人が好んで住むような閑静な住宅街、が苦手だ。変化がなさすぎる。
住居を選ぶ基準が、会社勤めの人とまったく違うことに最近になって気づいた。が、会社勤めの人は昼間の活気に疲れているらしい。だから住むところには、長時間電車に揺られることになったとしても落ち着いた静かな場所を選びたいんだな、と思った。外出の機会が極端に少ないわたしとしては、普段いる場所は少しでも活気のあるところが好ましかったりする。
場所としてはそういう好みがあるのだけど、それもまた住む部屋自体に惹かれて二の次になることもある。
わたしは実家を出てから計12回の賃貸契約を交わしてきたので、自分の借りられる賃貸物件についてはわりと目が利く。サッシの色や素材で年代がある程度わかる。タイル貼りなど、建物の外観や構造にも好みがあって、それらは大体特定の年代に集中して建てられたマンションだったりする。
私の好みは築でいうと40年くらいの建物だ。
素朴な積み木のような四角さや、タイルの色など少しの意匠に粋を感じる。部屋のなかにも余計な曲線とか丸みがない。むき出しの配管なんかにも正直ときめきを感じることすらある。
そして大事なのは、窓からの眺め。
「これは、引っ越しだ!」
そう感じる瞬間、私は恋に落ちていると思う。
物件との恋の終わり
こうやって恋に似た引っ越しをするとたいがい、設備に不備のあることが後々問題として頭をもたげてくる。
ううん、見た目が超タイプだったの。ちょっとお金はかかるけど、時々すごいギャグかましてくれるの。笑いすぎて涙が出るの。
というふうに他に目をつむると、もって2年だ。
こうなると次は実用重視の物件に目がいく。
恋とは言わないけど、一緒にいると安心が得られるような親切設計。だいたい築15年以内だ。ちょっとやそっとの地震じゃびくともしない。デザインはあまり好きじゃないけど、使いやすさに勝るものはない。シンクの位置も低すぎず、洗い物で台所と服がびしょ濡れになることもない。十分な収納が用意されていて、「あ、こんなとこにもちょうど鍋蓋を縦に入れられる棚があった」なんて。気が利く……!
やっぱり、毎日のことだから、我慢は少ない方がいい。こっちが不満を抱える前に、いつも少し先に気を利かせていてくれる。
どんなに外の環境が荒れていたって、ここに帰ると安全なんだって気持ちにさせてくれる。
特に飛び抜けた魅力なんかなくても、ここにいよう、ここでいいか、って、思わせてくれる。
そんな毎日に突風が吹いた。
目の前に唐突に飛び込んできた、その姿。
見た目は完全にわたしのタイプだ。大きくて無骨で、変な癖がない。だけどなんともいえない懐かしさがある。行き過ぎないセンスも光って見える。
今より少し、背伸びしなきゃいけない相手。その割に、わたしには合わせてくれそうにない。スペックはそうでもないけど、なんて大きく開けた視野なんだろう。そこからの世界は、きっと今とは全然違って見えるだろう。
胸が高鳴る。
間取り図から目を上げ、わたしは勢いよく不動産屋の扉を開けた。
なんの話だ。
(鳥飼茜)