このたび私たちは、「ウートピ図書館」を開館することにいたしました。 ここは、皆様の寄贈により運営をおこなう私設図書館です。ウートピの主な読者層は、人生の分岐点に立つアラサーの女性。読者の皆様がもっと自由に、もっと 幸福に、人生を謳歌するための杖となるような本を収集すべく、ここに設立を宣言いたします。
失恋した時に支えてくれた本、仕事で失敗した時にスランプを乗り越えるヒントを与えてくれた本、そして今の自分の血となり肉となった本などなど。作 家、ライター、アーティスト、起業家、ビジネスパーソン……さまざまな分野で活躍されている方々の「最愛の一冊」を、人生を模索するウートピ読者のために エピソードと共に寄贈していただきます。
今回の執筆者は、『「ぼっち」の歩き方』(PHP研究所)など多数の著書を持つ朝井麻由美(あさい・まゆみ)さんです。
『ヒヤマケンタロウの妊娠』(講談社)
「子どもがほしくない」ことに悩んでいる女性
「みなさんは将来、子どもは何人ほしいですか?」
大学時代、教育学の授業を受けていた時に教授が質問した。1人ほしい人、2人ほしい人、3人、4人……、私はどこにも手を挙げられなかった。最後に、「じゃあ、子どもをほしくない人?」と聞かれた時点で、おそるおそる手を挙げた。手を挙げたのは、大教室の中で私ひとりだけだった。
「子どもがほしくない」と言えなかった
「子どもはほしくない」と、私はずっと人に言えなかった。友人らとこういう話題になった場合も、誰もが当たり前のように“ほしい前提”で話をする。「ほしい/ほしくない」ではなく、(ほしいのは当たり前で)「何人ほしいか」というところから話が始まる。子どもがほしいと思わない私は、スタートラインにすら立っていなかった。
遠足や修学旅行などで学校の外に出ると、時々道端で小さな子を連れた母親と遭遇することがあった。クラスの女の子たちは、ひとり残らず高い声を出しながら、子どもに駆け寄っていく。高い声も出なければ、高い声を出す理由もなかった私は、子どもを取り巻くクラスの女子たちの群れに遅れて追いつき、遠巻きに見るしかできなかった。「キャー! 赤ちゃん、かわいいね!」「かわいいー! キャー!」といった反応を強要されているような気がして、しんどかった。
子どもをそこまで反射的にかわいがれない私には血が通っていないのではないか……と悶々としながら、その目の前の見知らぬ小さな子を“かわいがっているフリ”をした。
子どもが「わからない」という悩み
なぜ、子どもというだけで無条件でかわいがれるのだろう? なぜ、結婚をして子どもを産むことが、イコール幸せのように語られるのだろう? 妊婦として不自由な生活を強いられるのはイヤではないのか? 産む時の激痛は怖くないのか? 女だけが妊娠や出産をしなければならないのは不公平だと感じないのか? 育児によって自分の時間が減ることは構わないのか? 子どもを産むことでキャリアを諦めることになってもいいのか? 子どもというのは、これらがすべて帳消しになるほどの絶対的な存在なのだろうか?
子どもがかわいくないとか、嫌いとかではなく、“わからない”。わからないから、無条件でそれが幸せだとは思えなかった。
「子ども」と自分との適切な距離感がはかれぬまま何年も経ったある日、坂井恵理さんの『ヒヤマケンタロウの妊娠』という漫画に出会った。『ヒヤマケンタロウの妊娠』は、主人公の桧山健太郎が妊娠・出産・育児に奮闘する漫画である。
男性も子どもを産める世界を描く漫画
『ヒヤマケンタロウの妊娠』の世界では、男の人も女性と同様に、ある一定の確率で妊娠する。だが、男性の妊娠率は女性の10分の1。妊婦もマイノリティで生きづらいと言われているが、“妊夫”になった男性は、女性の妊婦以上に圧倒的なマイノリティとして周囲から奇特な目を向けられる。子ども嫌いで、「産むのは女の仕事だろ!」となかなか妊娠を受け入れられない健太郎が、妊婦(妊夫)の生きづらさや肩身の狭さを感じることで考えを改めていく様子は、女として読んでいて痛快だ。
同時に、男と女の役割が逆転したこの作品は、あるひとつの恐ろしさも突きつけてくる。自分が男だったら、もしかしたら「産むのは女の仕事だろ!」と言ってしまわなかっただろうか? ここまで悩むのは、私が性別として一応当事者だからだ。もしも当事者でなければ、妊娠も出産も子どものかわいさについても、まるで他人事だったかもしれない。
“女なのに産みたくない”のは悪という思い込み
この『ヒヤマケンタロウの妊娠』という作品は、子どもがほしくないのは“女性としておかしいことだ”と思い込んでいた私の心を軽くした。心を重くしていた原因の一つには、“女なのに産みたくない”と思うのは悪だ、と勝手に重圧を感じていたこともおそらくある。似たようなことを考えている人がいるからこそ、そして、もしかしたら作者の方がそう思っていたからこそ、“男性も妊娠する”という設定の作品が生まれたのだろう。
同じ考えを持つ人は世間では少ないのかもしれないけれど、“女性としておかしいこと”でもなければ、悪でもない。「私は現状、子どもがほしくない」――今ならこうして、きちんと言える。