「クレイジー野郎vs女、っていう選挙戦よね」
マンハッタンのゲイバーで、スーザンさんはそう言った。
ジョークだと思って私は笑った。だが、私以外の誰ひとりとして笑わなかった。ひとりで飲んでいた私に話しかけてくれたスーザンさんも、スーザンさんといっしょに来ていた3人の友達も、真顔でうなずいていた。ポップコーンがしょっぱかった。
2016年11月8日、アメリカで、第45代目となる新しい大統領が決まる。そのことで持ちきりの7月初頭に、私はニューヨークを取材に訪れた。そこで出会ったのは、ゲイバーから街の古本屋まで、何気ない場所でカジュアルに政治の話をするニューヨーカーたちの姿だ。
今回は、ニュース番組に映らない、ストリートでの選挙戦の様子を写真と共にお伝えしたい。「選挙って、こんなラフなやり方もあるんだな」と、ちょっと肩の力が抜けるかもしれない。
落書きで議論、SNS化するストリート
まず目を引いたのは、ニューヨーク7番街、工事現場の壁に貼られたこちらのポスターである。「イスラム教徒はアメリカ入国禁止にしろ」発言で話題となったドナルド・トランプ候補が、アンディ・ウォーホルのアートを思わせるような加工でポスター化されている。破られ、はがされそうになった跡があるが、それでも強固に全面糊付けで貼り直されていた。
ポスター下部には手書きでこう書いてある。「中絶をする女は何らかの処罰を受けるべきだ」……繰り返すが、これは2016年のニューヨークに貼られていたポスターだ。本当にこんなこと言っちゃったのかトランプ、と思って検索してみたら、言っちゃってる動画が出てきた。
ポスター左下には、また違った筆跡のボールペン書きでこう書かれていた。
「中絶は人権だ!」
よく見ると、トランプの口の中には、噛んだ後のガムが突っ込まれている。いかにもアメリカっぽい、目がチカチカするような色のガムだ。
また別の場所にも、同じポスターが貼られていた。そしてこちらのトランプの口にもまた、噛んだ後のガムが突っ込まれていた。
調べてみるとこれは、「Trump Dic Pic」というキャンペーンの一環であるらしかった。つまりはこういう仕組みだ。
【1】WEBサイト「Trump Dic Pic」にアクセスし、反トランプのポスターを30ドルで買う。
【2】ポスター下部にお好みのキャッチフレーズを書きこむ。
【3】そのへんに貼る。

(スクリーンショット、2016年7月閲覧)
サイト上にはさまざまなカラーバリエーションのトランプ・ポスターが、世界各国歴代の独裁者(とされる人)の名前を冠して売られていた。日本で太平洋戦争を指揮した東條英機の名前も、「ヒデキ・トランプ・ポスター」という形で登場している。
そんな「ヒデキ・トランプ・ポスター」にカメラを向けて撮影していたら、突然、後ろから声がした。
「気に入ったのか?(You like it ?)」
振り向くと、プロボクサーみたいな身体にタトゥを入れたニット帽のお兄さんがニコニコしていた。私は冷や汗をかき、頭をフル回転させた。この人、ニコニコしてるけど実はトランプ支持者かも。こんなポスターを好きだと言ったら殴りかかってくるかも……。
ということで私はこう答えた。
「うふふっ」
YESともNOとも言わない、とりあえず微笑んでおく。まったく事なかれ主義な対応を、私はしてしまったのだ。頭の中に「遺憾です」「検討します」「その件につきましては調査中でございます」とか言ってる日本の政治家が浮かんだ。お兄さんは困ったように笑うと、肩をすくめ、私に背を向けて去っていった。
私が「私の意見」を言えなかったのは、私が、プロボクサー風お兄さんに腕力で勝てない女の体をしているからだろうか? それとも、文化の違いだろうか? 本当にここでは、YES/NOをはっきりさせることが求められるんだな、と思った。それは、まだ選挙権を持たない子どもたちにとっても同じことのようだった。
子ども向けの選挙絵本まで……
とぼとぼ歩いていたら、目を引く本屋があった。老舗の古本屋であるらしい、「STRAND BOOK STORE」だ。
ここで出会った本がまたすごかった。
「子どものための はじめてのトランプ」。もちろん、カードゲームの話ではない。不思議な生き物に例えられたドナルド・トランプ候補ことトランプくん(画像中央)が、差別発言をまきちらかしながら増殖していくことに対し、「話題にせずに無視するべきだよ」と説いた本だ。2016年7月現在、アメリカ版Amazonでベストセラー1位を記録している。
店内にはいろいろなグッズも売られていた。
「トランプ以外で」と書かれた缶バッジ。
「トランプの手(実物大)」と書かれたフィギュア。実際、消しゴムくらいのサイズである。
レジにいた店員さんに「撮ってもいいですか? 日本のWEBメディアで紹介したいのですが」と聞いてみたら、「どうぞ、どうぞ、そうしてちょうだい!」と両手を広げ、くわっと大きく目を見開いていた。トランプのひどさを伝えていかなければならない、という書店員さんなりの使命感を感じる反応だった。
アンチ・トランプがほとんどの中……こんなところにちょこんとヒラリー
ニューヨークという場所は、開放的な空気に満ちている。日本では男が女たちをはべらせるようなCMで売られていたデオドラントスプレー「AXE」も、ニューヨークでは、男性同士のカップルの写真横にこんなコピーがつけられていた。
「どんなHOTも間違っちゃいない」
“クレイジー野郎 vs 女”。ゲイバーで聞いたフレーズがよみがえる。アメリカ大統領選挙という場において、女性候補はまだ「女」の一言で形容されてしまうような存在だ。ワシントンからオバマまで227年44代続いたアメリカ大統領の歴史に、女性の名はまだ、ひとつもない。
アンチ・トランプばっかりだな、と思って、他の候補についてのポスターや落書きを探してみた。すると、フリーペーパーを配る箱の隅っこに、ひとつだけちょこんとヒラリーが見つかった。
ヒラリー・クリントン候補の笑顔の上に、こう書かれている。
「Dream on」……「夢見てる」。
「Dream on」は、「そうだといいね(笑)」「妄想してろよ(笑)」くらいのニュアンスで嫌味として使われることもある言葉だ。ただ、素直に受け取れば、「夢見てる」「いつか叶うと信じてる」という意味にもとれる。このステッカーが、ヒラリー候補を応援する意図で貼られたのか、バカにする意図で貼られたのか、これだけではわからない。
アメリカの夢の続きは、果たしてどんなものだろうか?
選挙戦は、今日この日にも続いている。