ウートピ図書館 姫乃たまさん

「普通のオッサン」と「地下アイドル」をつなぐもの “自分”を演じ続けることに疲れた人たちへ

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「普通のオッサン」と「地下アイドル」をつなぐもの “自分”を演じ続けることに疲れた人たちへ

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このたび私たちは、「ウートピ図書館」を開館することにいたしました。 ここは、皆様の寄贈により運営をおこなう私設図書館です。ウートピの主な読者層は、人生の分岐点に立つアラサーの女性。読者の皆様がもっと自由に、もっと 幸福に、人生を謳歌するための杖となるような本を収集すべく、ここに設立を宣言いたします。

失恋した時に支えてくれた本、仕事で失敗した時にスランプを乗り越えるヒントを与えてくれた本、そして今の自分の血となり肉となった本などなど。作 家、ライター、アーティスト、起業家、ビジネスパーソン……さまざまな分野で活躍されている方々の「最愛の一冊」を、人生を模索するウートピ読者のために エピソードと共に寄贈していただきます。

今回は、地下アイドル/ライターの姫乃たま(ひめの・たま)さんです。

北尾トロ『男の隠れ家を持ってみた』(新潮文庫)

たとえば、こんな人におすすめ
たくさんの“自分”を演じることに疲れてしまった人

ライブハウスの楽屋には機材が散らばっていて、しかたなく私は洗面台横のデッドスペースに肩をすぼめて座っていた。流しは使われているのか使われていないのかわからず、錆びたように薄汚れていた。

ボンバーマンの爆弾のように目の前に座った映画監督は、「どうしてそんなに自分を憎むんですか?」と私に問う。どうして!? 私は地下アイドルなる仕事をしている自分を烈火のごとく憎んでいたし、なぜ憎んでいるのか自分でも核心をつけず長いこと苛立っていた。とにかく取材だかなんだか知らないが、よく知らない映画監督にずけずけとそんなことを言われなくても、もうこんな仕事は辞めてやろうと思っていた。あの頃、私は18歳だった。

非常に怒りっぽい女子高生だった私も23歳になった。すべての怒りを10代で消費したとしか思えないほど、まったく怒らなくなった。地下アイドルの仕事も、今では長く続けたいと思っている。

映画監督の彼が私を怒らせようとしたわけではないことも、今なら理解できる。理不尽なのは明らかに私の方だった。彼は、地味な女の子がアイドルになったことで明るい性格に変わっていく映画を撮ろうとしていた。それが実際の地下アイドルに取材してみたら、普段の自分が好きで、地下アイドルの自分を憎んでいると言うのだから不思議に思ったのだ。

私は地下アイドルの自分が許せなかった。自分の本意ではないアニメソングを歌い、過剰な乙女趣味の衣装を着ている自分に違和感を覚えていた。次第に地下アイドルの自分を、自分ではないと思うようになり、ライブで賞賛されるほどもうひとりの自分への憎しみは深まっていった。私生活の自分と、公の自分が乖離していたのである。

女子高生としての私生活と、地下アイドルの仕事には開きがありすぎて、10代の私は常に混乱していた。しかし、私たちは誰しも生きていく中で、いくつもの自分を必要とされる。

家にいる時の自分、学校にいる時の自分、会社での自分。恋人の前、両親の前、友人の前。同性の上司の前ではサバけた自分を演じ、異性の上司の前では自然と少し頼りない部分を見せる。それぞれの“自分”すべてに納得している人間が、この世にどれくらい存在するだろう。

とは言え、「学校にいる自分は偽りの自分……」などと本気で憎んでいるのは思春期の子どもくらいで、たいていの人は、大人になれば「会社ではこういう態度でいればいい」と、割り切れるようになる。そして最終的には、どんな時の“自分”も同じ自分自身であり、気にくわないところも含めて受け入れるべきであることに気がついていく。

私の場合、駆け出しで安定しない地下アイドル活動に不満が募り、いつしかついでに私生活の自分への不満も、地下アイドルの自分のせいにすることで、精神的な安定を図るようになっていた。また憎むべき対象がいることは、生きるうえでの活力にもなった。そうやって自分自身を憎み、自分自身が憎まれるという、相当にねじれた悪循環に陥っていたのだ。

そんな当時の私を救ってくれたのが、北尾トロさんのエッセイ、『男の隠れ家を持ってみた』(新潮文庫)であった。

妻子持ち、仕事も順調、子どもも可愛い。しかしどんどん「つまらないオッサン」に近づいていく自分自身になんとなく恐怖を覚え、「ライターの北尾トロ」ではなく、「どこにでもいるオッサンとして」知らない土地で安アパートを借りるというエッセイである。

安アパートで大きな事件は起こらない。じっと横になって過去のことを気まぐれに思い出してみたり、慣れない酒場にひとりで入ってみたり、ひとりの男性としての、何でもない時間が流れていく。

芸名ばかり使っていたら、本名で呼んでくれる人がほとんどいなくなってしまったことや、好きなことが仕事に結びついていて、なんとなく純粋に楽しめていないことなど、普段の生活では忙しさで紛れて深く考えてこなかった事柄が、ぽつりぽつりと頭に浮かぶ。

短い隠れ家生活を経て、北尾さんは、北尾トロでも、ただのオッサンでも、お父さんでも、なんでも、自分は自分であるということに改めて気がついていく。

普通の女子高生がアイドル扱いされて、人前で歌って、文章を書いて、お金をもらって、身の丈に余るような生活をしていたのに、なぜか私は悲しかった。本名で呼んでくれる人が家族と、数人の友人しかいなくなったことが怖かった。しかし、今は別にどうも思わない。仕事で知り合った人に本名で呼んでもらいたいとは思わないし、芸名で呼ばれたからといって、何かが変わるわけでもない。

地下アイドルの私も、私生活の自分も、私は私であると認められてからずっと生きやすくなった。怒らなくなったことで活力はぐんと減ったかもしれないけど……。この本と出会って本当によかった。

(姫乃たま)

■告知情報

姫乃たまさんの『僕とジョルジュ』より「恋のすゝめ」MV

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