『1982 名前のない世代』著者・佐藤喬さんインタビュー

「キレる世代」と呼ばれた82年生まれ 肌で感じていた、時代の閉塞感

「キレる世代」と呼ばれた82年生まれ 肌で感じていた、時代の閉塞感

神戸連続児童殺傷事件(1997年)の少年A、黒磯女教師刺殺事件(1998年)の少年、西鉄バスジャック事件(2000年)の「ネオむぎ茶」、秋葉原無差別殺傷事件(2008年)の加藤智大——彼らは、みな、1982年前後に生まれました。その影響で1982年前後に生まれた世代は「キレる14歳」「キレる17歳」と呼ばれ続けてきました。

現在30歳前後となり「ロスジェネ世代」と「ゆとり世代」の間に挟まれ、新たに名前をつけられることがなかった「1982世代」は何を感じているのでしょうか? 『1982 名前のない世代』(宝島社)を上梓した著者の佐藤喬(さとう・たかし)さんに、この世代に共通するもの、さらにこの世代の女性について伺いました。

「キレる」同世代を見つめてきた

——1983年生まれの佐藤さんが、当事者として世代論を書いた理由とは?

佐藤喬さん(以下、佐藤):実は、僕は世代論が嫌いなんです。同じように、同世代の古市憲寿さん(85年生)、評論家の古谷経衡さん(82年生)さん、ライターの武田砂鉄さん(82年生)なども、「世代論は好きではない」と明言しています。これまで散々「キレる世代」と言われ続けたことに反感もありますし、世代論自体も劣化している。しかし一度この世代を語らないと、次のスタートを切ることができないのではないかとも感じました。

本書は、この世代が通過した事件を時系列に並べ、そこに向けられた社会の視線を検証する「『世代論』論」であり、俗流世代論の否定です。ですから、この世代の特徴を「ゆとり」や「さとり」など、無理矢理ひとつの特徴で表現することは避けました。

——この世代にはオリエンタルラジオ(82、83年生)や、マリナーズの青木宣親さん(82年生)など著名人もいますが、犯罪者に注目した理由は?

佐藤:犯罪者たちは特殊なアウトローたちですが、彼らが結果的にこの世代の“顔”となりました。彼らを取り上げた理由のひとつは、彼らを通してこの世代に対する世間の視線を分析し「世代論」を論じられるから。また、アウトローである彼らと、はあちゅうさん(86年生)に代表されるような「いい大学」「いい会社」を通過しその中で面白いことを画策する「体制内アウトロー」、そして平凡な僕という3者に共通する普遍的な要素があるならば、それこそがこの世代を特徴づけるものなんじゃないかと。

少年Aや加藤智大に形づくられた自意識

——今回、この本で、1982年世代に犯罪者が多いことに初めて気がつきました。

佐藤:統計上、少年事件は減少傾向にあり、この世代の犯罪者数が特別に多いわけではありません。ただ、社会の注目を集めた犯罪者が偶然多かった。僕らは常に彼らを意識してきたので、知らない方がいることが意外でした。僕らは実際に犯罪とは無縁でも、社会から「キレる世代」と言われ続けることで自己イメージを形成してきた。この世代は「キレる」という言葉に特別な意味を感じていますし、僕らの自意識は、少年Aや加藤智大らに向けられた視線によって形づくられたとも言えます。

佐藤喬さん

「時代を閉塞感が支配している」

——本書では“閉塞感”という言葉を使っていましたね。

佐藤:犯罪者である彼らと、僕のような平凡な青年が共通して感じていたのが“閉塞感”でした。凡庸な言葉ですし、どの世代にも言えることかもしれません。2008年、批評家の加藤周一氏が亡くなる間際「時代を閉塞感が支配している」と表現したんです。まさに、その言葉がこの世代を表すのにぴったりだと感じました。

それから、この世代は多くの変化には晒されたのですが、「社会がわかりやすい特徴を見つけられなかったこと」が特徴です。同世代人らが事件を起こすたびに、ゲームやネット、ひきこもりなどの時代背景と関連づけて怪しげな「世代論」が語られてきました。しかし、彼らを犯行に至らしめた要因について明確な結論は出なかった。それが象徴していると思います。経済の失速、携帯電話の普及、ネット社会への移行など、激変する時代に巻き込まれ、生き方も多様化したから「キレる17歳」以外に特徴が生まれなかったのかもしれません。モヤモヤした世代だから、本書も結局、着地点がないんです。

“見られる”訓練をしたプリクラ世代

——本書では小保方晴子さん(83年生)や、はあちゅうさんにも言及されていますね。この世代の女性に共通するものは?

佐藤:この世代は漫画家・峰なゆかさん(84年生)、エッセイスト・犬山紙子さん(81年生)、アニメの中では『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイがいます。マンガ『東京タラレバ娘』(講談社)やマンガ『げんしけん』(講談社)の登場人物も同世代と言えますね。以前、評論家の古谷経衡さんとも話したのですが、男性から見ると、どこかこじらせている印象はありますね。

——それはネット世代であることが関係するんでしょうか?

佐藤:どうでしょう? でも、カメラ付携帯やSNSなどにより「他人に見られる」経験が増えたことと関係はあるかもしれません。彼女たちの青春はプリクラ全盛期であり、思春期に「写メール」が登場しました。知り合いのフォトグラファーが、年配者と違い、僕らの世代から下は撮影がすごくラクだと言っていたんです。自分がキレイに写る方法を知っているから、と。彼女たちはプリクラや自撮りで「見せる」訓練をした。

ただ一方で“見られる意識”はみずからを疲弊させますし、30歳前後ともなると結婚や出産を意識する、させられる場面も増えます。『東京タラレバ娘』でもそうですが、仕事でも、ベテランと呼ばれて盤石の地位を築いているわけではないので、下から突き上げられもする。30歳前後は男性にとっても重要ですが、女性の方が社会的プレッシャーが大きいかもしれません。

『アラサーちゃん』と『東京タラレバ娘』の違い

——峰なゆかさんの『アラサーちゃん』(扶桑社)と『東京タラレバ娘』は、どちらも30代を描いていますね。

佐藤:その2つには違った意味合いがあります。『東京タラレバ娘』が成功したのは、著者の東村アキコさん(75年生)がひとつ上の「ロスジェネ世代」で、主人公たちの「名前のない世代」を客観的に観察できたことが要因でしょう。観察の条件は一定の距離を置くことですから、東村さんでなければ描けなかったと思います。

『アラサーちゃん』は「名前のない世代」の当事者である峰なゆかさんが“自分たち”を描いています。しかしありがちな“自分語り”に終始しなかったのは、彼女はAV女優から漫画家になったこと、いわば出自がアウトローであったこと、さらに読書家であり文学的な教養があったことで、同世代に対して距離を置いた観察ができたのだと思います。

——なるほど。

佐藤:実は、本書は女性の影が薄いことが弱点なんです。今回『ジャンプ』やファミコンは扱いましたが『りぼん』など女性のカルチャーまでは追うことができなかったので『1982』の女性版があればどうなるのかは、僕としても気になるところです。女性からのご意見、ご感想をお待ちしています。

(穂島秋桜)

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