上司からも後輩や部下からもプレッシャーにさらされ、仕事でお疲れ気味のアラサーのみなさんの中には、誰かから「とことん愛されたい、優しくされたい」と心密かに願っている人も少なくないかもしれません。ところが、「尽くされる恋愛関係」には思わぬ落とし穴があると指摘するのは、心理カウンセラーの石原加受子(いしはら・かずこ)さん。大勢の悩める女性をカウンセリングしてきた立場から石原さんが説く「正しい愛され方、愛し方」とは。
【前編はこちら】 “察する女性”ほど追いつめられる カウンセラーに聞く、がんばる人の休み方
愛されれば愛されるほど、価値が下がる?
——20代の頃は相手に「尽くす」のも好きだったけれど、30歳を越えた頃からだんだん「尽くされたい」と思うようになった……という声を周りの女性から聞いたことがあります。でも、「尽くされる関係」には落とし穴があるんですよね?
石原加受子さん(以下、石原):まず「尽くす」という言葉が勘違いされていると感じる時があります。“尽くし型”の男性が誰かのことを愛そうとします。彼女に対して何の見返りも期待せず、ただただ尽くしていたとしますね。すると愛されれば愛されるほど、彼女の価値は下がっていくんです。
——それはどういうことでしょう?
石原:例えば彼女が「水が飲みたい」と思った時は、彼氏がすぐに出してくれる。「何か美味しいものが食べたい」と思ったら、何も言わなくても好きなものを料理してくれる。「洋服が着たい」と思ったら、すぐに素敵な服を用意して着せてくれる。そうしたら彼女はどうなりますか?
——ああ、なるほど。相手に依存した状態になって、ひとりでは何もできない人間になりますね。
石原:そういうことです。この場合、尽くしている側はある意味で交際相手を支配し、閉じ込めていることになる。相手を無力にすれば、自分から逃げられなくなるわけですから。
「この人なしでは生きられない」という状態にしてしまうことは「愛」ではありません。相手を幸せにするつもりなどなく、心の深いところでは、「依存させて、自分から絶対に離れられない状態にしてしまおう」と願っているのです。
正しい愛され方、愛し方
——となると、本当の意味で「愛し、愛される」とはどういう状態なのでしょうか?
石原:おたがいの領域をちゃんと「尊重し合える」関係であるかどうか、ですね。例えば、自分に相手に頼みごとをするとき、本来、相手がそれを断ったとしても自由です。反対に、相手が頼んできたときに、自分にも断る自由があります。こんなとき、相手が引き受けてくれないと腹が立ったり傷ついたりしてしまうとしたら、それは、相手の自由を認めていないということになるでしょう。そういう人は立場が逆になると、相手に頼まれると断ることができないにもかかわらず、「こんなことを頼んでくるなんて、非常識じゃないの」な不平不満を抱いたりします。これがお互いを尊重していないということなのです。
実際には「互いを尊重し合う」というのは、頭で考えているよりずっと難しいことなんです。尽くされること自体はとても心地がいいので、相手から与えられたものを自分が本当に欲していたかどうかを考えなくなって、無意識にどんどん受け取ってしまう。これを繰り返していると、だんだん「自分の領域」と「相手の領域」がわからなくなっていきます。
尽くし型の彼氏と過干渉の親
石原:結局、恋愛関係に限らず、すべての人間関係で似たようなことが起きているんです。例えば親子関係。大人になってからの恋愛関係には、幼少期の親子関係が大きく影響しますが、「パートナーから尽くされる」は「親から過干渉を受ける」とパラレルとも言えます。
過干渉をしてしまう親は、「なんでこれ食べないの?」「どうして部屋を片付けないの?」「勉強しなさい」「なんて格好をしているの」と無断で子どもの領域に踏み込んでいきます。ひきこもりは、こうした過干渉の結果とも言えますね。ひきこもりの子どもの親は、ある意味、子どもを自分に依存させてずっと手元に置いておこうとしている。つまり、先に話した“尽くし型”の彼氏と同じです。
恋愛関係、親子関係の別なく、一見相手のことを考えているようで、その実自尊心や自立心を大いに傷つけているという状況はよくあります。
心の底から「勝ち負け」を卒業する
——最後に女性読者にメッセージをお願いします。
石原:大勢の女性をカウンセリングしてきて感じるのは、無意識のうちに「勝ち」「負け」に囚われている人が多いこと。今回お話した「尽くされる」という問題も、結局ここに通じてくるんです。自分が本当に望んでいることがわからなくなって、相手基準の「愛情」を無条件に受け取ってしまう。要は、すべてを他人の基準に委ねてしまっているわけです。
勝ち負けなんて、他人の基準の最たるもの。だって、考えてもみてください。何をもって勝ち負けや成功・失敗が決まるのでしょう。有名になるとか、給料が上がるとか、地位が上がるとか、そういうことを基準にすると、他人と競うことになります。すると、自分では気にしていないと思っていても、心のどこかで勝ち負けに囚われてしまうんです。
他人との比較で勝ち負けを決めるなら、だいたいの人間はどこかで敗者となってしまいますよね。こんなふうにして、みんなが生きづらくなっている。自分が満ち足りていることを「勝ち」とするなら、それだけでだいぶ楽になれるのではないでしょうか。
オセロのようにすべてがひっくり返る時
——確かにそうですね。とはいえ社会全体を変えるのは難しい。まずは一人ひとりが意識を変えていくことでしょうか。
石原:ひとりの力って、そんなにちっぽけじゃないと言いたいんです。一人ひとりがほんのちょっとでも変われば、社会は数十年で大きく変わるはずなんです。世の中が悪くなっていくことだけは信じているのに、よくなることはみなさん本当に信じていない(笑)。
今の日本は「よくなる力」を過小評価していると感じます。家族のうちひとり変われば全員が変われるんですよ。家族が変われば、仕事で出会う人たちも変わる。だから、お母さんがひとり変われば子ども救えるし、人生がどんどんよくなっていく。お父さんの会社もよくなっていくんです。
——まるでオセロのように、すべてがひっくり返るんですね。
石原:だから私は一介のカウンセラーですが、世界を変えるお手伝いをしているとさえ思っているんですよ(笑)。
(黒田隆憲)