人生のおどり場ダンサーの「もやもや」日記 第3回

親友が「母」になってしまう寂しさ

親友が「母」になってしまう寂しさ
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彼女は「母」

2016-5-27-iratto

漫画/田丸こーじ

友達が人の親に変わるとき

私が仕事に消耗し男と闘い社会に疲れてもがいているうちに、久しぶりに会った女友達はまっとうな恋愛を経て人の妻となり、子どもを持つ立派な“お母さん”になっていました……。

アラサー女子あるある浦島太郎話でね。時の流れの速さに驚かされるとともに、「私の歩んできた道、コレで正しかったんだっけ……?」とちょっと振り返らざるを得ない、そんなタイミングがなんだか年々増えているように感じます。

知らない間に違うフィールドで成長していた友人

学生時代、ムチャして朝まで呑んだくれたり、一緒に合コンへ参戦しては新しい恋にはしゃいだり、辛い思いをしたときには肩を借りて泣いたこともありました。そんな青春期の酸いも甘いもともに味わい乗り越えてきた女友達が今では立派な人の親。結婚すら超えなければいけないハードルが多すぎてとても辿りつけないのに、旦那さんの面倒を見て義理の両親の顔色も見て、その上一人の人間を産み育てることの偉大さ、大変さはどれほどのものでしょう。

堅実に見える幸せを掴むために、そして掴んでからも、私の知り得ないどれだけ多くの苦労や困難を乗り越えてきたのだろうと思います。

友達はどこに行ってしまったのか?

でも、だからこそ寂しく思ってしまうのは、女友達が“お母さん”になった途端、“お母さん”以外のその人が、まったく見えなくなってしまうことが多くあるように感じるからです。Facebook投稿や日々の話題は育児ネタや子どもの成長に終始し、ラインのアイコンは彼女ではなく子どもの笑顔にすり替わり、ツイッターのハンドルネームまで「◯◯ちゃんママ」になってしまい……。“お母さん”になる前の彼女と友達だった私は、“お母さん”ではないその人自身の今をもっと知りたいし、聞かせてほしい、そんなふうに思ってしまいます。

子を産むも3年、社会で暮らすも3年

とは言えなんだか最近は、友人夫婦に生まれた赤ちゃんのなお一層可愛いこと。Facebook で知人の子どもの誕生会を微笑ましく眺めながら「この子ももう3才かあ。…この3年間、私は成長したのだろうか?」などと考えることも増えてきました。尽きない仕事と果てない恋愛に消耗するよりも、赤ちゃんの喜怒哀楽や日々の成長に向き合っている方が有意義なのかなあ……? そんなふうに思っては、しみじみ将来を身につまされるアラサー女子なのでした。

(コラム:眞駒/@ameni1952

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