今年の3月、埼玉県朝霞市で2014年3月から行方不明になっていた女子中学生(15歳)が東京都中野区にて保護されたことが報道され、世間を騒がせました。少女は男に誘拐されて2年にわたり監禁された末、男の留守中に隙を見て逃げ出したとのことです。
「少女が無事保護されてよかった」と多くの人が安堵する一方、ネット上では「もっと早く逃げ出せたのではないか」「誘拐・監禁ではなく単なる家出だったのでは」といったコメントも飛び交いました。この事件を受け、性被害をテーマにした映画「ら」の緊急特別トーク付き上映会が4月29日、渋谷アップリンクにて開催されました。「ら」は、水井真希(みずい・まき)監督自身が体験した性被害をもとにした作品。水井監督と、武蔵大学教授で現代社会学者の千田有紀(せんだ・ゆき)さんが、性犯罪防止のために第三者ができることをテーマに語り合いました。
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被害者と犯人の恋愛関係は、ファンタジーにすぎない
目を覆いたくなるような残虐な暴行シーンも描かれるシリアスな内容の「ら」。その上映が終了した重々しい空気の中、トークがスタートしました。中野区の誘拐事件の報道に関して、千田さんがマスコミによるセカンドレイプの可能性を指摘しました。
千田有紀さん(以下、千田):Twitterなどで第三者からいろんな意見が出るのはありうることですが、マスコミまで一緒になって「監禁されていた部屋の壁の厚さはこれくらいなので、大声で助けを呼べたのではないか」などと、少女を責めるような報道をしていました。
水井監督は、次のように語りました。
水井真希監督(以下、水井):中野の事件は「加害者と被害者は実は恋人関係にあり、痴情のもつれで逃げ出したのではないか」というネットの書き込みもありました。誘拐事件を通して被害者が犯人に対して恋愛感情を抱くようになるという内容の小説や映画がありますが、あくまでファンタジー。だから、私はこの「ら」によって、それがファンタジーとしてしか成立しえないことを伝えたかったんです。
「なぜ、逃げなかったのか」が持つ暴力性
水井監督の発言について千田さんは次のように解説を加えました。
千田:被害者が、犯人を怒らせたらどんな目に遭うかわからないという恐怖から、犯人に愛情すら抱くようになるという現象、すなわちストックホルム・シンドロームは確かにあります。でも、これは本当の愛情ではありません。極限状態に置かれてもなんとか生き延びようとするある種の防衛反応であり、それを恋愛物語として語られるのは被害者にとって非常につらいことなんです。
今回のような誘拐事件に関して「なぜ逃げなかったのか」という言葉を口にしてしまう第三者の中には、「逃げてほしかった」と願うばかりにもどかしさを抱えている人、「自分は被害に遭わなくてよかった」と安堵している人もいるのではないかと千田さんは考察します。
さらに水井監督はそうした第三者の発言を、「暴力を振るう男性と付き合っている友達に『なんでそんな人と付き合ってるの?』と聞くような、ありふれた女子トークにも似ていますね」と指摘しました。
水井監督自身が性犯罪の被害者だった
「ら」では、誘拐された主人公の女性が、犯人から解放されたあと、すぐに警察に通報しています。
約10年前に実際に強制わいせつの被害者となった水井監督。当時未成年だった水井監督は、自宅に帰り着いて入浴したのち、一晩すぎてから警察に連絡したそうです。性犯罪の被害者の大半は、被害に遭ったあとすぐにシャワーを浴びて、証拠となる汚れや犯人の体液などを洗い落としてしまうそうです。「けがれ」を消してしまいたいという本能的行動なのでしょうが、千田さんによると「性犯罪は証拠主義なので、シャワーを浴びずに医者の診断書を証拠としてもらうことが重要」とのこと。
事件翌日に110番通報した当時の水井監督ですが、現場が隣の町であったため、「そちらの警察署が担当するので、連絡をしてくれ」「その事件は刑事課だから、刑事課に連絡してくれ」「君は未成年者だから親御さんと一緒に来てくれ」と散々たらい回しにされ、最終的に警察署に行くまで3ヵ月もかかってしまいました。その間、犯人は卑劣な手口で、多くの女性に犯行を繰り返していたといいます。
水井:もし、あのとき私が犯人の車のナンバープレートを見ていたら、即日逮捕されて、他に被害者が出ることはなかったのではないかと今でも後悔して、自分を許せないでいます。性犯罪の場合、犯人は同じことを繰り返すケースが多いので、事件が起こったらその場で逮捕されてほしいんです。被害に遭った方は、自分さえ我慢すればいいやと思いがちなんですが、他の女性を守るためにも黙っていないで伝えるようにしてほしい。
不可解すぎる法律のロジック
水井監督が痛切な思いを語る一方で、千田さんは性犯罪をめぐる法律の不備を指摘します。
千田:性犯罪は相手が一人だと親告罪になるので、「私が被害者です」と名乗り出ない限り犯人は罪に問われません。しかも不思議なことに、犯人が複数だと親告罪ではないんです。その理由は、犯人が一人の場合は「性暴力の被害者の中には他に知られたくない人もいるから、親告罪」。犯人が複数の場合は、「すでに複数の人に知られてしまっていて、秘密ではないと考えられるから、親告罪ではない」というおかしなロジックです。強制わいせつ罪にも奇妙なロジックがあります。つまり、犯人が性的な気持ちで加害者の裸にしたら強制わいせつになるが、単に脅すためなら強制わいせつにはならないという。その罪に該当するかどうかの基準が「加害者の気持ち」にあって、被害者のことが考慮されてないないんです。
第三者の“おせっかい”で性犯罪は防げる
トークショーの終盤で話題は、性犯罪防止のために第三者に何ができるかというメインテーマへ。水井監督は痴漢問題にも言及しました。
水井:性犯罪に関しては、他者の“おせっかい”がすごくありがたい場合があるんです。例えば電車内で体を触られている女性を目にしたとしても、それはもしかすると恋人同士でプレイしているだけかもしれません。でも、ちょっとだけおせっかいを発揮して「何してるんですか?」と声をかければ、本物の恋人同士なら「プレイです」とこっそり教えてくれるはず。だから、老婆心ながら介入していった方がいいかな、と。
千田:昔、長距離の特急電車内での暴行事件で、女性は犯行現場のトイレに連れて行かれる途中、泣いていたのに、乗客は「何をジロジロ見ているんだ」などと怒鳴られ、車掌への通報もしなかったことがありました。傍観者が大勢いる方が逆に介入しない場合もあると思うんです。俺がやらなくても誰か助けるんじゃないの、みたいな。傍観していることは共犯だと思いますね。
「友達との雑談」と「ネットの書き込み」の違い
そして、話題は中野区の誘拐事件の被害者を責めるようなコメントがネット上に散見されたことへ。水井監督はネットの書き込みが持つ暴力性を指摘しました。
水井:今は誰でもインターネットで世界中に向けて発信できる時代です。友達とメールをするような感覚でブログやSNSに書き込めてしまいます。アイドルのことを「劣化した」とか「(外見が自分の好みでないから)チェンジ」とか書いている人もいますが、本人が目にする可能性を考えているのでしょうか。どのくらい自分の発言に責任を持っているのかな、と疑問に思います。
ブログやTwitterに自分のアカウントを持ち、そこから情報を発信しているということは、一人ひとりがメディアを所有しているのと同じといえるのかもしれません。千田さんはこう語ります。
千田:中野の事件について、「加害者と被害者は恋愛関係だったのではないか」と友達に話すのとネットに書き込むのとは、似たような行為に思えるかもしれませんが、その結果は全然違うんです。この場合、ネットに書き込みをすることは暴力を行使しているのと同じ。友達同士でそのようなことを話すのも本当はよくありませんが、第三者の目に触れるネット上ではとくに、言葉の暴力性を考えながら行動していかねばなりません。