しなやかに、生きる。“ロールモデルは、私です” 第2回:原口未緒さん

「離婚を弁護するのは苦しむ母を見てきたから」 離婚弁護士がたどり着いた、得意を仕事にする生き方

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「仕事モードはあえてつくらない」

「円満離婚弁護士」として活躍する原口未緒さん。今年3月には著書『こじらせない離婚──この結婚もうムリと思ったら読む本』(ダイヤモンド社)も上梓し、また7月には出産を控える多忙の身。そんな中、たどり着いたライフ・スタイルとは?


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30代で専業主婦になる夢を叶えたものの……

──高校生のときは専業主婦になりたかったそうですね?

原口未緒さん(以下、原口):薬剤師として忙しく働いていた母親と、専業主婦の友達の母親とを見比べて、専業主婦になりたいと思っていたのですが、大学を出てすぐに結婚というわけにもいきませんでした。そこで、母親から「女性は大学を出て就職しても、出産とかで辞めたらあとはレジのパートしかない」と吹き込まれていたことや、人に仕えるのも、朝起きるのも苦手だったこともあり、「やるなら独立できる仕事がいい」と今の仕事を目指しました。父が弁護士だったことも影響しました。

──司法試験の勉強をしていたときに、最初の結婚相手と出会われた?

原口:司法試験の勉強仲間でした。まじめで優秀な人でした。私自身は大学卒業後5年間浪人して、27歳で司法試験に合格し、29歳で弁護士になりました。15人くらいの弁護士が勤める事務所に入りましたが、翌年、結婚を機に休職しました。それで憧れの専業主婦になったのですが、3ヵ月くらいで、私には不向きだとわかりました。積み上げていく部分がない主婦業に耐えられなかったのです。それで復職しました。

焦り、紋別へ移住、そして離婚

──東京から北海道に移られますね?

原口:復職半年後に別の事務所に移籍しました。移った先は若手をみっちりしごく厳しい事務所。ちょうどその頃、大学同期の友人たちは出産ラッシュを迎え、仕事でも着実に成長していました。私は結婚して1年が経っても子どもができず、仕事の面でも成長していないことで後れをとっている感じがしていました。

新しい事務所で1年半鍛えられた後、地方の弁護士不在地域に弁護士を派遣する制度を利用して、北海道・紋別に移りました。当時、最初の夫との間に離婚話が持ち上がっていました。原因は私の「満たされない感」。30歳を目前にして、結婚を焦ってしまったせいか、夫と精神的な繋がりを感じることができなかったのです。単身で北海道に移って半年が経った頃、離婚が成立しました。

原口未緒さん

“高尚じゃない仕事”の方が好き

──その後、北海道にいる間に2度目の結婚と離婚を経験されていますね。

原口:紋別での仕事はほとんど借金の整理でした。ちょうど過払金問題がブームになった頃です。2度目の結婚の相手は、私が担当した刑事被告人。精神的な繋がりが感じられて結婚したのですが、いざ一緒に生活してみると、金使いが滅茶苦茶で、生活力はゼロ。「私がこの人をなんとかしてあげなくちゃ」と思えば思うほど、状況はどんどん悪化し、1年もたずに離婚しました。

──ご自身で法律事務所を立ち上げられたのはその頃ですか?

原口:2度目の結婚相手に仕事を与えようという思もあって、独立に踏み切ったのです。それを機に紋別から札幌に移りました。離婚関係の仕事が増え始めたのはそこからです。男性の弁護士は離婚の仕事を好みません。離婚案件は“高尚”な仕事だとは思えないようです。一方、私は弁護団を組んで組織悪と対決するような、男性弁護士たちが憧れる仕事は苦手で、借金や離婚に関する卑近な訴訟の方が得意だったのです。

そのことに気づかされたのは紋別で借金問題の仕事ばかりしていたときに、クライアントの方が喜ぶ顔をたくさん見たからです。そろそろ過払金ブームが去ろうとしていた時期でもありました。司法試験の合格者が増え、これからは弁護士も特色を出さないと生き残れないと言われた時代です。じゃあ、私は離婚でやっていこう、と。

本当に依頼人のためになる離婚相談を

──その後、3度目の結婚&離婚を経験されていますが、ご自身の離婚体験が仕事のモチベーションに?

原口:というよりも私の場合は両親の離婚に思い入れがあって、それで離婚の仕事にのめり込みました。両親は典型的な泥沼離婚でした。母親が苦労するのを見ていたし、私や弟も振り回されました。後に、離婚問題というのはお金がたくさん取れればいいというものではなく、その人なりの落とし所にストンと落としてあげないといけないと考えるようになりましたが、それは苦しむ母の姿を見てきたことがベースになっています。

最初、離婚相談は制度や法律を提示するコンサル型で行っていましたが、依頼者はピンと来ないようでした。そこでカウンセリング型の聞き方をしたり、コーチングを学んでその手法を使ったりしたのです。多くの離婚を見てきて思うのは、やっぱり最終的に“どうしたいか”の答えがクライアント本人から自然に出てこないと「円満」にはいかないということ。ただ、私は弁護士ですから、カウンセリングなんてしていないで、さっさと離婚に導いたほうが、儲けは増えるんですけどね(笑)。

原口未緒さん

「オン」と「オフ」をつくらない

──現在はどのようなスタイルで仕事をされているんですか?

原口:2014年に東京に戻って、現在に至ります。北海道では人を雇っていましたが、人を使うのが苦手だとわかって、今は一人ですべてやっています。私たちの業界は法廷が開く午前10時に合わせて仕事を始めることが多いです。午前中は訴訟や調停などで裁判所に行ったり、依頼案件の書面などを作る事務作業をしたり、あとは依頼者とメールなどでやりとりをすることもあります。何も予定がないときは家で掃除したり、朝寝坊を楽しんだりもしています。現在のパートナー(事実婚状態)の仕事が水曜定休なので、私も合わせて水曜日に休むようにしています。

一応18時終業ですが、最近は夜にLINEやSkypeを使って相談に応じることもあります。依頼者の都合で平日の夜や土曜日に仕事をすることも少なくありませんが、それも苦になりません。あえてオンとオフを分けないようにしているんです。「よーし、ここからは仕事だぞ」と意識して仕事モードに入ると疲れちゃうので、クライアントの方とも「気楽に話そう」というつもりでやっています。

仕事を絞って淡々と働きたい

──7月にご出産が控えていますね。仕事はどうされるのでしょう?

原口:仕事はできるだけ続けたいと思っています。ここ(都内の事務所)に子どもがいてもいいかなと。専業主婦のときの経験からして、私はじっとしているのが苦手だと思うので。一人で、自分のやれる範囲で納得のいく仕事をしたい。そのために最近は一度に抱えるクライアントの数を20人くらいに絞りました。といっても、事案の動きがピークを迎えている人は3、4人ですから。嫁ぐでもなく、奉仕するでもなく、淡々と仕事をしていきたいですね。

原口さんの1日
10時頃に事務所入り。裁判のあるときは、午前中は裁判所。クライアントとの面談は通常午後に1組。予定の合間に裁判所に提出する書面作成や書類送付、依頼者や相手方代理人への連絡、経理処理などの事務作業、メルマガやブログ記事の作成など。19〜20時に事務所を出て、相談や会合などの約束のない日は帰宅してパートナーと夕食。寝るまでの時間にLINEやfacebookメッセンジャーなどで依頼者と話すことも。午前1時頃に就寝。


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会社や組織に縛られることなく、自分ら人生の決断をし、新たな働き方を見つけてきた女性たちのインタビュー連載です。30代女性が、もっとしなやかに、そして軽やかに生きていくためのヒントが、ここにありました。

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