俗世から離れ、あらゆる欲を捨て、仏門に入る「尼」。情報過多といわれ、多すぎる選択肢に翻弄される女性が少なくない今の時代、彼女たちの生き方から学べることがきっとあるはず。今回お話を聞いた英月(えいげつ)さんは、真宗佛光寺派の大行寺(京都市下京区)で生まれ育ち、僧侶とお見合いをすること約35回。一時的に聴力を失うほどのストレスに見舞われ、家出をして逃げるように渡米したものの、最終的には日本に戻り実家のお寺を継いだという波乱万丈の経歴を持つ女性です。そんな英月さんに、「枠にとらわれる苦しみ」と、そこから脱却する方法を聞きました。
アメリカに逃亡し、仕事に明け暮れる日々
――なぜ家出先がアメリカだったのでしょう?
英月さん(以下、英月):海外にでも行かないと連れ戻されてしまう、と思って。なぜアメリカかと言うと、“This is a pen.”なら日本語と英語の両方で言えるから(笑)。中国語やアラビア語では言えないでしょう。2001年のことでした。
勢いで渡米したので、語学学校の受付、カフェやレストランのウェイトレスなど、あらゆる仕事をかけもちしました。家賃すら払えない生活をしていた頃は、年末におせちを作って売ってみたり、ロケ弁を目当てにCM出演したり。ボランティアで日本語のラジオ番組のパーソナリティもやっていました。
――いろいろやられていたんですね……。
英月:実は僧侶になったのも、アメリカに行ったからなんです。「宗教活動家ビザ」欲しさに、渡米した1年後に一時帰国し、出家得度を受けて正式に僧侶になりました。ひどい話ですが、アメリカで生きていくため、手段として僧侶になったんです。
僧侶としての初めての活動は「友だちの猫のお葬式」
――アメリカでは、僧侶としてどんな活動を?
英月:僧侶になって5年ほど経ったある日、友だちの飼っている猫ちゃんが亡くなってしまったんです。悲しむ友だちを見て、「お葬式しようか」というセリフがスッと出てきた。「お別れ会」ではなく「お葬式」という言葉を選んだのは、やっぱり僧侶だったからかなと思います。
当時は知識がありませんでしたが、記憶を頼りにお通夜から四十九日まで、なんとかやりました。一周忌をしたときに、友だちから「お経さん(※)で、私は癒された。きっとほかにも必要としている人がいると思うから、お経さんを写す、写経の会をしてみたら?」と提案されたんです。私は何でも安請け合いするほうなので、本当に始めることにしました。
(※)英月さんは、敬意と親しみを込めて、お経には「さん」をつけているのだそうです。
「写経の会」を通じて気づいた、目に見える拠り所の必要性
――アメリカで「写経の会」とは珍しいですね。
英月: 2007年から月1ペースで始めました。最初はわずか数人の参加でしたが、私が帰国した2010年には、アメリカで暮らす日本人を中心に、参加者は80名ほどになっていて、「お寺を作ろう」という話も出ていました。「写経の会」では写しているお経さんが「拠り所」になるけれど、月1しか機会がない。だから、必要なときに、“目に見えない教え”に出会える「ハコ」としてお寺があったらいいね、と。結局、私は実家を継ぐことになったので、アメリカのお寺はまだ実現していないのですが、「写経の会」は今もアメリカで続いています。また、この会のおかげで、本当の意味での僧侶とならせて頂きました。
突然、弟が言い出した「もう僧侶やめるわ」
――実家に戻ることになった理由は何だったのでしょう?
英月:実家のお寺を継ぐ予定だった弟が「もう僧侶を辞めるわ」と言い出したんです。となると、私がやるしかなくて。一度は家出した身ですが、アメリカでの経験を通じて気持ちが変わっていました。うちにもご門徒さんがいらっしゃるのだから、「弟が辞めたから」という家庭の事情でお寺がなくなってしまうのは、あまりにも無責任、失礼だと。
――継ぐことにためらいはありませんでしたか?
英月:もうアメリカで仕事も仲間も得ていましたから、帰国するのは私にとって損でした。だけど人生を振り返ってみて、「今までは嫌なことを回避してきたけど、それってなんだか悲しい。“自分の都合”に振り回されているだけだ」と思ったんです。それで、継ぐことを決意しました。「日本に帰ってきた」というより、「縁に運んでもらった」という感覚ですね。アメリカへ逃げたからこそ、日本に戻ってくるきっかけができた。最初に渡米してから、9年半の歳月が経っていました。
人が苦しいのは、自分で自分のつくった枠にはめてしまうから
――「写経の会」は日本でも続けられていて、全国から人が集まるそうですね。どんな会なのでしょう。
英月:大行寺では「割ばし写経」を行っています。その名の通り、筆の代わりに割り箸を使うことで、字の美しさを気にせず取り組めるというもの。「きれいに書きたい」という気持ちが先行すると、お経さんというお釈迦様からのメッセージに心を傾けづらくなってしまうんですよね。また、「写経は筆で書く」といった枠にとらわれて書いてしまうのも、もったいないなと思って。社会では、性別や職業など何かと枠にはめられることが多いですが、「枠からはみ出る自分はダメなんだ」と自己否定するのは痛ましい。その枠から出ても、私にはかけがえのない“私としての命”があるんだと、お経さんに心を傾けることで気づいてほしいんです。
「自分は何でも知っている」という錯覚は言い訳に繋がる
――どうしたら、枠にとらわれすぎず、苦しまずに暮らせるのでしょうか。
英月:仏教用語に「無明の闇」という言葉があります。暗いところにいると、まわりも見えないし、自分も見えない。曇鸞(どんらん)という中国の僧は、「セミは春や秋を知らない。では、自分が生きているのが夏だと知っているだろうか」と例えています。これだけ情報が溢れる社会だと、「自分は何でも知っている」と思い込んでしまいがちだけど、それは夏しか知らないセミと同じような状態と言えますよね。
苦しくても何に苦しめられているかわからない、何に迷っているかすら気づけない、実は枠にとらわれていることがわからないんです。そういう、自分自身が見えていない状態が「闇」です。そして、闇の中で「今の自分にとって何が都合がいいのか」という方向に流されてしまい、結果的に自分を苦しめることになるんです。
自分の枠から抜け出すために必要なのは「鏡を見ること」
――では、夏を夏だと知るセミになるためには、どうしたらいいのでしょう。
英月:自分の都合を拠り所とするから、苦しみ、迷うんです。例えば一日の中で少しの間でも仏様を念じることで、いかに自分が自分の都合に振り回されて生きているか、初めて気づくことができます。自分の生きてきた経験や知識……日常生活で物事を判断する基準をすべていったん端に置いて、ただ頭が下がるという行為は、実はすごいんです。それを朝と夜にするだけで、意識や生活が変わっていくと思います。
――日常の中に仏様への気持ちを取り入れる、と。
英月:鏡を見てほしい。お経さんというのは鏡のように、自分を映し出してくれるものなんです。理想としては、家に、仏壇や「南無阿弥陀仏」と書いた紙など、何か手を合わせるものがあると理想的ですが、抵抗があるなら鏡を見て自分と向き合うだけでもいいんです。とにかく、一日の中に立ち止まって自分と向き合う時間を持つことが大切です。
■関連リンク
「大行寺」※「写経の会」「法話会」に関しては「大行寺」HPをご確認ください。
ブログ 「この世の極楽。」
(鈴木梢/プレスラボ)