「自分の知らない世界をたくさん残したまま、このまま医者になってもいいのかな? 10年先がなんとなく見えている人生。決められたレールの上を歩いていくような感覚を、怖いと思った」
研修医修了と同時に世界旅行に出発、約3年間で52ヵ国を旅した中島侑子(なかじま・ゆうこ)さん。その経験を一冊にまとめた『医者のたまご、世界を転がる。』(ポプラ社)が5月12日に刊行されました。
「人生をリセットするため」「充電するため」「ただ、ぼーっと過ごすため」飛行機のチケットだけ手配して、あとは特に準備もなくひとりふらりと旅に出たくなる。そんな衝動に駆られることはたまにあるもの。今回は中島さんに、「女のひとり旅」をテーマに印象に残った旅先についてエッセイを綴っていただきました。最後に『医者のたまご、世界を転がる。』からとっておきのエピソードを一部、掲載いたします。
思わず伸びをしたくなる開放感
初めての国境越えは、チベットからネパールへ抜けるものだった。常に中国の軍隊に見張られていたチベットでの緊迫感から解き放たれ、「うーん」と思わず伸びをしてしまうような身軽さを感じた。5月末、ちょうど夏と雨期が始まろうとしていたネパールは、うだるような暑さと湿気だった。
首都カトマンズはそんな気候に負けないくらい活気に満ちていた。通りを闊歩する物売りのかけ声、食堂から醸し出される香辛料の匂い、各国からの旅人たちの様々な言語。久々に訪れたアジアの喧騒に、心がどうしようもなく踊るのを感じた。
旅初心者にこそおすすめの旅先
約3年間世界中を放浪してからというもの、よく聞かれるようになった。
「このお休みでどこの国に行ったらいいと思う?」
私は、聞いてくれた人の休暇の長さ、旅の経験値、欲しているもの(快適なビーチ、アジアのような喧騒、民族との触れ合いなど、それは十人十色)を統合して考えて、私の知っている範囲内でお答えする。そう考えるとネパールは、旅の玄人でも楽しめるが、特に旅初心者や女性ひとり旅の方に最適な国の一つだと思う。
日本から近く、物価が安く、治安は比較的安全で、基本的に英語が通じ(時には日本語も通じる)、可愛い雑貨やカフェがたくさんあり、食事は美味しく、アウトドア天国でもあり、現地人はもちろんのこと、世界各国からの旅人と触れ合える。
喜怒哀楽が凝縮されたひとり旅
ひとり旅をしていると、自分と向き合う時間がたくさんある。移動中のバスの中、散歩しているとき、カフェで黄昏ているとき、ふと「自分」というものを見つめなおす。知らない道に迷い込んだとき、代金をぼられかけたとき、言語が全く通じず不安なとき、いつもは現れない小さな弱い自分を発見する。
人から優しさを受けたとき、満面の笑みで微笑まれたとき、誰かに助けてもらったとき、自分の中に温かいものが広がっていくのを感じる。
旅には、喜怒哀楽が凝縮されているのだ。
ネパールで私は、一人の青年と出会った。医者でも看護師でもないその青年が、全村民の命の責任を負っていた。私はその出会いを通じて、日本で普段接していた医療とはまた違った医療に触れ合うことができた。そして、自分を見つめなおすきっかけをもらった。
旅の出会いは十人十色。あなたには、ひとり旅でもしくはネパールで、どんな出会いが待っているのだろうか。
道無き道を歩くこと約1時間。小さく可愛らしい診療所がぽつんと建っていた。
コンコンコン――。ドアを叩いてみたが返事はない。今日の診療は午前中で終わってしまったようだ。仕方がない、お茶でも飲んで帰ろうかと思っていると、お茶屋さんの前に1台のバイクが止まった。
ふと、バイクから降りる青年と目が合った。すると青年は、にっこり笑いながらこちらに駆け寄ってきた。
「ハーイ! きみ、どっから来たの?」
「日本だよ。あなたはこの村の人?」
「うん! その診療所で働いているんだ!」
「えっ!? じゃあ、もしかしてあなたがドクター?」
「ううん、ドクターはこの村にはいないんだ。僕はドクターじゃないけど、あの診療所の責任者をやっているよ!」
こんな幸運があるのだろうか。偶然? いや、運命としか言いようがない!
彼こそが6年間、この診療所で、たった一人で村民全員の命を担ってきた26歳の青年。そして、医者としての私の人生を変える一つのきっかけをくれたプレムである。
「実は私も日本で医者をしていたの。だからこの診療所に興味を持って来たんです」
そう言うと、彼はとても嬉しそうに「この村に日本人の医者が来たのは初めてだよ! ぜひ一緒に働きたいから、明日も来てくれない?」と言った。
こうしてまた明日も診療所を訪れる約束をしたのだが、宿に帰ったその晩、私はドキドキのあまり眠れなかった。
「は、初めての日本人……。つまり彼や村民にとって、私が日本人の医師代表になるってこと?」
私にそんな大役が務まるのだろうか……。
最初はワクワクしていたが、時間が経つにつれ不安ばかりが募っていった。
翌日、待ち合わせの7時半に診療所に行った。主な診療の流れを聞きながら、診察室を見渡した。あるものは机と椅子、ベッド、薬棚、桶だけだった。すごいな、これが全村民の命を預かる診療所なのか……。
早速患者さんがやって来た。その患者さんは英語が話せなかったので、プレムに訳してもらいながら症状を英語でカルテに記載した。
「3日続く発熱、咳、鼻水」……と。
ドキドキしながら診察に移る。喉が少し赤いが腫れてはいない。呼吸音はきれい。心臓の音にも問題はない。ベッドに横になってもらって、今度はお腹を触る。硬くない。痛みで顔をしかめるようなこともない。拙い英語でプレムに身体所見を伝える。
「オッケー。じゃ、なんの薬を出す?」
……へ? 予想斜め上からの問いに、思わず自分の耳を疑った。ちょ、ちょっと待って、薬も私が決めるの? ネパールの薬なんて、何もわからないんですけど!?
慌てふためく心のうちを患者さんに見透かされないように、平静を装って薬棚の前に向かう。見たこともないパッケージに、聞いたこともない英語の羅列。うん、さっぱりわからない。悩んだ挙句、このような病気が疑われるからこのような薬を出したいとプレムに説明し、薬を選んでもらうことにした。
「よし、じゃあこれでいこうか!」
プレムは薬の作用を一つずつ丁寧に患者さんと私に説明してくれた。結局その日は10人ほどの患者さんを診察し、お昼に診療所を閉めた。
(中略)
大学病院に勤めていた頃、一人で患者さんを診るなんてことはまずなかった。隣には常に相談できる上司がいたし、大抵の検査はできた。
週1回だけ当直に行っていた都内の病院は、夜間は医者は私一人しかいなかったけれど、看護士も放射線技師もいたし、手術の必要があれば外科の先生が飛んで来てくれた。それでも、普段働いていた大学病院とは違った重圧を常に感じていた。
ちなみに、沖縄で従事していた救急ヘリは、現場に行く時は基本的に医者一人と看護師一人だけだ。血圧や脈拍、体の酸素濃度は測れるが、最低限の機材しか備え付けられていないし、使える薬も限られている。ヘリの要請がある度に緊張するし責任の重さを感じる。しかし、そうは言っても、患者さんをヘリに乗せれば後は大きな病院に搬送することができる。
でも、プレムは違った。本当に一人なのだ。この診療所にはプレムしかいない。どんなに大変な事態が起きたとしても、ヘリは来ないし救急車も来ない。外科の先生が駆けつけてくれることもない。一番近い村まではトレッキングで1時間かかる。「陸の孤島」――そんな表現がぴったりな場所……。
そんな中、26歳の医者でも看護師でもない青年が一人で全村民の命を担っている。その責任の重圧は想像を絶するものだろう。
「怖くないの?」
思わず、プレムに聞いてみたことがある。すると、彼は笑ってこう言った。
「怖かったよ。でも、もう慣れた」
その優しい笑顔の奥には、きっとたくさんの試練やドラマがあったのだと今になって思う。
■イベント告知
1:【「人生に選択肢を。」~女性1人旅の魅力~】
日時:5月14日(土)11:30~13:00
場所:H.I.S.旅と本と珈琲とOmotesando
※参加には事前に申し込みが必要です。詳細はこちらをご覧ください。
2:【3年間世界一周した救命救急医と87か国旅した美人OLのトークショー】
日時:5月15日(日)12:00~13:30
場所:H.I.S.新宿本社
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