――1995年。女子高生たちを熱狂させ、最盛期には40万部を超える発行部数を記録した、ある雑誌が誕生した。その名前は『Cawaii!』(主婦の友社)。森本容子や福長優ら超人気読者モデルを輩出し、一世を風靡した同誌の創刊と最盛期、そして2009年の休刊に至るまでの歴史を描いたのが『ギャルと「僕ら」の20年史―女子高生雑誌Cawaii!の誕生と終焉』(亜紀書房)だ。
その刊行を記念して、著者の長谷川晶一氏、アイドル評論家の中森明夫氏、『ギャルと不思議ちゃん論―女の子たちの三十年戦争』(原書房)の松谷創一郎氏を迎えてトークイベントが行われた。一大ブームとなった『Cawaii!』を作り上げた編集者たちの人生ドラマと、ギャルたちの熱狂をひもといていく。
女子高生ギャルブームを盛り上げた男性編集者たち
『ギャルと「僕ら」の20年史』でも語られているように、『Cawaii!』が誕生した95年は空前絶後のコギャルブーム。プリクラやルーズソックスなど、女子高生たちが発信したトレンドが社会で大きく認知され始めていた。
こうしたブームを『Cawaii!』という雑誌に変えたのは、意外にも男性の編集者であった。それが敏腕編集長として知られ、現在は主婦の友社の社長をつとめる荻野善之氏だ。
彼は日々女子高生たちへの綿密なリサーチを繰り返し、彼女たちの爆発的な熱量を体現した雑誌を世に送り出したのだった。
中森明夫氏(以下、中森):この本を読んで、僕はやっぱり荻野さんという人はすごいと思ったな。読者である女子高生の実態がわからないなかで、手探りで雑誌を作り上げていく。しかも、どこかのタレントを連れてきて表紙にするんじゃなくて、女子高生たちの熱量をそのまま表紙にしようとするその姿勢が、もうすごい。
松谷創一郎氏(以下、松谷):『egg』(大洋図書)など他のギャル誌と比べると、『Cawaii!』は特集がしっかり組まれていて、ちゃんと「雑誌」になっていましたよね。『egg』は卒業アルバムをそのまま載せたような、編集力よりもインパクトの強さが記憶に残っています。同人誌みたいな印象でした。
中森:『Cawaii!』が格闘技だとすると、『egg』は街の喧嘩という感じだったね(笑)。
長谷川晶一氏(以下、長谷川):主婦の友社って、社名の通り、女性にしっかりと発言権がある会社だということは間違いなくて。そのなかで男性編集者は、いかに自分の立ち位置を作るか、入社したときからのそれぞれ宿命のように考えているんです。ですから、男性が各々の興味分野を掘り下げ、アイデンティティを求めながら、企画を考えていた。その結果として、『Cawaii!』のような雑誌が生まれたんじゃないかな、と。
中森:男性編集者がなぜここまでできたのかと考えると、やっぱり女子高生に対するリサーチが徹底しているから。女性たち自身が声をあげるのも大切だけど、やっぱり優秀な男性が「他者としての女性」の気持ちをくみあげる、その過程にこそ面白いコンテンツづくりの秘訣がある気がするんだよね。
他の雑誌とは違う『S Cawaii!』の強烈なメッセージ性
こうして荻野氏によって作られた『Cawaii!』は、発売当初から話題を呼び、やがて姉妹雑誌『S Cawaii!』を刊行するまでになった。この『S Cawaii!』を牽引した編集者も、荻野氏と同じく男性であった。天才編集者と呼ばれる國場一成氏である。彼は安室奈美恵、浜崎あゆみなどカリスマ的な人気を誇った歌手らと誌面をつくりあげ、雑誌は絶頂期を迎える。
中森:國場さんの存在は、編集者の歴史においてもう伝説と言ってもいいんじゃないかと。彼は35歳で亡くなっているけど、最期には安室奈美恵が病室を訪ねてきたり、浜崎あゆみが詞をおくったりしている。
國場さんの最も大きな特徴であり、その魅力はメッセージ性にあると思う。このころの『S Cawaii!』は一般的な雑誌と比べて冒頭の文章がめちゃくちゃ長い。
長谷川:「とにかく長い文章でメッセージを伝えろ」というのが、荻野さんから國場さんへの指示だったんです。もともと、國場さん自身は生涯を通じて「女はとにかく強くあれ」という強い信念を持っていました。マドンナなどアメリカの歌手たちのような生き様ですよね。
そんなとき、ちょうどいいタイミングで安室奈美恵や浜崎あゆみが現れた。彼女たちとうまくリンクして、女性カルチャー誌としては異例の2000字超のメッセージを掲載していたんです。
中森:雑誌を通してメッセージを発信する國場さんと、2000年代の安室、浜崎といったカリスマたちが時代を並走していたよね。彼女たちの音楽を聴きながら、『Cawaii!』を読んでいた女の子は、いっぱいいたんじゃないかな。そういう関係って、今は難しいよね。
松谷:紙の雑誌では難しいでしょうね。昨年、雑誌の売上は8.4%も減少しました。「紙にしかできないことがある」という声もありますが、本当にそうならば雑誌は減らないはず。紙の機能はネットに奪われ、読者もそれで満足しているのが現状です。ただ、「記事」の本数は増えているので、媒体が変わっただけで、需要がなくなったわけではないと思います。
中森:なるほど。雑誌でストレートなメッセージを発するのってなかなか難しいと思いますが、『Cawaii!』という女子のカルチャー誌でそれが実現できたことは興味深いですね。
長谷川:『Cawaii!』では毎日、夕方に編集部を開放していました。そこに、入りきらないほどの女子高生たちが集まって、話をしていく。本当に仕事にならないくらいだったんですよ。逆に言えば、そこで彼女たちの声に耳を傾けることこそが編集者の仕事だったわけです。
周囲の大人が聞く耳を持ってくれずに、彼女たちのなかには「言いたいけど言えないこと」がたくさんたまっていました。そんななかで、唯一耳を傾けてくれたのが編集者だったんだと思います。
もっとかまってほしい、もっと自分の言うことを聞いてほしい。そんな承認欲求が学校や家庭では満たされなかった子たちにとって、代わりに怒り、導いてくれたのが『Cawaii!』であり、荻野さんであり、國場さんだったのではないでしょうか。
読者モデルを通じて「参加できる」雑誌づくりを
女子高生たちの心をとらえた『Cawaii!』の快進撃を支えたのは、その強いメッセージ性だけではなかった。彼女が「自分たちが雑誌をつくりあげている」と感じられる“仕掛け”が存在していた。それは「読者モデル」だ。
女子高生たちは、読者モデルとして競うように雑誌に登場した。また、読者はお気に入りの読者モデルに投票し、編集部はその結果をもとに、次号に登場するモデルを決めていく。こうして人気を集めた女子高生のなかには、「カリスマ読者モデル」として有名になる者もいた。雑誌が「参加型」のコンテンツとして、女子高生たちの心をとらえたのだ。
中森:『Cawaii!』は発行部数が40万を超えたころは、その世代の女子がほとんど読んでいることになる。だから誌面に出ることができれば、たちまちその世代の有名人になって、街で「写真とってください」なんて言われるようになるんだよね。
松谷:『Cawaii!』ではありませんが、そうしたムーブメントのなかから、押切もえさんや益若つばささんといった人気の読者モデルが出てきたわけです。
中森:街から女の子たちを集めてくるのは編集者たちだけど、読者モデルとして売れるかどうかを選ぶのは、読んでいる女の子たちだというところに面白さがある。
長谷川:どの読者モデルが誌面を飾るかは、読者アンケートの人気投票が大きく影響していましたからね。
中森:まさに今のAKB48と同じだよね。僕はこれを「いけす理論」って呼んでいるんだけど。つまり、いけすにたくさんの鯉が泳いでいて、どの鯉が良いかわからない。例えば、米倉涼子や上戸彩が所属していることで知られる芸能事務所・オスカープロモーションには、実は登録しているタレントが2000人くらいいるんですよ。どの子の人気がでてくるかは社長にだってわからない。ワッとたくさんの子たちがいるなかで、自然と明らかになっていくんです。
『Cawaii!』の場合も、この「いけす理論」を徹底したんですよね。読者である女子高生から人気を集めた子を使うという。
長谷川:4代目の編集長が、ちょうどファンの間で注目され始めていたAKB48の板野友美を起用したんですが、それも象徴的な出来事ですよね。
中森:それってまだAKB48のブレイク寸前ですよね。
松谷: AKB48のブレイクまで続けていたら、休刊にはならなかったかもしれない。そう思うと、もったいない気がしてしまいますね。