映画『湾生回家』 黄銘正監督インタビュー

1000円だけ持って日本に送還された 「自分が何者なのか」を考え続ける、台湾生まれの“異邦人”たち

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1000円だけ持って日本に送還された 「自分が何者なのか」を考え続ける、台湾生まれの“異邦人”たち

若い女性に大人気の旅行先、台湾。親日家が多く、日本人に優しい人々の温かな対応が多くの旅行者を引きつける大きな理由の一つだ。

かつて日本の植民地支配を受けていた台湾に、なぜ親日家が多いのか。「言葉で説明するのは難しいけど、台湾を一度訪れてもらえれば、日本との特別な結びつきを感じ取ってもらえると思う」と言うのは、ドキュメンタリー映画監督、黄銘正(ホァン・ミンチェン)さん。昨年台湾でドキュメンタリーとしては異例の大ヒットを記録した映画『湾生回家』(わんせいかいか)を手がけた人だ。

「湾生」(わんせい)とは戦前に台湾で生まれ育ち、戦後、日本に送還された日本人のことを指す。引き揚げの際に許された持ち物は、わずかな衣類や布団、そして上限1000円の現金のみ。生活基盤のなかった人も多く、戦後の荒廃した日本に投げ出された彼らは大変な苦労を強いられたという。「祖国は日本でも、故郷は台湾だ」と語る湾生たち。『湾生回家』は、戦後約70年の歳月を経て、台湾に“里帰り”した彼らが懐かしい友人や場所を訪ねて歩く姿をカメラに収めている。

湾生回家

(c)Tanazawa Publish Co., Ltd.

日本でドキュメンタリーと言えばミニシアターで上映されることがほとんどで、観客の年齢層も高い傾向があるが、本作は台湾で若者たちの支持も集め、徳島県に暮らすある湾生の自宅には、若い女性ファンがわざわざ訪ねてきたこともあるというから驚く。台湾の人々は湾生の姿に一体何を感じたのか? 先頃開催された大阪アジアン映画祭のため来日した黄監督に、ヒットの裏に見える台湾人の心情を聞いた。

台湾が抱える「異邦人」の心情

――『湾生回家』をプロデュースした田中實加(台湾名・陳宣儒)さんは、台湾在住の画家で、長い年月をかけて湾生たちの物語をたどり、それをまとめた同名の著書もベストセラーになりました。映画化にあたり、黄さんが監督を依頼されることになった経緯を教えて下さい。

黄銘正監督(以下、黄):2013年の1月頃、田中さんの映画作りに賛同したもう1人のプロデューサーと同郷だったことから監督を依頼されました。「湾生」という言葉はその時初めて聞きました。当初、田中さんは(台湾東部の)花蓮にあった吉野村の日本人移民に限定して歴史的事実を紹介する内容を想定してましたが、私は台湾の観客がそのような映画を見たがるとは思えませんでした。でも、湾生たちの人間ドラマならば撮りたいと思ったのです。彼らが戦後の混乱をどう生き延びたのか? また、台湾でどんな生活を送り、台湾のことをどう思っているのか? 湾生たちの経験を通して、若い世代に何かを伝えられるはずだと考えました。

――この映画が幅広い層の共感をよんだ理由はどこにあると考えますか?

黄銘正監督(以下、黄):私の家の隣に、戦後、国民党と一緒に中国から渡ってきた「外省人」が住んでいました。南京での日本軍のひどい所行を見ていた彼は、日本人については厳しい言葉を口にしました。でも、「戦争中はどんなことでも起こり得る。悪いのは中国が弱すぎたことだ」と言って責めはしなかったのです。私は、そんな外省人たちもまた、台湾に流れ着いた「異邦人」だったのだと思います。それは日本に渡ることを強いられた湾生たちと似ていて、私はある意味、台湾全体が「異邦人」のような状態にあると感じているのです。

映画で(湾生のひとり)家倉多恵子さんが、「日本で暮らす自分はずっと異邦人のようだった」と心情を吐露するシーンがありますが、私も聞きながら泣きそうになってしまいました。それは、彼女の言葉が多くの台湾人の心情と重なるからだと思うのです。

黄銘正監督

黄銘正監督

「自分は何者なのか?」という想いに共感

――『湾生回家』は若い世代からも支持されたと聞いていますが、なぜだと思いますか?

:それは、この映画が人の感情の最も根本にあるものを探し求める作品だったからではないでしょうか。湾生の多くは、「自分は何者なのか」という問いの答えを探しています。台湾で生まれ育ったのに、なぜ日本に行かなくてはならなかったのか? 自分はどこから来て、これからどこへ行くのか? 自分は一体、何者なのか? それはこの世で最も基本的な哲学的問題でもあり、この映画に引きつけられたのは何も若い人だけではありません。

――映画では、湾生たちがそれぞれ何か答えを探し求める姿がとらえられていますね。

:人生が終焉に向かおうとしているとき、旧友を訪ねてまわる湾生もいれば、台湾の陽の光やエネルギーにもう一度触れたいと願う湾生もいる。なかには、自分を台湾に残して日本に渡った母親を捜し求める人もいる。最後に彼らは探し求めたものに再び会うことができるのだろうか? この映画は、そうしたある種ドラマ的な手法で湾生のストーリーを語り、観客が映画に引き込まれるよう試みました。

――黄監督は1970年生まれでいらっしゃいます。台湾では47〜87年の40年間にわたって(蒋介石とともに中国からやってきた)国民党による戒厳令が敷かれていましたが、その言論統制の下で教育を受けた監督の世代と、今の若者とでは、日本に対する感覚も随分違うのではないでしょうか。

:そうですね。私の子供時代を振り返ると、小さい頃から、祖父母がよく日本語で話しているのを聞いていました。特に、まわりに聞かれたくない秘密の話は日本語だったのを覚えています。それから、朝ご飯にはいつも味噌汁が食卓に上がっていて、私は味噌汁を台湾のスープだと思って育ちました(笑)。建築、食べ物、言葉、文化。日常の中にいつも日本の影響を感じて生活していました。ですが、学校で教えるられる内容は全く異なり、日本は悪者だという教育を受けていました。こうして私たちは裏と表があることを感じ取りながら育ってきたのです。

――自由化が進んで以降に教育を受けた世代は随分違いますよね。

:今の若い世代は全く違います。どんなものも閲覧して知ることができます。自信に満ちていて、政府も彼らをコントロールすることなどできません。以前は顕著だった「外省人」と「本省人」(戦前より台湾に居住する台湾人)の壁も今ではほとんどなくなり、皆が台湾人として暮らしている。とても良い変化だと思います。

台湾では、今年1月の総統選挙で独立志向の強い民進党の蔡英文主席が大勝。若い世代を中心に、「台湾人意識」が高まりを見せている。「自分は何者なのか」の答えを探し求める湾生の姿が感動を呼んだのは、歴史の荒波に揉まれてきた台湾人たちのアイデンティティーの変化と無関係ではないはずだ。

■作品情報
『湾生回家』
公開:今年秋、岩波ホールで公開予定。
配給:太秦

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