「『いちばんのなかよし』が女の子にとって、最大の関心事であるとすれば、男の子にとっては、『誰が一番強いか』が最大の関心事と言っていいだろう」
日本人の心という課題に生涯取り組み続けたユング心理学者、河合隼雄先生が、著書『子どもの本を読む』のなかで書き残した言葉です。昔の本ですので、男と女という大問題について、早急に結論を出してしまっているきらいはありますが、一つの指針にはなるかと思います。
「誰が一番強いか」を競い続ける男たち
私が子供の頃を振り返っても、夢中になって読んだ漫画は『ドラゴンボール』『聖闘士星矢』『幽遊白書』など、男の子たちが『誰が一番強いか』を巡って、戦い続けるものばかりでした。
まぁ、痛い思いや、恥ずかしい思いをして、大概の男が「誰が一番強いか」というゲームから早々に退場してしまいます。だから、男が英雄物語が大好きなのは、かなわなかった願い、なれなかった自分に対する代償行為なのですね。
そんな英雄譚のなかで、日本の男が最も好むのが、広大な中華大陸を舞台に、数多の豪傑が大暴れする三国志。そして、この物語中、間違いなく最高の人物だったのが曹操です。
戦争の天才なうえ、時代を画する政策を次々に打ち出した偉大な政治家。文才にも秀で、その文名は息子の曹丕・曹植とともに、中国の文芸史に燦然と輝いています。
そんな男の夢という夢をかなえ尽くした感のある曹操ですが、たった一人、およそ退くということを知らなかった彼を恐れおののかせ、手もなく退かせた人がいます。
それが、彼の妻、丁夫人です。
曹操の第一夫人、第二夫人
彼女は曹操と同じく譙(安徽省)の生まれで、名家丁氏の女性でした。残念ながら名前は分かっていません。年齢は多分曹操の五才下くらい。
お嬢様育ちで気が強かったらしく、歌妓あがりの第二夫人、卞氏はずいぶんいじめられました。しかし、一方、母性愛も強い女性で、別の女性が生んだ曹昂を実母の死後に引き取り、愛情をもって育てあげています。
やり手の男のもと、彼女はまずまず幸せな日々を過ごしていました。
ところが、197年、丁夫人を激怒させる大事件を曹操が起こしてしまいます。きっかけは昨今、ちまたで何かと話題になっている不倫でした。
兄嫁と不倫を始めた曹操
曹操は、張繍という宛(河南省)を領土としていた群雄を攻め降伏させたのですが、彼の亡くなった兄の嫁、雛氏と不倫の恋をはじめてしまうのです。ワンアウト。
激怒した張繍は、曹操軍に奇襲をかけます。ツーアウト。
道ならぬ恋にひたって、油断していた曹操は散々に打ち破られ、息子の曹昂が身代わりに壮絶な戦死を遂げてしまいます。はい、スリーアウトですね。
曹操、42歳、気力・体力充実し、得意の絶頂にあった時期の出来事でした。
第一夫人の実家に謝りに行く曹操
ズタボロになって帰ってきた曹操に待っていたのは丁夫人による罵りの声でした。
「私の子を死なせておいて、何故そんなに平気な顔でいられるの!」
ことあるごとにそう言って責めたてます。初め我慢していた曹操もついにたまりかね、一度丁夫人を実家に帰しました。そして、「もう落ち着いたかな?」と頃合いを見て、自分の故郷でもある譙に迎えに行きました。
この頃の豪族の家は、男たちが社交する場所と、女たちが生活する場所は「戸」で区切られていました。曹操は、まず丁家の男たちが心配顔で集まっている表座敷の「堂」で不始末の説明と謝罪をしたあと、奥にある女性たちの部屋「室」に向かったはずです。
豪族は牧畜や農業、漁労や工業など、さまざまな産業機能をそなえた荘園という企業の経営者でもあります。そして、男女で何に携わるかについては、性別によって厳格に定められていました。
男は開墾、耕作、栽培、家畜の飼育、狩猟、そして戦争。
女は食料の貯蔵、種子の保存、料理、育児、桑の栽培に養蚕、そして機織り。
背を向けて機を織り続ける第一夫人
曹操が男の世界から、女の世界へ「戸」を潜ったとき、
カタン、コトトトン
その機織りの音が聞こえてきました。
『四民月令』によれば、機織りは旧暦の6月、夏の盛りに行うことだったようです。蝉しぐれが聞こえるなか、外では光に満ちた風が、青々とした麦畑、照るように葉を茂らせた桑畑の間を、吹き過ぎています。妻の部屋に着くと、彼女はこちらに背を向けて、静かに自分のやるべき事に向かいあっていました。
カタン、コトトトン
戦場で鳴る剣戟や矢弦の音とは違う、秩序正しく清潔な音。
曹操はいつになくまごつく自分を感じました。汗ばむのも夏の暑さのせいばかりではありません。
それでも、勇を振るって進むと、そっと妻の背中をなでました。
「こっちを向いて。さぁ、一緒に帰ろう」
しかし、丁夫人は決して夫の方を向こうとはしません。手は休まることなく杼を走らせ、足はリズミカルに踏み木を踏み続けています。
カタン、コトトトン
黄帝の時代から文革まで、中国の女たちが紡ぎ続けてきたとてもとても神聖な音。
編みだされる模様は、人間を創ったという伝説の女神、女媧でした。彼女は土塊をこねて人間を作り、男神たちの争いで破れた青空をつくろい、大地の裂け目を縫いとじました。しかし、人間も神々も何一つ感謝しなかったために、過労と失望のために息絶えたのでした。
曹操はあとずさりしました。
「まだ、許してくれないというのかね」
カタン、コトトトン
狡猾な劉備の策謀と裏切りに対しても、美しい周瑜の赤壁の業火に対しても、決して怯むことのなかった男の心は、千々に乱れていました。しかし、見慣れたはずの小さな背中は、今や絶対的な「No」を語っています。
「じゃぁ、本当にお別れだ」
振り絞るように言った言葉ですが、不覚にも語尾は震えてしまいました。
第一夫人と第二夫人の友情
こうして二人は別れることになりました。夫婦の物語としてはこれで終わりですが、実はこの話にはもう一つ、女たちの友情というテーマがあります。
離婚後、繰り上がり当選といった感じで、正妻の座におさまった卞氏ですが、いじめられていたにも関わらず、四季折々に丁夫人へ贈り物をして、曹操が留守のときは「姐さん、遊びにいらっしゃいよ」と屋敷の「室」に招いたというのです。
家の差配について丁夫人から助言を聞きたいという現実的な事情もあったでしょうが、それ以上に卞氏は、この感情の激しく、意志の強いお嬢様のことが人として好きだったのですね。
最初は訝しがっていた丁夫人もそのうちに心を開き、卞氏と打ち解けて交際するようになりました。
少し後の時代になりますが、『抱朴子』はこのような女性たちの自由な交際について、早朝に家を出、深夜になって帰ってくる、往来で杯のやり取りをして、道中でも管弦を奏でていると、嘆きながら書き記しています。
男の仕掛ける様々な頸木にもめげず、三国時代の女性は元気一杯、時に男をひれ伏せ、三行半も突き付けられる権威と自由を有していたのです。
最期まで第一夫人が忘れられなかった曹操
丁夫人と卞氏は冒頭の言葉を借りれば、女の子にとって一番大切なこと「いちばんのなかよし」の姿をお互いのなかに見出したのかもしれません。その絆は死ぬまで変わることなく、丁夫人が亡くなったとき、卞氏は曹操に言って、首都、許都の郊外に手厚く埋葬させています。
一方、曹操は丁夫人については、いつまでもめそめそこだわっていたようです。
「あの世で曹昂に「私のお母さんはどこですか」と聞かれたらどうしたらいいんだろう」
220年、彼はそう嘆きながら息を引き取りました。才能と大骨の割に、結局、劉備と孫権を心服させることも屈服させることも出来ず、天下を取れないままの最後でした。
参考文献:『正史 三国志』(陳寿 裴松之著、今鷹真、井波律子訳、ちくま学芸文庫)/『中国古代の生活史』(林巳奈夫著、吉川弘文館)/『図説 民居―イラストで見る中国の伝統住居』(王其鈞著, 恩田重直訳、科学出版社東京)/『中国女性の歴史』(シャルル・メイエール著、辻由美訳、白水社)/『抱朴子』(葛洪著、本田済訳)
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