現代文講師・出口汪インタビュー

女は感情的、男は論理的は本当なのか? 人気現代文講師に“論理力”を聞く

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女は感情的、男は論理的は本当なのか? 人気現代文講師に“論理力”を聞く

「女性は感情的、男性は論理的」という言説がよく聞かれます。その偏った意見にムっとするものの、自分は論理的な思考ができているかというと即答できないものではないでしょうか。東進ハイスクールの現代文講師であり、著書を多数出版されている出口汪さんは、「論理力に男女の別はない」と断言します。しかし同時に、「男女は関係ないけれど、“論理的に物事を考えられている”人間はかなり少ない」とのこと。現代文の読解のスペシャリストである出口さんに、ビジネスに役立つ論理力についてお話を伺いました。

問題なのは、性別ではなく“言葉”

――一般論として「男性はより論理的で、女性はより感情的だ」とよく言われますよね。出口さんは実際に男女で思考の違いがあると思われますか?

出口汪さん(以下、出口):基本的には「女性のほうが感情的である」というのはないと考えています。かつて、女性が家庭に入り、社会との接点が少なかった時代には、論理的に物事を考えるよりも自分の感覚で物事を処理するということもあったと思うのですが、今は女性も男性と同じように社会に出て働くということが普通になっていますし、男女差というのは考えなくていいと思います。

また、「男性は論理的なのか」と考えたとき、ネット上などでのケンカや議論を見ると圧倒的に男性が多くて感情的な言葉をまき散らしていますよね。だから僕は思考の違いというのは男女差というよりも、「言葉」の問題だと思っています。

言葉には「感情語」と「論理語」がある

――言葉ですか。

出口:僕は言葉には「感情語」と「論理語」があると思っていて、これらは全く違う言葉なんです。「感情語」というのは先天的なもので、たとえば赤ちゃんが泣くのも「感情語」なんです。元々肉体にこもったものを音にしているだけで、何かしてほしい、とか不満があったり、とか「泣いたらそれを察して解消してほしい」ということで、犬や猫が鳴くのも一緒ですよね。それに対して「論理語」というのは言葉で世界を整理するものです。

たとえば男と女、というのも外観の情報を論理で整理した言葉、つまり「論理語」であって、これは人間にしかできないことなんです。「論理語」というのは身近なところでは上と下、とか空と海とか、右と左とか、イコールの関係とか対立関係を示すもので、そこからカオスを整理して社会的生活を行っていく、これは後天的に学習訓練によって身につけるものなんです。

「むかつく」「ヤバい」「微妙」は赤ちゃん言葉

出口:感情語である「むかつく」とか「うざい」などを使っている人も多いと思いますが、「むかつく」っていうのは赤ちゃんと同じなんですよね。自分の中に不満がある。それを説明にするにあたって「オギャー」というのか「むかつく」といってるかの差でしかありません。

「むかつく」は誰かに察してほしい、解消してほしい、という言葉。そうした「感情語」を中心とした言語生活している人は当然感情的になっていきます。論理的に物事を伝えようとせずに、感情語で「むかつく」「ヤバい」「微妙」って言っても仲のいい周辺の人は分かってくれるかもしれないけど、社会に出ると年齢も立場も違う人には伝わらない。伝わらないのなら我慢をする、そして我慢ができなくなると突然キレたりする。男性でも論理語を使えない人はカーっとなりやすいし、それは男女の差ではないわけです。

「むかつく」原因を整理すると、自然と感情はおさまる

――たとえば「上司に理不尽なことを言われてむかついている!」と言う感情をどう論理にすれば良いのでしょうか。

出口:「むかつく」っていうのは自分が嫌な思いを察してほしい、あるいはその上司に対しては我慢しなきゃいけない、って状態です。論理語を使える人というのは「自分の不満の原因はどこにあるのか、上司の言動にはどこに非があるのか。それに対して周囲に納得のいく説明をしよう、そして自分はどのような行動を取ったらいいのか」と考えられるし、相手ともうまい関係を作れるような言葉の使い方をします。

むかつくという原因を整理すると、自然と感情っておさまっていくんですよね。「むかつく」という言葉だけではその人が不満だってことしか分からない。

「感情語」ばかり使ってしまう人に欠けているものは「他者意識」

――その差が男女の問題ではないとしたら、「感情語」しか使えない人と「論理語」が使える人の差というのは何なのでしょうか?

出口:論理語というのは学習訓練によって修得するものですから、感情語しか使えない人は訓練を今までせずに何でも「むかつく」で済ませるような言語生活をしてきたってことです。

――それは年長者や親や友達から注意されてこなかったってことなのでしょうか。「感情語」しか喋らなくても世の中を渡れていた、とか、注意してくれる人がいなかったとか。

出口:「感情語」だけでやっていけるっていうのは友達同士とか恋人同士とか、すごく狭い集団の話なんですよね。家族間だったら説明しなくても単語だけでも何となく通じる。実際は深く理解はしていないんだけど、何となくコミュニケーションできるし生活は困らない。学校でも狭い友達のグループだけでコミュニケーションをしていると、それほど支障もないし危機感を持たないと思うんですよね。

それが社会に出て、初めて会う人や大勢の人と話すとき、もっというとグローバルな社会で外国の人と話すような機会ができると論理的に話す必要が出てくる。「他者意識」と僕は言っているんですが、本当は人間というのは相手のことはそう簡単には分からないし論理的に説明しないと伝わらないものなんです。

だけど、「他者意識」がないと自分が言えば相手は分かってくれると思ってしまう。分かっているように見えても、それは分かっている振りをしているだけかもしれない。「他者意識」がない人は狭い集団の中では生きられるんだけど、社会に出ると通用しなくなってしまいます。

それは環境の問題でもあるし、その人の生き方の問題もあるけど、解決する唯一の方法は文章を読むことなんですよね。僕は30何年間ずっと日本の国語教育は間違っていると言ってきていますが、国語の教科書を自分流に読んで、何となく問題を解いてフィーリングや感覚で問題を処理して、好きか嫌いかという自分の狭い価値観で消化する、という勉強しかしてこなかった人にはなかなか論理力は身につかないかもしれない。

論理力は、筋道を追うことで身につけられる

――先生は著書で、「現代文の入試問題は論理力を身につけるための最適な教科書」とおっしゃっています。それはなぜでしょうか。

出口:他者に対してものを伝えようと思ったら、会話であろうが文章を書く場合であろうが、筋道を立てないと広い世界に伝わっていきません。

その文章の作者、もしくは著者は不特定多数の他者に向けて文章を書いていて、誰が読むか分からないから自ずと筋道を立てて論理的に書いているんですよ。となると文章を読むときは逆に言うと自分の感覚や狭い価値観を一度括弧にくくって筆者の立てた筋道を追っていかなきゃいけないんです。そうすることによってだんだん論理的な頭の使い方ができてくるんです。これが本当の国語力なんですよね。

意識しなくても筋道を立てた話し方ができる、文章を読むと自然に論理が頭に入る、というのが論理力を持っている人で、それを「習熟」と言います。

英会話だって、英語圏に留学し、日常的に英語を使うことはその言語を身につけるための良い手段という認識がありますよね。いかに習熟する環境を作るかということが大切になります。論理も同じで、自分の価値観で好きだ嫌いだ面白いつまらないって処理してしまうことをやめて、その都度論理で考える環境作りが大切なんです。

【後編はこちら】「公道を裸で歩くようなもの」社会で損をする、論理力のない人の振る舞いとは

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