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銭湯の浴室の大きな壁面にペンキで絵を描く、銭湯絵師という仕事を知っていますか?
田中みずきさんは、大学で近代美術史を学ぶ中、銭湯のペンキ絵に魅せられ、21歳の時に銭湯絵師・中島盛夫さんに弟子入りを志願し、8年もの修業を経て、2013年に独立を果たした日本で唯一の女性銭湯絵師です。
銭湯は1970(昭和40)年代のピーク時には、東京だけで約2,800軒もありました。けれど、家にお風呂があることが当たり前になった今、その数は700軒を切るほどに激減し、毎年減り続けています。同時に銭湯絵師の数もどんどん減ってしまい、昔から現役で活躍しているのは、なんと70歳の中島盛夫さんと、80歳の丸山清人さんのみ。
そんな中、現在32歳の若さで銭湯絵師として活動する田中さんは、異例の存在です。銭湯の若者離れが進む中、一体どんな思いで絵を描き続けているのか、お話を聞きました。
「この文化をなくしたくない」やっとの思いで弟子入り
――なぜ銭湯絵師になろうと思ったのでしょうか?
田中みずきさん(以下、田中):大学3年生の時に卒業論文で何を書こうかなと迷って、白い紙に好きな作家さんや作品などを書き出していったんです。その時に好きだった現代アーティストがふたりいて、束芋さんと福田美蘭さん、そのおふたりともが銭湯をモチーフにした作品を発表されていて、彼らが銭湯に注目しているのであれば、銭湯に行ったら、もしかしたら何かみつかるかもしれない。そう思い、人生で初めて銭湯へ訪れてみたんです。
実際に訪れ、大きな湯船に浸かってペンキ絵を眺めていたら、湯船の中からもわ~っと湯気が上がってきて、その湯気が絵の中の雲に重なって、まるで自分が絵の世界の中に入って行くような錯覚を感じたんです。それをきっかけに、ペンキ絵師について調べたところ、ペンキ絵師が減ってきているぞ、ということもわかり、この文化をなくすのはもったいなさすぎる! 50年後、100年後も残したいと思い、銭湯絵師の中島盛夫さんの制作現場に訪れて、弟子入りを志願しました。
――独立までについて教えてください。
田中:最初は、今は弟子をとっていないんだよ、と断られていました。理由は、銭湯自体が減って仕事も減ってきているから、見習いになっても生活ができない。それに、絵師になったとしても食べていけないかもしれないから、ということでした。けれど、めげずに何度も訪ねているうちに、認めてもらえることになったんですが、ひとつ条件があったんです。それが、大学卒業後はちゃんと就職をすること。教えるのは土日だけ、と言われたんです。それで、大学卒業後はずるずると大学院に進み、その後、実は一度美術系の小さな出版社に勤めているんです。でも、結局、体力が続かなくて、1年半ほどでやめて、その後はアルバイトをしながら銭湯絵師の見習いを続けていました。
見習い期の初期の頃は、足場用の木材やペンキなどの荷物運びの手伝いをして、絵を描く姿を見ているだけの期間が続きました。師匠がローラーや刷毛を使って、ささーっと描いている様子を見て、こんなに簡単に描けるのかぁと思っていたんですが、いざ描かせていただくと、よく見ると壁が凸凹していて、ペンキの塗り残しがあったり、ムラになってしまったり、1つの色を塗るだけでも大変でした。その後、ひたすら雲を描き続ける日々が続き、5年ほどで海のグラデーションや小さな松を描かせてもらえるようになり、8年目に男湯と女湯の両方を描かせていただけるようになりました。
完成して明るい空間になった瞬間、本当に良かったと思う
――女性ということでお師匠さんから何か言われたり、デメリットを感じたことはありましたか?
田中:とくになかったですね。それは、私が男兄弟の中で育ったり、小中高と通っていた学校が、かつて男子校だったからか男女差をまったく意識させない校風だったので、あまり女性だからうんぬんということを意識しないまま生きてきてしまったからだと思います。ひょっとしたら言われていたかもしれないんですが、単純に気付いていなかった可能性もありますね。
ただ、仕事は1つの銭湯で朝8時から夜8時ぐらいまで立ちっぱなしで絵を描いているので、とにかく体力が必要です。夏場はクーラーもない中、汗だくになって作業するので、ひたすら次に何をすればいいのかだけに集中しています。
でも、完成して壁の色が新しくなって、キラキラと明るい空間になった瞬間、本当に良かったなぁと思うんです。作業が終わったら、できるだけ翌日か別の日にお風呂に入りに行くようにしていて、その時に湯船の中でおばちゃんたちが「壁が変わったねぇ」「きれいになったねぇ」と話すのを耳にしたりすると、とてもうれしくなりますね。
――女性唯一というだけではなく、銭湯絵師として随一の若手でもありますが、ご自身の役割についてどう思っていらっしゃいますか?
田中:ほかの絵師と比べると年齢も若いので、声をかける人もちょっとしたことが頼みやすいと思うんです。実際、そういったところで、これまで一度もペンキ絵を描いてこなかった銭湯さんがお仕事をくださるケースが増えています。
ラッキーなことに今は、「若者が来たぞ、若いから応援してやろう!」という優しい銭湯のご主人からの依頼が多く、ありがたいですね。
企業商品のPRや外国人向け観光スポットへ
――年間いくつもの銭湯が潰れています。どうすれば改善できると思いますか?
田中:銭湯が減っているおもな理由は、銭湯を経営されている方の高齢化と施設の老朽化があるでしょう。老朽化している建物は直すだけで、何百万、何千万とかかるんです。その工事をしたところで跡継ぎもいないし、それなら直すのをやめて、廃業してしまおうということがとても多いんです。
そんな状況の中で、銭湯絵師ができることは、銭湯でペンキ絵の制作のライブペイントをしたり、銭湯以外の会場でもペンキ絵のワークショップを開催したりして、銭湯に興味を持っていただき、1人でも、銭湯に来てくださる方を増やすことだと思っています。あとは、最近、少しずつ増えてきている、銭湯のペンキ絵で企業商品のPRをしていただくお仕事。そういうことに銭湯を使っていただければ、銭湯にもっと注目を集められると思っています。銭湯が全盛期だった1970(昭和40年)代は、銭湯の壁絵の下の広告や脱衣所に貼られたポスターなどで、いろんな情報を得たりしていた時代もあります。現在は、銭湯で直に情報を得るだけでなく、銭湯を舞台にしたコンテンツをテレビや新聞、ネットを介して広めることができるでしょう。メディアの中にうまく銭湯を組み込んでいくことができれば、銭湯業界の立て直しのきっかけになると思います。

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それから、最近では日本独自の文化である銭湯に興味を持つ外国人の方が増えているので、観光スポットとして案内するという可能性も広げていけたらいいですね。ただ、外国の方はほかの人とお風呂に入るという習慣がなく、入浴までしようか迷っている方は大勢いると思うので、まずは見学だけできるようにして、実際に入りたい人は入れますよ、というような仕組みも必要だと思います。銭湯によっては、午後からの営業で、午前中はあいていたりするところもあったりするので、その時間をうまく有効活用して、受け入れ態勢を整えられたらいいですね。
都内でも小旅行気分を味わえる銭湯の魅力
――ずっと銭湯絵師は続けたいですか?
田中:そうですね。長生きをして、健康でやっていけたら一番いいんですが、体力のことを考えると、50歳か60歳で限界になってしまうのかなぁ。そう考えると、それまでに描きたいという若い人に出てきてもらわないといけないので、時間がなくて怖くなります。
描きたいという若い人が出てきたとして、1、2年で描けるかと言われれば、現場によっていろんなパターンがあるので、やっぱり難しい。でも、現場をたくさんこなせば、わたしのように10年近くもかからなくても、独立できるかもしれません。将来的には若い人が活躍できる場を作ることに力を注げるようにしたいですね。
――最後に、銭湯の魅力を教えてください。
田中:わたしだけかもしれませんが、銭湯に行くと、東京都内でも小旅行した気分になるんです。
たとえ都内でも、地元のおばちゃん同士が話す内容がものすごいローカルな話で、どこか知らない土地に来たという感じがするんですよね。それに私、背が高いからか、地元のおばちゃんたちに「大きいねぇ! おねえちゃん、どこからきたの?」という感じで話しかけられることが多く、その感じがまたおもしろいんです。
それから、就職して働いていた頃に思ったのは、仕事で失敗してしまったとか、疲れたなとかいう時に、大きな湯船に浸かりながら青空の中の富士山をボーっと眺めていると、難しく考えていたことを忘れて、気持ちがぱっと明るくなるような気がしたんですよね。銭湯は時間もお金もかからず、日常の中にあるものです。それでこんなに気分転換できる場所は、なかなかないと思います。