曖昧な夢に向かって全力疾走。でも責任感はなく不器用でお調子者。そして最後はいつの間にかいなくなっている……。あなたの知人や職場の後輩で、そんな若手は今までいませんでしたか?
そんなタイプの若手を「チヒロ」と名付け、「チヒロについて知っておきたい10のコト」という講演を開いたこともあるコヤナギユウさんは、ウェブ制作会社の代表を務めるデザイナー兼イラストレーター兼エディター。これまで、メディアに露出したり本を出版したりするたびに、さまざまな「チヒロ」がコヤナギさんの前に現れ、消えていったといいます。そんなチヒロたちにあるときは失望し、あるときは応援してきたコヤナギさんに、アラサー女性が「チヒロ」と出会ってしまったときの対処法を聞きます。
「ここで働きたいんです!」は美談ばかりじゃない
――コヤナギさんはチヒロの特徴について「突然現れる」「やる気はあるけれど経験はない」「焦っている」「不器用」「調子に乗る」「メンタルが弱い」「そして突然いなくなる」などと指摘しています。これを見たとき、「ああ、そういう若手っているな」と思いました。
コヤナギユウさん(以下、コヤナギ):最初に種明かしをしてしまうと私もかつてはチヒロだったと思うんです。自分にもそういう部分があるから、彼ら彼女らのことがよく理解できるし、同時に同属嫌悪してしまうところもありますね。
「チヒロ」の由来は、2001年公開の『千と千尋の神隠し』。主人公の千尋は湯婆婆のところへ行って働かせてもらいますよね。湯婆婆は悪役っぽく描かれているんですが、映画を観たときにどうしても湯婆婆の方に心を寄せてしまっている自分に気付いたんです(笑)。「ここで働かせてください! ここで働きたいんです!」って言ってる千尋みたいな人、そういえば見たことある……って。ああいう熱さは美談として語られがちです。「やる気のある若者が勇気ひとつを武器に飛び込んだ」「それに応えるのが大人の度量」みたいなね。でも美談の影にずっとモヤモヤを感じていて。『千と千尋』を観たときに、「私の見てきたあの子たちはチヒロだ!」って合点がいったんです。念のために言うと、宮崎駿監督のことは昔から大好きですし作品批評として言っているわけではなくて、違和感を「チヒロ」にたとえるとわかってもらいやすいという話です。
――コヤナギさんが最初にチヒロに会ったのはいつだったんですか?
コヤナギ:私は上京してからしばらくしてライター養成所に通って、当時は編集者の人と名刺交換したり会いにいったりして「ここで働かせてください!」ってチヒロみたいなことをしていました。最初は若者向けのベンチャーの書籍出版社に潜り込んだんですけれど、そういう会社には私みたいなチヒロがたくさん来るんですよね。「なんでもやります! インターンさせてください」って。それで中をガーッとかき回してザーッといなくなるみたいなことがしょっちゅうありました。2000年になる前ぐらいですね。
「ここで働かせてください!」って言う人には大きく分けると2種類あって、苦労を見越して覚悟を持ってそう言っている人と、何も考えずに「考えるより行動だ!」という気持ちだけでやってきて、「なんか大変だし誉めてもらえないからやーめよ」ってカジュアルに辞めていくタイプ。後者が圧倒的に多いんだなっていうのをベンチャーにいるときにつくづく感じました。共通するのは明確な目的が決まっていないということですね。何かの仕事を極めたいというよりも、「有名になって雑誌のインタビューを受ける人になりたい」と思っている人たち。必ずしもそれが悪いとは言わないですけれど。
「弱さ」という強さを振りかざすチヒロ
――「何でもいいからいつか情熱大陸に出たい」って人、たまにいますね。その後、独立してからもチヒロに?
コヤナギ:出版社を辞めて紆余曲折を経て会社を起ち上げたり、インタビューに応えたり、本を出すようになったりしたとき、今度は直接私のところへチヒロが来るようになりました。チヒロの難しいところは、結構仲良くなれちゃうんですよね。向上心はあるし、行動力も勇気もある。アグレッシブに厚かましく自分をアピールしたり、自分の話をすごくしてくるんですよ。
――自分の生い立ちがどうとか?
コヤナギ:そうそう。普通なら他人に話さないような話もどんどんしてくるので、こっちも「すごい話をしてくるな」と思って面白くなっちゃう。でも結局、早い段階で突然いなくなるんですね。「あれ? 突然来なくなった」と思ったらそれっきり。「そろそろ私、~~なので辞めます」って言うことはなく、何も言わずにいなくなる。こちらは「あんなにいろいろ話したのにな、こっちの心の扉も開いて……」って喪失感を覚えるんです。
――『千と千尋』の千尋はみんなにお別れをちゃんと言うので、そのあたりは違うかもしれません(笑)。いなくなるチヒロの言い分は何なのでしょう?
コヤナギ:まあ、「この道じゃないと思った」ってことなんでしょうね。他に行くべき道を見つけたとか、もっと良さそうな引っ張ってくれる人を見つけたとか。あとは後ろめたさもあるんじゃないでしょうか。自分から「ここで働かせてください!」ってすごい勢いでやってきたのに、早い段階で「ここじゃない」って思っちゃったから居たたまれない気持ちになって黙って逃げる……と。
――チヒロは身勝手にも見える一方で、自分の好きなことを周囲の目を気にせずにやっているとも言えます。
コヤナギ:若手のときは自分が一番下なので、チヒロにとってはどう振る舞えばいいかがある意味わかりやすいんですよね。自分以外の人は全員が先輩だから、下に扱われることが「当たり前」で何にも思わないし責任もない。だから自由で身勝手です。去られる方のことを何も配慮しなくていい「弱さ」という強さを振りかざすのがチヒロ。でも、その「おいしいポジション」に慣れてしまってると、責任を与えられたり、自分より若手に出会ったときに苦労するのかもしれません。
最近の若手はチヒロというよりハク?
――ウートピの読者であるアラサーの女性の中には、チヒロタイプの若手に出会って「どう接すればいいのか」「自分の指導方法が悪いのでは?」と悩んだ経験のある人もいるかもしれません。彼女たちにアドバイスするとしたら?
コヤナギ:こちらが気を揉んであげる必要もないので、失礼なことをしたらちゃんと怒ればいいし、いいところは褒めてあげる、と。ただ、他の若手と違ってガツガツ来るので「そんなにアピールするなら仕事を任せようか」って思うんですけど、そこは見誤らないようにした方がいいと思います。見誤って仕事を任せたら、それは任せた方の責任。チヒロもアピールだけして自分では責任を取らず、「だっていきなり仕事振られたけど、私できないです」っていなくなりますからね(笑)。
若手に突然いなくなられたらショックだし、女性は特に「自分がまずかったのかな」って自分を責める気持ちになるかもしれないですけど、結局はチヒロ自身の問題ですからね。そこに振り回される必要もないと思います。ただ、最近の若手は優秀なので、10~15年前によくいたようなチヒロは少なくなっているように思います。
――というと?
コヤナギ:現代のチヒロはさすが情報化社会というか。昔はチヒロにならなければ得られなかった情報って、今はインターネットで得られることも多いです。チヒロみたいに当たって砕けろではなくて、砕けるぐらいなら必死に検索してある程度情報を見極めて、その上で現場にやってくる。淡々とやってきて淡々と話を聞き、自分の欲しい情報は得られたと思ったら淡々とお礼を言って場を乱さずに去っていくと。チヒロというよりもハクなんでしょうね。始めから必要とされる技術もある程度持っていて、川に戻りたいっていう目的をこなして淡々と去っていくハク。彼らは優秀なので「いなくなったな」と思ったら、1、2年で新サービスを起ち上げたっていうニュースを見たりします
――優秀な若手が増えたら増えたで、悩む上司も多いかもしれません。
コヤナギ:後輩との接し方に悩むのであれば、若手だから未熟……みたいな気持ちをまず捨てることだと思います。年功序列の世の中でもなくなりつつあるし、立場上や年齢上は先輩であったとしても、それがいつ逆転するかはわからない。私も「すごく面白いプロジェクトをやってる人がいるな」って思ったら、「僕、コヤナギさんにインターン時代に出会いました」って言われることもありますし。若者が台頭しやすい時代になっているし、情報や人脈を使いこなす基礎力に長けた若手が増えているので、「若手」とタグ付けして「教えて上げる」という気持ちで接するのではなく、人となりを見る力が試されているんだと思います。