女子大生からビジネスパーソンまで、多くの人々を惹きつけてやまない「スターバックス コーヒー」。世界65か国に2万1,000店舗以上を展開する、世界一のコーヒーチェーンだ。
スターバックスが、銀座に第1号店をオープンしたのは1996年。その「日本進出プロジェクト」の総責任者を務めていたのが、スターバックスの日本におけるパートナー企業、「ザザビー」(現・サザビーリーグ)で取締役経営企画室長だった梅本龍夫氏だ。梅本氏が、このほど上梓した『日本スターバックス物語──はじめて明かされる個性派集団の挑戦』(早川書房)には、当時の様子が克明に綴られている。なぜスターバックスは成功したのか? 現在は、立教大学大学院で教鞭をとる梅本氏に、直接伺った。
スターバックスの“生みの親”は、「コーヒーのプロ」ではなかった
――スターバックス コーヒーの、米国での創業は1971年ですよね。「生みの親」はハワード・シュルツ氏と言われていますが、シュルツ氏がスターバックスと出会ったのは、実は創業から10年後の1981年だったそうですね。
梅本龍夫さん(以下、梅本):シュルツさんは元々、コーヒーのプロだったわけではないんですよ。欧州のコーヒー器具メーカーで働いていた時に、出張先のシアトルでスターバックスを訪問し、「この会社は社員が皆、コーヒーへの知識と品質、こだわりを持っている」と感じ、スターバックスに入社したんですね。その後、彼が市場調査のためにミラノへ行った際、エスプレッソバーを訪問して、雷に打たれたように感激して帰って来たそうなんです。
ミラノは街角にはエスプレッソバーがあって、通りごとに床屋がある。男たちが皆、お洒落なんですよ。皆、ファッションモデルのように格好良くて、エスプレッソバーでバリスタと会話している。その様子に、シュルツさんも感激したようなのです。
薄くてまずかったアメリカのコーヒー
――その粋なカフェ文化をアメリカにも広げたいと、シュルツ氏は思われたのですね。
梅本:ただ、アメリカのコーヒーは、当時、「まずい」の代名詞だったんですよ。
――そうなんですか!? 驚きです。
梅本:20年前、日本には「アメリカン」という言葉はありましたよね。でも、それは薄くてまずい飲み物でした。アメリカ人自身も、朝にコーヒーを飲む習慣はあったけれども、それはカフェインを摂取すると、目が覚めるから。美味しいとは思っていなかったんです。
――一方で、日本には昔ながらの「喫茶店文化」がありましたよね。
梅本:日本には、70年代に増えた「純喫茶」があって、個人店主が丁寧に淹れた美味しいコーヒーが飲めたんです。それに対して米国の「カフェ」は、コーヒーを楽しむ場所ではなく、ダイナーなど「食事なども合わせて楽しむ場所」。スターバックスができたのは70年代ですが、当時のスターバックスは、まだコーヒー豆の卸売業をしているだけの会社でした。カフェができるのは、ミラノのカフェ文化の衝撃を受けたシュルツさんが入社してから。80年代以降のことなんです。
日本の女性が「スターバックス体験」に反応した
――20数年前の日本では、コーヒーチェーンとしては「ドトール」が中心でしたよね。サラリーマンが、煙草とコーヒーで一息つくような……。市場調査をされる際、どのような仮説と問いを立てられたのですか?
梅本:当初は、昔ながらの喫茶店や既存のコーヒーチェーンがひしめく日本の市場に割って入ることができるのか、大きな疑問がありました。「アメリカンコーヒーは薄くてまずい」という先入観もあるし、やめておいた方がいいんじゃないかという声もありました。でも、とりあえず調査をしてみることにしたんです。老若男女問わず、銀座、渋谷、新宿などいろんな場所で、95年頃に市場調査をしたんですね。当初は、女性がターゲットになるとの予想はしていなかったんですが、その調査で特に若い女性たちにヒットしたんですよ。「これはビジネスになる」と感じました。
――当時は、流行に敏感で、可処分所得も高い女性たちが出てきていた時期ですよね。そういう女性たちが「スターバックスって素敵!」と感じたのでしょうか。
梅本:言われてみれば、調査した95年に30歳くらいの女性ですと、バブルの消費を経験して、美味しいもの、本物に目覚めてしまった人たちですね。そういう方は、今でも消費文化を引っ張っていますから、彼女たちが当時のスターバックスに反応したというのは正しいと思います。日本に成熟した消費者が現れたときに、ちょうどよくスターバックスが進出してきた感じはします。
――成熟した消費社会を迎えた日本には、シアトル系カフェが流行る素地があったのかなと思いました。
梅本:それは間違いないですね。(日本でスターバックスを展開した)「サザビー」という会社は、「アニエスベー」や「アフタヌーンティー」を大ブレイクさせていました。レストランの「キハチ」もそうですね。これらは80年代前半に始まったものです。当時はセゾングループの、渋谷を中心とした文化・街づくりが成功していました。ライフスタイルというものが重視され始めた、そういう時代でしたね。
――まさに「おいしい生活」(糸井重里氏のコピー)ですね。
梅本:そうです。サザビーも、成熟した消費社会との相乗効果で、80年代に花開き、90年代には多店舗展開していきました。バブル崩壊後で、経済的には厳しかったのですが、「リーズナブルで、手が届く贅沢」というライフスタイルを提供できた。サザビーが仕掛けたのは、全部そういうもの――アフタヌーンティーも、スターバックスも――同じだったと思います。
日本でいちはやく取り入れた「全面禁煙」
――スターバックスは今「全面禁煙」ですが、そこに至るには、どのような経緯があったのでしょうか。
梅本:日本に進出した20年前は、喫煙率が今よりもずっと高かったんですね。男性が60%くらい。コーヒー喫茶の需要は男性中心なので、男性が「タバコが吸えないから嫌だ」と入店しないとなると、商売にならない。もちろん「タバコを吸わない女性をターゲットに絞ろう」と肚をくくれば、最初から全面禁煙でも良かったのですが、それはあまりにもハイリスクだったのです。
――90年代の飲食店では「分煙」すらなかった印象です。
梅本:そういうコンセプト自体が、なかったんですよね。仕事中も喫煙は当たり前。吸わない人にとっては我慢するのが当然の時代でした。スターバックス コーヒー ジャパンの当時の社長、角田雄二さんは、その前にロサンゼルスでレストランを経営しており、80年代後半から90年代にかけてアメリカで起きた禁煙への大きな流れを見ていたんですね。だから、いずれ日本にも来るだろう、という「勘」はあったと思います。ただ、日本はアメリカよりも喫煙率が高いので、どうしたものかと。
――1996年にオープンした、銀座の1号店は、1階は禁煙、2階は喫煙とされたのですよね。
梅本:そうです。米スターバックスのハワード・シュルツがこだわっていたのは、「店舗に入った瞬間にスターバックス体験が始まる」ということでした。「スターバックス体験」というのは、色んなものの相乗効果。入った瞬間にコーヒーのいい香りがする、豆を挽く、エスプレッソを淹れていると、独特のいい香りがしますよね。それが、タバコの香りで台無しになる。苦肉の策で分煙にしたんですが、当時はきちんとした空調設備がなかったので、喫煙可の2階に人が溢れて、煙が下にたなびいてくるんです。シュルツはそれを見て、開店初日から怒ったんですよ。結果的に、2階の分煙スペースをどんどん狭くして、それでも売り上げが落ちるわけではないことを確認して、最終的に3号店から全面禁煙にしました。批判もありましたが、皆で一生懸命説明して。時代に先行したとは思います。
日本で「全面禁煙」はこれからも広がっていくのか
――飲食業界での全面禁煙は、今後も広がっていくのでしょうか。
梅本:そうですね。ただ、スターバックスを追いかけて、皆が全面禁煙を始めたかというと、そんなことはない。あくまで「分煙」なんですよ。余談ですが、私は今、立教大学で教えていて、リスク学の教授がいるのですが、彼いわく「従業員がタバコにさらされるリスクを考えていない企業は、経営の危険度を自覚していない」と。どんなに設備が完璧でも、ドアの開け閉めで煙は出てくる。だから分煙は効果がない、というのがリスク学の見解だというのです。
――分煙は、経営上のリスクになりうると。
梅本:私も企業戦略をやってきたので、分煙は中途半端だと思います。喫煙者を、ある意味「拒否する」ということは、自分たちにとって「お客さんじゃない人」を決めるということなんです。勇気のいることですが、それでお店が際立つわけですね。そういう「割り切り」をすることが、経営戦略的には大切です。もちろん、喫煙者の権利は守らなくてはいけないので、共存する必要はあります。ただ、プロとしてコンサルティングをしてきた中で、スターバックスは本当に勉強になりました。「中途半端はダメだ」ということが分かったからです。
>>【後編はこちら】スターバックスとセブン-イレブンには意外な共通点があった 1,000店舗を越えてもなお、新鮮さを保つ秘訣とは