コワーキングスペース「babyCo」曽山恵理子さんインタビュー

待機児童問題に立ち上がった“杉並のジャンヌ・ダルク”が、子連れのコワーキングスペースを作った理由

待機児童問題に立ち上がった“杉並のジャンヌ・ダルク”が、子連れのコワーキングスペースを作った理由

子連れで働けるコワーキングスペース

アラサー女性の半数が「将来子供は欲しくない」―ウートピ世論で、そんな結果が出てきた。回答には、「子どもが好きではないから」という理由の他に、「自由が制限される」「大変そう」「自分のことで精一杯」など子育てに関するネガティブなコメントが並ぶ。

子どもを持つか持たないかは個人の自由だが、もっと負担が少なく、楽しく子育てができるなら子どもが欲しい、そんな人もいるのではないだろうか。

そこで、「子どもも仕事も楽しもう!」をキャッチコピーに、子連れで行けるコワーキングスペースbabyCo(ベビコ)を運営する曽山恵理子さんにインタビューをした。

曽山さんは待機児童問題で自治体に対して声を上げ、“杉並のジャンヌダルク”の異名を持つ。元々は一般企業で働いていた彼女が現在の活動に至った経緯から、子どもを楽しむ極意まで聞いた。

子どもと同じ場所で仕事ができる環境を作る

――曽山さんと言えば待機児童問題で有名ですが、保育園ではなくコワーキングスペースをやろうと思ったのはどうしてですか?

曽山恵理子さん(以下、曽山):会社員だと仕事にフルコミットで、専業主婦は育児に関してフルコミット、働き方を0か10かのどちらかにしなくてはいけないのが現状です。でも、ちょっとずつ仕事復帰を加減しながら、復職する方向に向いていくこともできたら良いんじゃないかと思いました。仕事が10ではなく、7の時期も、3の時期もあっていいんじゃないか、と。保育園の入園は、会社で仕事をする人がベースになって仕組みができています。babyCoは保育園に入っていなくても、子どもと一緒に来て仕事ができるのがポイントです。

仕事人間から、できちゃった結婚、産後うつ…

――出産前はどんな働き方をご自身はされていたんでしょう?

曽山:ITスクールの就職支援や、キャリアコンサルタントもしていました。仕事が本当に楽しくて、終電がなくなると、始発まで仕事をできると喜んでいたくらい(笑)。

元々、両親が共働きだったし、地方出身で周りも共働きの家が多かったのもあって、自分にとっては働くのはあたり前でした。欲しいものは自分で買うし、パートナーに弱いところを見せたくなかったですね。

特に自分が高校生の時、自営業の父が倒れて、同じ時期に母も20年以上働いてきた会社をリストラされ、家庭の収入が絶えた時がありました。その後、母はすぐに再就職しましたが、専業主婦だったら大変だったと思います。それが「お金を稼ぐこと」「共働きのメリット」を強烈に意識した最初の記憶です。

――バリバリ働く生活だったんですね。そこから結婚・出産への経緯はどうだったんでしょうか?

曽山:実はできちゃった婚なんですよ(笑)。27歳の時に結婚しようということになったんですけど、出産はまだ先のイメージでした。でも、結婚前に実家に挨拶に行いった2か月後に妊娠がわかって。ちょうど課長昇進の話があったんですが、転勤が条件だったこともあって、妊娠もしているし、泣く泣くお断りしました。

産まれてみたら子どもは可愛かったんですが、産まれる前は子どものいる生活が想像できなかったし、保育園も遅くまで預かってくれないと知らなかった。どうやって家庭生活を営むか考えた時に、自分は全然主婦に向いていないって思いましたしね。それまで料理もしてなかったから、家事は苦手。夫が自営業で家にいたから、夫の仕事中に子どもを泣かせちゃいけないプレッシャーもあって……産後うつみたいになりました。

保育ママに預けて社会復帰

――大変でしたね。そこからどうやって仕事に戻っていったんですか?

曽山:認可保育園には預けられず、保育ママに預けて仕事に復帰しました。5時にはお迎えに行く生活でしたが、それでも外の世界が広がることで自分にとっては良かったです。仕事があって、お給料ももらえて。

でも、上の子が3歳になるタイミングで退職してSEの職業訓練を受けました。食べていける技術が欲しいと思って。先の両親の経験から、夫の死亡や離婚など、もし何かあったとしても大丈夫なように。

これも子どもを預けていたからできたことなんですよね。SEを選んだのは、それまで女性の就労支援をしてきて、起業もおぼろげながら考えていたので、ウェブの技術はあった方がいいと思ったからです。

「休む人なのでそのくらいの評価です」

――その後SEとして働くようになったんですか?

曽山:そうです。SEで最初に就職した会社は子育てにも融通がきく会社でした。でも、会社が移転して遠くなったので、退職せざるをえなくなりました。

それで転職したんですが、次が厳しかった。ちょうどその時、子どもが小学校へ入学する時期で。卒園式、健診、入学式、保護者会、引き取り訓練等、さらには祖母が亡くなって、お休みを色々いただくことになって……休みすぎだと言われました。その後も子ども2人合わせて年に8回保護者会、2回の個人面談、その他子どもの通院などでお休みをすると、「評価が下がる」と言われましたね。

2人目を妊娠して、出産、復職したら、総務に配属になり、残業代40時間込みで月収20万になりました。「曽山さんは休む人なのでそのくらいの評価です」と。それまでは基本給24万プラス職能給・残業代だったので大幅ダウンです。女性の就業支援を謳っている会社だったんですが…。

――今で言う「マタハラ」ですね……。

曽山:それでも、その時の保育園入園が決まっていたので、「仕方ない」と割り切って同じ会社に復職しました(※)。会社に復帰した後、夫と分担しても保護者会等で年間計4日は有給休暇が必要で、申請をしたら、「それではうちの会社では働けない。それで正社員はおかしい」と言われた。

「会社員ってそういうもの?」って疑問で。楽しくない仕事のために、時間かけて通勤して、子どもを保育園に預けていったい何をしてるんだろう? 自分のしたいことに時間をかけたい、そう思って入園から一定期間が過ぎた頃退職して、babyCoを立ち上げました。

(※)同じ会社に戻る条件で保育園の入園が内定していた場合、退職・転職等異なる条件になると入園内定が取り消されてしまう。

仕組みがなければ、自分で作ってもいい

――babyCoを立ち上げた今の曽山さんが思う「子どもも仕事も楽しむ」秘訣ってなんですか?

曽山:どこに行ったとしても楽しくなかったら、自分で働きやすい仕組みを作っちゃえばいいんじゃない、と思います。babyCoも試行錯誤中でまだまだ成功してはいないけど、作っちゃうのがいいんじゃないかな、と。

それから、声を上げることも大切です。保育園のことも、行政側は杉並は待機児童が少ないと思っていたようです。それまでは待機児童問題って変な数え方をして、机上で数字合わせをしていただけで、誰が待機児童なのかもわかっていなかったんです。その認識が声を上げることで変わってきました。今では、行政の方も区議会議員の方も、待機児童問題に真摯に取り組んでくださっていると思います。

自分で仕組みを作ったり、声を上げたりするのはエネルギーのいることだが、現状のままでは女性が「子どもも仕事も楽しむ」のはそれだけ難しいことなのかもしれない。それでも、子育てを楽しみながらできる新しい働き方を提案したり、声をあげたりする人が増えていくことで、少しずつ子育てを取り巻く状況も変わっていくのではないだろうか。

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待機児童問題に立ち上がった“杉並のジャンヌ・ダルク”が、子連れのコワーキングスペースを作った理由

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