「恋なんて面倒くさい」「恋愛で傷つきたくない」。そんな人が増えている昨今。女は何歳まで恋ができるのか? 深く傷ついてもなお、恋愛に身を投じることができるのか?——人生で4回の結婚離婚、そして幾多の恋を経てほがらかに99歳まで生き抜いた、作家・宇野千代の生き方に、女の幸せのヒントを求めました。
昭和の“恋多き破天荒ガール”宇野千代
宇野千代は、昭和の“恋多き女性”の代表格。非常に惚れっぽく、好きだと思ったら後先を考えずに駆け出してしまう性分でした。出会った当日に男性の家に出向きそのまま5年暮らしたり、「2日で戻る」と言って札幌から東京に向かったのに、偶然会った男性に惹かれ、そのまま札幌に戻らなかったり…。当然、周囲に非難されることも多かったようですが、千代はその生き方をやめませんでした。「駆け出してしまって転んだなら、何かを掴んで立ち上がるだけ」。それが“積極的な生き方”だというのが彼女の信条でした。
「失恋をしたくない、という臆病な心持ちが、例外なく私を失恋させた」
初恋は18歳のとき。当時小学校教師だった千代は、同僚教師に恋をし、生徒にラブレターを持っていかせたためクビに。その村を離れますが、結局その男性に会いたくて半年で舞い戻ります。しかし、千代は彼に玄関で突き飛ばされてしまうのです。こののち、離婚などの大きな失恋は25歳、38歳、48歳、58歳と続き、ほぼいつも「相手に他の女性ができて終わり」というパターンでしたが、千代は「私を捨てないで」としがみつくことは一切ありませんでした。
「あの初恋の彼のような形相を二度と見たくなくて、私は恋人のあとを追わない主義になったのかもしれない」——のちに彼女はそう自己分析しています。「恋人の意思ならば受け入れるのが愛情」と言い聞かせ、話し合いも避け、自ら先に家を出てしまうことも。別れてのち、そんな千代のいじらしさに気がつき、復縁を求める男性も多くいたそうです。
尽くす女、だけど不幸にはのめり込まない
恋にのめり込んで、とことん“尽くす女”。だけど、彼女は失恋上手でもありました。恋を失ったときは、ひとりで泣くだけ泣いたら、すぐ別の「夢中になれるもの」を見つける。それが別の男性ということもあれば、好きなデザインの家を建てることだったりもしました。そんな調子で生涯に13件もの家を建てますが、家にも執着はせず、興味が湧けばすぐ別の地に引っ越していました。
こう見てくると、千代はただ“男を振り回す”だけの恋多き女ではなく、決して打算的には動かない、潔い女性だったとも感じます。骨盤が狭く、6度流産した過去もあります。しかし彼女は、「他人から見れば不幸な状況でも、私は幸せを見つける自信がある」と語り、いつも「今が一番いい時」と、前だけを見て生きた。過去の夫たちの妻子とも交流し、晩年の彼女は多くの女性たちに慕われて過ごしたそうです。
女に「結婚適齢期」なんてない
千代の口癖のひとつに、「女は一生、結婚適齢期」というものがありました。
「一生懸命に生きている女は、特定のある期間だけ花が咲くということはない。一生が花の咲く期間。本当に結婚したい相手に出会う日を気長に待てばいいの——」。
何にもとらわれず、ただ心のままに生きた宇野千代。彼女のようにはなれなくとも、恋や人生にためらってしまうときには、そっと彼女の生き方やメッセージを思い出してみては。ほんの少し、踏み出す勇気をもらえるかもしれません。