2010年、『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ)の「安すぎて伝わらない素人芸選手権」への出演をきっかけに、「ぽいぽい♪」で一大ムーブメントを作り上げたあやまんJAPAN。
2013年以降、ブームの終焉、メンバー・ファンタジスタさくらだの結婚、妊娠、脱退などを経て、芸能界から徐々にフェードアウトしたかのように見えました。
しかし現在、なんとあやまんJAPANは株式会社として、活動を継続していたのです。それもパワーアップして……。代表取締役社長・あやまん監督が語る、再スタートを切るまでの紆余曲折と、35歳女性の本音とは。
六本木で店を切り盛り、疲れ果てロハス生活……
――昨年まであまりテレビで見かけませんでしたが、その間はどうしていたのですか?
あやまん監督(以下、監督):昨年2月まで六本木で会員制クラブをやっていたんです。知り合いがランチタイムにやっている店を夜だけ貸してくれるということで、ブームも落ち着いてきて生活の糧にと思い始めたんですが……。
毎日夜から朝8時までシャンパン空けて盛り上げて、という生活を続けてすっごい疲れちゃったんですよね。ぶっちゃけ売上は黒字でしたが、本当にしんどかった。その反動で2月以降はロハス生活をしていました。「私は貝になりたい」状態で、炭水化物抜きダイエットをしたり、ライザップ並の食事管理をしたり、亜麻仁油を取ってみたり。元々ハマりやすい体質で、徹底してやった結果8キロ痩せましたが、この歳で痩せると「病気?」と心配されるんですよ(笑)。
――そのタイミングで結婚や実家に帰る、という選択肢はなかったんでしょうか。
監督:結婚する相手もいないし、出会いを求める元気もありませんでした。これまで結婚願望は全くなかったんですよ。25、26歳以降ちゃんとした彼氏もいないし、毎晩飲み歩くのが楽しくて、別に結婚したいと思わなかった。意識し出したのは、さくらだが“あんなこと”になってから。幸せそうな姿をまざまざと見せつけられて、むかつきますよね! やってらんないですよ! 裏切り者め! と(笑)。
そう思うと同時に、結婚への憧れがふつふつと湧き上がり、今は、「昼ドラを見ながら洗濯して、夕方にスーパーに行ってご飯を作り、旦那が帰ってきてご飯を食べて、ちょっと飲んでテレビ見てお風呂に入って寝る」という生活がしたいんです! ほんっっっとに!!
記録より記憶。アスリートとして闘った“試合”
――最盛期には100人以上在籍していたと言われていますが、メディア班以外でも有名人や業界人に嫁いだメンバーはいますか?
監督:そういえばいませんね。当時、婚活を意識して試合していたらそういう道もあったかもしれませんが、不思議とあやまんJAPANにそういう意識は全くありませんでした。
たぶん私たちは、「自分たちは中の下」だという自覚があったんです。東京って可愛い子がいっぱいいるじゃないですか。可愛い子って、同じ身長、同じ髪型、同じ格好で、遠くから見ても「粒ぞろい!」感があった。でも私たちは身長も服の趣味もバラバラで、可愛くないんです。
そういう子たちと戦うには、同じやり方をしてもダメ。どうせモテないのなら記憶に残してやろう、と多くの試合に挑んでいました。もはやアスリートとして、“3大JAPAN”の名に恥じぬよう、本当に闘っていたんです。
その結果、「頭オカシイよね」「でもめっちゃ面白いよね」「また飲もうよ」と言ってもらえて、どんどん人との繋がりが広がっていくのが楽しかったんです。
再びゼロから。35歳からの出発
――そして今回、選んだ道は結婚ではなく、「あやまんJAPANの株式会社化」ですが、35歳からの再スタートって相当勇気がいると思います。
監督:元々、28歳まで群馬の実家暮らしだったし、手に職もない、ちゃんとした就職もしたことないしで、自由奔放に生きてきたので、年齢は気にしていませんでした。
ただ、ここに至るまでは迷走しました。ブームが終わり、辞める選択肢もありましたが、せっかく皆に知っていただけるようになったのにもったいない。で、新メンバーを入れたはいいけど実際に何をするわけでもなく。そして飲み屋生活で精魂尽き果て、ロハス生活で引きこもり。
そんなときですね、昨年6月に『有吉反省会』(日本テレビ)からオファーをいただきまして。
――何を反省したんですか?
監督:「下品なことをしていたのに、シレっと女優にシフトしてすみません」という反省です。そこで終始「お久しぶりです……いやあ……最近こういう感じで……」と低いテンションでいたら、皆さんから「元気な方がいいよ。あの頃のあやまんJAPANが好きだし、あやまんにはいつまでもアレをやっていてほしい」と言われたんです。私の中では「ぽいぽい♪」はもう終わったことだと思っていたのに。
そして禊のコーナーでは、清楚系の服装でバカダンスを踊りパンツ丸出しになっちゃったんです。するとスタジオは「そっちの方がいい!」、放送後のネットの反応も「今年一番笑った!」といった嬉しい書き込みがあって。「私がやるべきことは、コレか」と思い立ったが即、あやまんJAPANを会社化しました。ちょうど放送日の翌日には登記などすべての手続が完了しました。
――『有吉反省会』が背中を押したんですね。
監督:そうです。私たちは皆を盛り上げるべき集団なんだ、と。芸能界には歌って踊るアイドルはいるし、喋りのプロのお笑い芸人さんはいる。でもパフォーマンスで人に絡んで酒を飲ませる女集団は他にいない。
「JAPAN」を背負っている以上、日本代表として宴会芸を極めたいな、とも思いました。結局、私ができることといったらそれしかないですしね。それに私、失うものがないからこそ、今やれることを全力でやろうと思ったんです。
本気で結婚を考えたら、こういう活動を辞めて別の生き方もあると思います。でも、この活動の先に結婚がある、幸せがある、と思いたい! そういうことを言っているうちに、あっという間に40歳過ぎちゃいそうだけど(笑)。
新事業は「どこでも、誰でも、大丈夫」
――なぜ今まで通りではなく、あえて会社化したんですか?
監督:窓口を設けて、間口を広げたかったんです。これまでは業界や友達レベルのオファーで活動していましたが、今は日本中、世界中、呼ばれればどんな飲み会でも盛り上げる、「どこでも、誰でも、大丈夫」という「DDD事業」を打ち出しています。
――本当に「誰でも大丈夫」なんですか?
監督:基本はOKです。熱意のこもった動機があれば、交通費のみで飛んでいくこともありますよ! お金は取れるところから取ればいいんです(笑)。この前は、「あやまん呼び出しアプリ」で呼んでくださったサラリーマン3人組のカラオケに出動しました。
会社を立ち上げた当初に「一晩いくらですか」という依頼がきましたが、NGラインはそこかな。公序良俗に反しているので(笑)。
あやまんJAPANの未来は“EXILE TRIBE”化?
――今後の展望は?
監督:「DDD」って、「ヤリマン」の隠語なんです。ヤリマンよろしく、なんでもやっていこう精神で盛り上げてきたいですね。そしてその先の目標はEXILEのHIROさん。ゆくゆくはパフォーマーを育てて結婚したい(笑)。
――これからあやまんJAPANに加入したい人は、何を努力すればいいですか?
監督:一般常識があって、素直でイイ子であれば。若くて可愛い子ならなおイイ。私たちって下品なことしているわりに、合間にグラスを片付けたり店に迷惑をかけないようにしていたり、実は一線を越えないように意識しているんです。お尻を出したりしているので、はたからみたら一線超えているかもしれませんが(笑)、自分たちなりの美学というか、こだわりがあるんですよ。
――最後に、現在、停滞感を感じているアラサー女性にメッセージを!
監督:年齢を意識せず、悔いのないようにやったほうがいいと思います! どうしても現状から抜け出せない人は、私たちの下品な姿を見て笑ってほしい。ストレス発散のお手伝いができたら嬉しいです。