アラフィフ作家の迷走生活 第85回

ひとりで生きるためのリハーサル

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コロナ禍の社会の変化から、「ふいに人がいなくなってしまう感覚」を抱くようになったという森美樹さん。最近、ひとりで生きる覚悟を決めつつあるのだそう。今までに出会った孤高の人の生き方をヒントに、森さんの「ひとりで生きるためのシミュレーション」をご紹介します。

*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2021年5月29日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています。

ここ1~2年で、私はひとりで生きる覚悟を決めつつある。

私には夫がいる。夫が出勤したあとはひとりで家事と仕事をして、夜、夫が帰宅するとふたりで過ごす。「それならひとりじゃないじゃないか」と異論を唱える人もいるだろう。でも最近、いつひとりになってもおかしくない、と身につまされるようになったのだ。

なんでもかんでもコロナに結びつけるのは気が引けるが、コロナをきっかけに「ふいに人がいなくなってしまう感覚」に囚われた人は多いのではないか。連日報道される「死者××人」という言葉のシャワーをあびているからか、私はめっきりマイナス思考になってしまった。万が一、夫がいなくなってしまったら私はひとりだ。

大勢の友人に囲まれていれば孤独を感じないでいられるかもしれない。しかし私は人付き合いが苦手だ。人嫌いというわけではない。人は好きだが、うまくふるまえないのだ。こういう私みたいなタイプはどうしたらいいのだろう。

美輪明宏さんの圧倒的オーラに触れて

私が敬愛してやまない美輪明宏さんは「友達がいない、できないと嘆く人がいますが、本当の友人というものは、一生のうちにひとりかふたりできるかできないかのものなのです。厳密に言えば一生涯出会わない人の方がほとんどです」と言っている。

だいぶ前だが一度だけ、美輪明宏さんを間近で見たことがある。何かの講演会だったのだが、会場が狭かったのと、ひとりで行ったのが功を奏し、最前列のど真ん中の席に座れたのだ。半径1メートルあるかないかの距離で美輪明宏さんは私の服を見て「素敵な色のセーター」と誉めてくださった。決して偉そうではないのだが、圧倒的なオーラだった。

私は孤高という意味を身体で理解した。そう、孤独ではなく孤高。なかなか到達できる境地ではないが、ひとりを研ぎ澄ませるときっと、孤高になるのだ。

先々月だろうか、美輪明宏さんが「徹子の部屋」にゲスト出演していた(もはやどちらの部屋なのかわからない画だった)。テレビを通してでも圧倒的なオーラは相変わらず(黒柳徹子さんも然り)、無意識に頭を下げつつ、私は美輪明宏さんが私に投げかけてくれた言葉と目を思い出した。きっと美輪明宏さんはいつでもひとりを生きて、ひとりを極めたのだ。孤独ではなく孤高。

キーはひとりで過ごす時間にある?

でもそれって、美輪明宏さんだからでしょう、人として別格なのだから、比較なんかできない、とやはり異論を唱える人がいるかもしれない。そりゃあ、美輪明宏さんは人として別格だけど、言うならば孤高の最終形態だと私は思うのだ。孤独を磨きつくして孤高になった、というような。

でも著名人でなくとも、孤高の人にはたまに遭遇する。ひとりなのに、決してさみしそうには見えず、高い境地にいる人。たぶんキーは、実際にひとりで過ごす時間に隠されているのではないか。

仕事柄、想像力がたくましい私は、外部の情報でメンタルがやられがちだ。しかしこれまた仕事柄、世間の動向や流行も知らなければならないのでテレビも観るし、ネットニュースもチェックする。ただ、ひとりで過ごす時間がキーだと思うようになってからは、テレビを観たりチェックする時間を朝30分ないし1時間と決めて、あとはラジオや音楽を聴くようにしている。

それから圧倒的にひとりで過ごす時間が増えたので、自分をもてなすことに心血をそそぐ。ひとり分の昼食を自炊して、食器にこだわり、ランチョンマットに並べる。おひとり様という言葉が生まれて久しいが、誰に披露するでもなく自己満足でそれをやっている。自分の部屋で、自分至上主義をひとりでやっているのだ。心が満足すると、さみしさも半減するのだな(まだ未熟なのでやはりさみしい時もある。多々ある)、と悦に入ってみたりするのだが。

あとは時々鏡を見ながら食事をする。鏡に映った自分に話しかけている、というのではなく、「ひとりでもしっかりした顔の自分」と確認するというか、やはり鏡に顔が映るとひとりでいても気が引き締まるし、行儀よく食べようという気になるのだ。これぞひとりもてなし術!

「ひとり」を認めたら楽になる

ひとりもてなし術を続けると、おのずとひとりで生きる覚悟ができてくる。やがて私に、心境の変化がおとずれたのだ。それは、今、そばにいてくれる相手がとても大事に思えてくること。

旦那さんが帰宅すると「うお、今日も帰宅してくれた!」とうれしさ倍増になるし、仕事先の担当者からメールがくると「うお、必要とされている!」と感激するし、ごくたまに友人知人からLINEがくると「うお、また私と話をしてくれるんだ!」と泣けてくる。いったんひとりで生きる覚悟を決めたら、必要以上に依存しなくなるし、相手を尊重したくなるのだろう。

「恋人がいない」「結婚していない」「友達がいない」「出会いがない」等。ない人はたくさんいる。私もそうだ、友達はいない、いや、ごく少数いるけれど、まったく会えていないし、向こうが私を友達に位置付けていないかもしれない。結婚しているけれど、いつ旦那さんを無くすか亡くすかわからない。シミュレーションしていくと、やはり全人類は総ひとりだ。

さみしいかもしれない。でも、みんながさみしいとわかれば、救われる。だからオンラインやネットで群れながらも、「ひとり」を認めたらいい。その瞬間からきっと楽になる。みんな同じなんだと腹を括れば、日毎に孤高へ近づくのだ。

今の時間、私は、ひとりで生きるためのリハーサルをしている、と思っている。

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アラフィフ作家の迷走生活

小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴る連載です。

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