ここ数年、頻繁に耳にするようになった「毒親」「毒母」という言葉。『毒親育ち』(松本耳子)『母がしんどい』(田房永子)『母が重くてたまらない―墓守娘の嘆き』(信田さよ子)など母と娘の関係に焦点を当てた作品が話題になり、情報番組やワイドショーでもたびたび特集が組まれました。
漫画『おかあさんとごいっしょ』(逢坂みえこ・講談社『BE LOVE』にて連載中)はいくつになっても悩んでしまう母と娘の関係がテーマ。同じ社宅に住む3人の女性たちが、母からの干渉や依存に悩みながらも自分らしい生き方を模索する姿が描かれています。
血の繋がった関係だからこそ難しい母と娘の上手な付き合い方を、作者の逢坂みえこさんに伺いました。
「親の悪口を書く」ということへの居心地の悪さ
――いま、世の中に出回っている「毒親」ものはその多くが著者の実体験やドキュメンタリーといったノンフィクションが多いですが、『おかあさんとごいっしょ』というフィクションを書かれた経緯を教えていただけますか?
逢坂みえこさん(以下、逢坂):私も読みました、毒親もの。結構たくさん。それで気になったのは、書いてる人たちが、みんな楽しそうには見えなかったということです。辛かった思い出を書いてるから、というのももちろんあるでしょうが、「親の悪口を書く」ということへの居心地の悪さというものもあるんじゃないかと。
「あんな酷いことされた」「こんなこともされた」と親の毒っぷりを書き連ねれば書き連ねるほど、「だから私が親を嫌うのも当然のはずよ」という必死の言い訳が聞こえる気がする。それも世間や親に対する言い訳じゃなく、自分自身へのエクスキューズ。嫌いな人の悪口書いたらスッキリしそうなもんなのに、なんでだろう。そんなところからの発想です。
家族がお互いに失望しあう家庭は淋しい
――逢坂さん自身はお母様から恋愛観や結婚観で影響を受けた部分はありますか? またあるとしたらどのような部分でしょうか?
逢坂:母の人生アドバイスは「女の子はアホの方が可愛がられてトク」「女は所詮女やねんから男の人に逆らったらソン」。父の口癖は「女子供は黙っとれ」でした。おかげで思春期から猛反発、自我や人生や社会の仕組みについて深く考える良いきっかけになりました。
両親共無学で貧乏で、必死に生き抜き、家族を守るための生活の知恵だった、と今では解りますが、当時は本当に辛かったです。でも両親も「女の子らしい素直さのかけらもない、失敗した娘」と言うほど、私に対してひどく失望していました。家族がお互いに失望しあう家庭は淋しいです。結婚し、息子にも恵まれた今の家庭では、お互いが敬意を持ちあえるようにしたいと願っています。
――こういうタイプが毒親になりやすい、という傾向はあるでしょうか? もしくはどのような親子関係でも「毒親」になり得るのでしょうか。
逢坂:毒も薬になるように、「毒親」と呼ばれる人も、別の子供にとっては「理想の親」かもしれません。このシリーズでも描きましたが、自分にとっては何でも口を出してくる母親が、第三者からすると頼もしく、理想的に見える、ということもあります。親子共に「理想的な関係」と思っていても、側から見るとヤバイ、というのもあるでしょうし。「毒親」って一体……私は、まだ答えを見つけていません。
――「仲良くいる為には程よい距離を探っていったほうがいい」というセリフが作品中にありましたが、逢坂さんが考える「母と娘が程よい距離を保つ方法」を教えてください。
逢坂:家を出るのよ! できるだけ遠く!!
「母親の立場」から降りてあちこちから公平に見るのが理想
――母と子の関係というと自分が「子」の立場として考えがちですが、アラサーの女性はどんどん「母親」の立場になっていく時期でもあります。逢坂さんが母親として、子どもとの関係性で重視していること、「毒親」にならないよう子どもにとってこういう親でいよう、など意識していることはありますか?
逢坂:常に公平でいようと心がけています。難しいですが。「母親の立場」は安定感があるし、説得力もあるので居心地がいいのですが、ここからだけ物事を見てると、全貌が見えないし偏見に歪みます。「母親の立場」から降りて、あちこちから公平に見る。そうやって子どもにも接する。それが理想です。
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