小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回は森さんが、2人の世界に入り込んでいる中年カップルを見かけたときに思い出したお話です。森さんのお母さんが、80代の知り合いの女性に恋愛相談をされたそうでーー。
*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2020年8月22日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています。
テーブルの上で、男女が指を絡み合わせている。年の頃は男60代、女50代といったところか。場所は郊外のファミレス、このご時世か人はまばらだ。それゆえに、いかにもな不倫カップルは悪目立ちしていた。
田舎の中年男女そのもの
私は、仕事をしているふりをしてふたりを観察していた。「ねえ、××君」と女が三田寛子さんばりの鼻にかかった声で語りかければ、「なぁに、××ちゃん」と男が前屈みになって顔をよせる。ふたりの容姿はといえば、田舎の中年男女そのものだ。男は意味不明なロゴとイラストが描かれたTシャツにスラックス、両方とも洗濯しすぎなのかヨレていて明らかにサイズオーバー。女は体型隠しなのかやはりヨレているのか、ダボついたロングのジャンパースカート、落ちかけたパーマヘアをターバンで上げている。化粧っけはなし。
「ねえ、××君。お仕事はどう?」
「うん、××ちゃん。なんとか順調だよ」
「マスクしながらじゃ大変ね」
「うん、ドリンク取ってくる」
「マスクしなきゃだめよ」
と、聞いているこちらが(ていうか、隣にいるので勝手に聞こえてくる)辟易する堂々巡りな会話なのだが、もしかしたらおおっぴらに会いつつ、何か後ろ暗いところがあるのかもしれない。不倫と仮定するなら十分に後ろ暗いが。
このコロナ禍にねぇ、と半ばあきれたところで、私は先日母から聞いた話を思い出したのだ。お隣の埼玉に実家がありながら、もう数ヶ月も帰省できないでいた。母とは1週間に何度か電話をかけあっている。
母から聞いた話に驚愕
『ねえねえ、美樹ちゃん。お母さん、この間恋愛相談されたのよ』
恋愛相談? ちなみに母は今年80歳になる。となると、相談相手も同世代になりそうだが。
『それがね、お母さんより年上の女性なんだけど。60代の男から求婚されたんだって』
「え?! その女性って財産家なの?」
すいません、とてもいやらしいのだけど、つい財産目当てだと思い込んだのだ(ていうか、誰もが一番に危惧するだろう)。
『違うのよ、財産家なのは男のほう』
お母さん、その女性の画像を送って!と鼻息を荒くしそうになったが、母は写メはおろかLINEもメールもしない。むしろ拒否っている。
「お母さん、その女性ってどんな女性? 相談されるってことは仲良しなんでしょ」
『うん。長年、愛人生活をされててね。旦那を亡くしてからは、何年もひとりでいたのよ』
愛人。旦那。心くすぐる昭和テイストな単語。そうはいっても、80代だ。美貌を保つのも限界があるだろうし、体力も衰えているはずだ。でも80代で、しかも20歳も年下の男性にプロポーズされるって、いったいどんな秘訣があるのだろうか。今後のためにもぜひ知りたい。
『愛人だった、ってのを知ったのは最近なんだけど。聞いて納得したのよ。あの人、世界がここにない感じだったから』
世界がここにない、とは。浮世離れしている、という意味だろうか。
『いつも爪や髪をきれいにしててね。ほら、小さな女の子がおままごとをしている、あのまんまに歳をとったみたいなのよね』
「わかった。周囲のことが一切目に入っていない、って感じね」
『そう。ああいう人が他人に相談するってことは、現実的にはどうなのだろう、って確認する作業なのよ。最初からこたえは決まってるの』
「じゃあ、結婚するんだね」
『うん。お母さんも結婚を勧めたよ。そしたらあの人、何て言ったと思う?』
「え、わかんない。何て言ったの」
『天国の旦那と今の人と私で、仲良くできるかしらね、って言ったのよ。笑って』
本来、人はそう生きるべきなのかもしれない
すごい。未来を心配している、というか未来を期待している。すごいすごい、世界がここにない人のパワーというか純粋さ。私もたまにお見かけするけれど、自分を取り巻く世界にまったく染まらない人がいる。恋愛にのめり込む人が最たるものかもしれない。
他に仕事や趣味や、対象はひとそれぞれ、共通しているのは自分しか見えていない、ただ一点だ。世界=自分、自分=世界。
他人に相談するのは、外の世界ではどうなのかな、と確認する時だけ。
反対されたり諭されたりしても、「ああ、外の世界ではNGなんだ、へぇ~」でおしまい。本来、人はそう生きるべきなんだよな、と私も思う。でもつい、外の世界を気にしてしまうのだ。というよりは、外の世界と内の世界をごっちゃにして、どれが自分の本音かわからなくなってしまう。世界なんて本当はひとつだけで、そのひとつは、自分が中心であるべきなのに。
ひととおり母との会話を反芻した私は、改めて隣を見つめてみた。
「ねえ、これからどうする?」
と女が問う。片手でコーヒーカップを持ち上げ、片手を男の指に絡ませる。
男のこたえは……
女が言う、これからどうする?は今日これからどうする?の意味でないことは推測できた。これから(の人生)どうする?の意味だろう。さて、不倫(と仮定して)の未来を男はどう見据えているのか。私もアラフィフ、女と同世代だ。恋の機会や男性との出会いは目に見えて減っている。久しぶりにおとずれた(と仮定して)恋に傾倒してしまう、女の気持ちはわからなくもない。だからこそ、私も隣の女と同じ心情で、男のこたえを待った。
「これから、ふたりで楽しいよね」
男が、これまたままごとをしているように、笑って言ったのだ。
女は、よりいっそう顔をほころばせた。
私は冒頭で、ふたりの容姿はといえば、田舎の中年男女そのもので、男は意味不明なロゴとイラストが描かれたTシャツにスラックス、女は体型隠しなのかやはりヨレているのか、ダボついたロングのジャンパースカート、化粧っけはなし、などと揶揄してしまったが。
心の底から恥じた。そんなの、外の世界にいる私には無関係なのだ。ふたりはふたりの世界で完結しているのだもの、私の評価など屁でもない。評価するほうが愚かなのだ。さっきまで、私は隣のふたりを、痛いな、と軽蔑していなかったか。いい歳をしてばかみたい、とこっそり嘲笑していなかったか。はい、白状しますがそのとおりだ。
さらに白状してしまうと、心の中ではうらやましいと思っていた。
何このふたりだけの愛の世界ってヤツ!って、羨望していた。いつだって、世界を確立している人には憧れるし、憧れられる。痛い、ばかみたいっていうのは、羨望や憧憬の裏返しだ。
恋愛でも仕事でも趣味でも、世界がここにない感じの人は、しあわせに生きている。