アラフィフ作家の迷走生活・リターンズ 第5回

「ひとり」の時間を大切にするほど、他者との時間が濃密になる。アラフィフの私がそう思う理由

「ひとり」の時間を大切にするほど、他者との時間が濃密になる。アラフィフの私がそう思う理由

「アラフィフ作家の迷走生活」
の連載一覧を見る >>

PR

小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々をつづってきた連載「アラフィフ作家の迷走生活」。リターンズでは過去の連載を振り返りながら、2022年の森さんが感じることを新作としてお届けします。

*本記事で振り返っている回はページ下部の「この記事を読んだ人におすすめ」から読めます。

景気には世相が反映される

2023年、世の中は相変わらず不景気だ。しかし「不景気だ」とぼやいていられるのは、私が昭和生まれで、バブルといわれた好景気時代を知っているからかもしれない。

しかしこの景気というものには世相が反映される。たとえば1995年~2001年に流行った某少女漫画の主人公(24歳)は、恋愛というかセックスのことしか頭にない。当時は私も何の疑問も抱かず主人公に感情移入して読んでいたが、今、読み返してみると、終始「こんなエロ脳で大丈夫なのか?将来はどうするの?」と頭を抱えずにはいられない(歳をとったせいもあるかも)。

本当に瞬時に恋に落ちて秒でセックスしているのだ。それが世間的にもヨシとされ、恋愛に何の障害もなかった時代。これって景気が良かったからだな、と納得してしまう。

コロナ前コロナ後、という表現まで登場した2020年以降、節約や投資がオシャレワードになり、ミニマリストやFIRE(経済的自立)が最先端の生き方のように語られはじめた。

『アラフィフ作家の迷走生活(性活)』が連載されたのはもう4年も前だが、当時から私は、皆が時間を濃密に扱うようになった、と感じていたように思う。そう、いっそのこと恋愛と仕事と美容とスキルアップ等々と当時にやっちゃう? というノリだ。

快楽も節約?

そんなわけで第45回「女性たちがいそしむ、秘密の肉体改造」と第46回「某整形外科で秘部を診断してもらったら」だが、恋愛やら性愛だけに没頭していられない令和女子は、とにかく近道を選ぶのではないかと思い返した。第45回で私は、「(女性器の手術に踏み切るのは)風俗で客を取るため、という商売気質の女性もいると聞いたが、大半は男性をつなぎとめておきたい切ない心がそうさせる。」と書いた。

さらに、「日本人女性は自分自身の快楽よりも相手方の快楽を重視して手術を選ぶらしい。日本人女性の奥ゆかしさよ、おもてなしの心よ(涙)。」とも書いた。が、これはもしかしたら日本人女性の奥ゆかしさではなく、したたかさゆえではないだろうか。

男性のためと言いつつ、自分のためなのだ。お金も時間も、今の世の中、とてつもなく貴重だ。ぬるま湯のようにぬるい快感からふつふつと絶頂にいたるまでの時間がもったいない。かつてはゆっくりじりじり味わうお金や時間の余裕があったけれど、今はもうそれがない。実際に恋愛しなくても、恋人がいなくても、頭の中に推しさえいれば、あとは自分の肉体と道具と技術で気持ちよくなれる。そんなひとり恋愛というか、快感の節約というかが昨今の道理ではないか。

いや、全員がそうとは言いませんが、とにかくすべてが合理的になってきた気がするのだ。だから秘部の手術に100万円かけようが1千万円かけようが、自己投資になるのなら別にいい。恋愛にかけるお金の節約と捉えてもいいし、副業を開始するのも手だ。秘部についてブログを書いたり、秘部チューバ―(なんだそれ)になったりね。

一瞬の人間関係にある魅力

コロナ後は特に、人と人のつながりが希薄になっている、個人主義な人が増えている、と嘆く人もいるだろう。私だって、やけくそで恋愛や人間関係も節約と時短がデフォとか言っているのではなくて、時代性もあるのだなと胸に収めているだけだ。

その証拠に、第49回「AV監督の言葉に衝撃を受けて参加した読書会のこと」と第50回「好きすぎてつらいから、補助要員をつくってみた」では、ぬくもりの大切さを私なりに説いている。

読書会は、男性も女性もひとりで参加している人が多数だったけれど、そのひとりひとりが同じ志を抱いていたのは明らかで、おそらく皆、遠く離れていた仲間にやっとめぐりあえた気持ちだっただろう。

だからといって読書会終了後に全員が友人になったとか連絡先を交換したとかはなかったのだが、自分の分身がどこかにいるから大丈夫、というような安心しきった表情を、皆が浮かべていた。

仲間意識が芽生えただけで身も心も満たされる。私にとってもこの読書会は非日常だったし、参加した人にとってもそうかもしれない。特殊な空間で、目と目を合わせ、視線を絡ませたのだから、そこには間違いなく愛が存在したし、濃密な時間だった。

「でもそれって持続可能な愛じゃないよね?」「数時間だけ見つめ合って、共感しあって、1時間やそこらで別れちゃうんじゃ、意味なくない?」と腑に落ちない人もいるだろう。でも、人間関係に心の傷はつきものだし、恋愛となるともうお互いを傷だらけにしないと進めない場合もあるのだ。傷ついてからこそ絆が太く強固になる、というのもわかる。でも、傷つきたくないのが本音だ。HSP(生まれつき非常に感受性が強く敏感な気質もった人。Highly Sensitive Person(ハイリー・センシティブ・パーソン))も増えているし、人間関係や恋愛の便利な部分だけを堪能してもいいのではないか。

恋愛に対する愛、時間に対する愛

そういう意味で、第50回は今読み返してみても、決して古臭くはない。書いた当初はアラフィフやアラフォーしばりにしていたが、どの年代でもOKだと思う。もちろん、令和になった今でも、恋愛至上主義者はいる。ポリアモリーとかではなく、ひとりの人を究極にまで愛してしまうタイプがいる。でも、あくまで私の感想だが、恋愛脳って疲れませんか。

冒頭で1995年~2001年に流行った某少女漫画の話をしたが、この主人公(24歳)の生き方は確かにパワフルだった。人間の先祖は猿だった、というのを歴史の教科書よりも顕著におしえてくれた。でもそれは好景気に起因しているのだ。今これをやると、心身だけではなく物理的にも確実に消耗する。

第50回は「好きな人が好きすぎてつらいから」というのが前提だったが、「好きな人がいるようないないような」というボヤッとした人でも適材適所に人を配置してもいいのだ。デートはあの人、セックスはあの人、食事はあの人、ゲームはあの人、というように。

大切なのはテーマを決めて、そのテーマと徹底的に遂行することである。必要なのはテーマにそった愛だけだ。ちょっとポリアモリーに近いかもしれないけれど、恋愛感情というよりは、いかに濃密な時間を過ごすかといった、貴重な時間に対する愛だ。

初対面同士で自分宛の弔辞を読みあって感じたもの

第41回「自分の死をプロデュースするということ」は、死についての考察だった。入棺体験はもう5年以上前の体験になるが、最近、もう一度体験してみたいと思うようになった。

生きている間に死を疑似体験するというのは、実はかなりショッキングだ。だって棺桶ですよ、通常は死んでいないと入れないのだ。この入棺体験もひとり参加が多かったように思う。私は仕事の一環だったのでふたり参加だったが、自分宛ての弔辞を書く時や読み合わせる時は、参加者がシャッフルされ、初対面同士でふたり一組になった。

年代も人生経験も様々な人と、この時もやはり濃密な時間を共用した。するとどうだろう、墓友という言葉もあるが、入棺友達というか臨死体験友達みたいな妙な絆が生まれたのだ。当然、読書会同様こちらも1時間ほどともに過ごしただけだ。とはいえ、その1時間はとても濃く、数人と「人生の脱皮」を体感した。やはり便利で尊い、愛が存在したのだ。

景気も変わって、時代も変わる。常識だって変わって、どんどん更新される。人と人のつながりが希薄になっている、個人主義な人が増えている、と嘆くのではなくて、より一層密になったと考えてもいいのではないか。そんな風に思いつつ、「海で溺れた経験があるから海洋散骨は嫌だな。樹木葬がいいな。樹木友達を作ろうかな」と妄想している私である。

SHARE Facebook Twitter はてなブックマーク lineで送る
PR

この連載をもっと見る

アラフィフ作家の迷走生活

小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴る連載です。

この記事を読んだ人におすすめ

この記事を気に入ったらいいね!しよう

「ひとり」の時間を大切にするほど、他者との時間が濃密になる。アラフィフの私がそう思う理由

関連する記事

編集部オススメ

2022年は3年ぶりの行動制限のない年末。久しぶりに親や家族に会ったときにふと「親の介護」が頭をよぎる人もいるのでは? たとえ介護が終わっても、私たちの日常は続くから--。介護について考えることは親と自分との関係性や距離感についても考えること。人生100年時代と言われる今だからこそ、介護について考えてみませんか? これまでウートピで掲載した介護に関する記事も特集します。

記事ランキング