小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回のテーマは「キス」です。「セックスよりも、キスをしなくなったら関係性はもう終わり」という言葉から、改めてキスという行為について考えていきます。
*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2020年1月25日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています。
以前、某音楽プロデューサーが著書で「セックスよりも、キスをしなくなったら関係性はもう終わり」みたいなことを語っていた。当時私はまだ若くて恋愛経験も少なかったが、至極納得した。
「よだれ」から「食べたい」に変化したキスへのイメージ
ちなみに私のファーストキスは4歳で、相手は近所に住む幼なじみの男の子だった。確かに仲はよかったのだが、キス自体は周囲の小学生に冷やかされてやった感じで、特に感慨深くはない。相手の唇が唾液(よだれ?)まみれだったな、という感想だけだ。当時は、なんで大人はこんなことをしたがるのだろう、と不思議に思っていた。最近では某文化人が、「キスなんて菌の交換に過ぎない」というような発言をした。まあ、だから衛生面を考えれば美しい行為ではない(衛生面レベルで言えばセックスも同じ)。
ていうか肉欲につながる行為はすべて美しくはない。セックスだって様々な体位があるけれど、どれもこれも知恵の輪グッズみたいな絡みだし(どこに局部があるでしょうか? さあ、はずしてみよう! みたいな)、もっとも現実味を帯びた正常位だって「カエル」だろう。初めて正常位の図解を見た時、あるいは初体験のさい、カエルの印象を持たなかった人っているのでしょうか?
それはそれとして、私のキスへのイメージは「よだれ」から「食べたい」に変化した。いつからそうなったかといえば、やはり人を好きになってからだろう。「食べちゃいたいくらい好き」という言葉があるように、人は誰かを好きになると「食べたい」衝動にかられる。中には本当に食べてしまって法に裁かれる人も存在するのだ。それほどのパワーを持つキス=食べたいエネルギー。ある意味、セックスよりも強力だ。
性欲には紆余曲折があるけれど
風俗などでも、「セックスは可だけどキスは不可」という女性(男性も?)が存在する。セフレという関係があっても、キスフレという関係は、おそらくない。肉体面のダメージや危険性はセックスのほうが高いのに、内面的なダメージはきっとキスのほうが高い。むりやりセックスされた、よりも、むりやりキスされた、ほうが心に泥を塗られた気になるのではないか。勿論、どちらも絶対にしてはいけないし、傷は根深いに決まっているのだが。
キスだけで感じることもあるけれど、セックスのほうがダイレクトに感じるし、感じ方のふり幅も大きい。でも、時と場合によっては、1回のセックスより1回のキスが上位にくる。
なぜだろうか。「食べたい」衝動は、生まれたままの無垢な本能からきているからだ。性欲って成長とともに育ち、萎えたり復活したりの紆余曲折があるけれど、食欲って生まれた時からある。食欲と睡眠欲って、原始なのだ。だから、キスしたい相手って穢れのない心で好きってことなのかな、と思ったりする。それが永続的でなくて、瞬間的だとしても。「今、したいから、ついしちゃった」という素直な感覚。「今、食べたかったんだな」とわかると、本当にうれしい。
エレベーターの中でいきなりキスされて
私自身、行きがかり上セックスしてしまってすぐ好きになったことはないけれど、行きがかり上キスされてしまってすぐ好きになった経験はある。
ほんの少し前まで普通に食事していたのに、帰宅時エレベーターでふたりだけになって、いきなりキスされた。お酒も飲んでいないし、真昼間だったし、いくらふたりきりだったとはいえエレベーターで3階から降りてきただけの、短時間だ。しかも、その日に会ったばかりの初対面同士である。出会い系サイトやマッチングアプリを使っての逢瀬でもない。
相手のほうも、「あ、つい」みたいな感じだったし、私のほうも「つい、しちゃいますよねー」みたいに返した。結果、そのまま付き合ってしまった。しつこいようだが、それ目的で会ったわけではないのに、だ。一緒に食べたいものを食べて、「食べたい器官」をくっつけた。3階から1階へ降りてきただけ(しかもガラス張りのエレベーターだったような)なので、さほどディープではない。でもセックスの相性よりも唇の勘みたいなもののほうが、信じられる。そう確信した出来事だ。
さらに言えば、その人はもともとキスが好きみたいで、会えばいつも何回でもしてきた。おかげで私は1日に何度も口紅やリップクリームをぬりなおさなければならず、面倒だな、と思ったこともある。でもそれ以上に、この人はなんて可愛いんだろう、と感激した。
キスは至近距離でないとできない。当然だが、顔と顔がこれ以上ないくらいくっつくので、コンプレックスがあるととても躊躇する。私だってアラフィフ、しわが、とか、たるみが、とか、毛穴が、とか、もう気にしだしたらきりがない。男性だって然りだろうけれど、羞恥心や雑念を振り切って「今、したいから、ついしちゃった」という欲望を見せられたら、もう、私は無条件に好きになるし、自分もそうしたい。
モテる人はたぶん、羞恥心をかなぐり捨てて自分をうまくさらけ出せる人だ。キスから始まった私のかつての相手もそうだけれど、他の人も、「この人は素敵だな」とときめいた人はたいていキスが好きだった。上手い、下手はよくわからないし、私もまったく自信などないのだが、誰も彼も心地いい感触だった。こっちが心地いいのだから、相手も心地よかったのだろう。
キスが好きな人と付き合えておかげで、私も自分をさらけ出しやすくなった。コンプレックスや年齢を気にしてうじうじしている自分より、しわもたるみも見せてやるぞ! とひらきなおって無邪気にふるまうほうが、たぶん相手もうれしいと思う。
キスをしない人とは付き合えない
だから、菌がどうの、衛生面がどうの、と御託を並べている人とは付き合えない。付き合う以前に、その人自身が損しているように思える。キスやセックスはやらなくても死なないし、性欲も欲望もその人自身のものだから、私の主張など「余計なお世話」だろうけど。
ただ、自分だけがキスを求めて、相手からは求められないとなると、本当にショックだ。冒頭の某音楽プロデューサーが言うように、「セックスよりも、キスをしなくなったら関係性はもう終わり」だと私も思う。自分だけ心をひらいて、相手はひらいていない、そんな気すらしてしまう。この人は私の顔が嫌いで、私のことを見ていないのだ、と絶望する。一緒にいてもつらくなりそうだから、その人との未来は泣く泣くあきらめる。だから、キスをしない人とは付き合えない。
今後、年齢を重ねて、物理的にセックスできなくなっても、キスだけはしていたい。80歳、100歳になったとして、歯がなくなって、違った意味で「よだれ」の印象しかなくなっても、キスだけは忘れてはいけないと思う。
皆さん、よく「そんな歳じゃないし」とか「今さら」って言うけれど、そんな歳って何だろう。今さら、って何? セックスしちゃいけない歳、キスしちゃいけない歳、欲情しちゃダメな歳、ってあるのだろうか? 友人の漫画家さんが言っていたし、私もそう思うのだけど、「欲って生きる源」なのだ。食欲と性欲がリンクした、キス。出し惜しみせずに、もっとあちこちでしてもいいんじゃないかな、なんて私は思ってしまうのだ。