小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。過去回でお届けしたように、一時期、自分の秘部に自信を持てずにいた森さん。そんな折、あるAV監督の言葉に衝撃を受けたと言います。
*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2019年10月26日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています。
先日、代々木忠氏著作「つながる」の読書会に参加してきた。主催者はヨガ講師の田原佐和子さんで、ゲストに有名AV監督の市原克也氏と、これまた有名AV男優の森林原人氏が来ていた。参加者は約30名で男女の比率は1対4くらいだろうか。台風の影響もあって天候が思わしくなかったのに、満席状態である。こぢんまりした会ではあったが、内容といい、主宰者と参加者それぞれの意気込みといい、かなり濃密だった。
自分の秘部に不安を感じたのがきっかけ
失礼ながら、私は代々木忠監督作品を一切観ていない。そもそもAV自体ほとんど観ておらず、森林原人氏も映像より先に彼の著書で知ったくらいだ。彼の考え方に共感して、すっかりファンになった。そこでやっと彼が出演するAVをちょろりと観たのだが(それと知らず観ていた作品もあった)、女性の扱いのていねいさ、見せ方の巧さに胸打たれた。代々木忠監督も然りで、著書を拝読し、考え方や思想に感銘を受けた。その流れで「読書会」に参加したのである。
もっと平たく言えば、「つながる」を手に取ったきっかけは、自分の秘部に不安を感じたからだ。詳しくは『女性たちがいそしむ、秘密の肉体改造』『某整形外科で秘部を診断してもらったら』*を一読していただきたい。私自身の年齢を危惧して心配になったのもあるが、世にあふれる情報に翻弄された結果、美容整形にまで到達してしまったと言っていい。
*リンクはページ下部「この記事を読んだ人におすすめ」にあります。
この連載の初期、『昭和から膣トレに励んでいた私が思うこと』で、私自身が膣トレに警鐘を鳴らしていた(というか、やりすぎ、勘違いはよくないと示唆した)にもかかわらず、トラップにはまってしまった。自分の身体を調べたり、確認しに行ったり、医師に話を聞いたのは無駄ではないし、後悔もしていない。
ただ、謎は謎のまま、自分の中でケリをつけるしかなかったのが口惜しいといえば口惜しかった。事実、私の赤っ恥話に賛同してくれた女性もいて、感想を送ってくださった方も何人かいた。私の気持ちを代弁してくれてありがとう、的な。これには私のほうが涙したくらいだ。
大御所のAV監督の言葉に衝撃を受けた
そんな折に、「つながる」を拝読した。書籍の前半で、せっせと膣トレに励む女の子を代々木忠監督は「アホか、おまえは」と、呆れ半分に叱責する。「セックスは目と目でつながる行為で、それがきちんとできていれば、膣などおのずと締まってくる」というのが彼の主張で、逆に言えば、それができていないとAV男優でも中折れする、と。これは衝撃だった。え? プロ中のプロのAV男優が中折れ? ていうか、抜きのプロであるAV監督が、「目と目でつながる行為」だと?
AVをほとんど観ていない私の偏見で大変申し訳ないが、AVってただ抜ければいいと私は思っていた。そこには芸術性も主体性もなく、ストーリーも女性心理もなく、ただ男性本意に作られたエロである。AVなりのセオリーがあって、ツボさえ押さえておけば誰でも抜けるようにできているんでしょう? みたいな感じだ。いささかバカにしたというか、軽んじた見方をしていたのは恥じ入る限りだが(本当にただただ平謝りするしかありません)、それがAVという作品、手っ取り早く抜ける=AV業界一流の仕事だと思い込んでいたのである。
それが何? ピュアな少女マンガじゃあるまいし、「目と目でつながる行為」? これが大御所のAV監督の信条で、究極のセックスの到達点ってこと? オーガズムは目と目が始まりで、目と目で終わるの? 身体だけを撮っていると思っていたのに、身体を通して精神や魂を撮っていたの? すごい、すごすぎる。私には、私の秘部を診断してくれた医師の言葉よりも心と身体に響いた。
さらに、本当に感じるためには自分を相手にあけわたさなければならない、というのも衝撃だった。あけわたす? 引っ越しでも立ち退きでもないのだ。つまり、自分をまるごとささげて、相手をまるごと享受する。
見つめ合う行為は、単純なようでいて難しい
そこにはもう、女性が美人だからとか巨乳、美尻だからとか、男性がお金持ちだからとか巨根だからとか、セックスにおける煩悩的な計算や羞恥は一切なし。「まつエクが取れるのが気になって、イキたくてもイケない」だの「イク時の顔も美しくありたい」だの(実際こういう女性はいるらしいですね)、「間が抜けた顔をみられるのが嫌だ」という男性もいたりして、自分をあけわたすどころか、心の半分もひらけない人がいるだろう。
あるいは、膣トレの結果を試してみたくて力むことに集中したりして。もはや何のために膣トレしているのかわからなくなって、フェミメイトなどの(膣トレの計測ができるグッズです)数値が上がることだけが快感になったりしてね。
何にせよ、鍛えるのは身体のためにはなるし、膣トレも筋トレの一種だから、当然、私だって全否定はしないし、適度に鍛えるのは賛成だ。だって、私も膣トレのトラップにはまりかけたのだもの(しかも自分でしかけた罠に自分ではまった)、偉そうなことは言えないのだ。
私もヨガ歴は長いし、身体について昔から興味があるので、身体、心、魂がつながっているのはなんとなくわかる。あくまで、なんとなく、のレベルだが、絶妙なバランスで共存しているのは、なんとなく理解している。そこへもってきて、最も現実的で即物的(だと思っていた)AVの世界でもそこを大切にしていた。
裸になって、無防備な姿をさらすだけでも、とてつもない勇気が必要だが、その上で深く見つめ合うのは、できそうでいてなかなかできない。私自身、相手が私を見てくれていない、と幾度となく悲しくなったが、ふと、もしかしたら私自身が相手を見つめていなかったのかもしれない、と気づいた。そう、見つめる、見つめ合う行為は、単純なようでいて難しいのだ。
「相手に自分をあけわたす」ってどういうこと?
相手を見つめることで、自分と向き合う。自分と向き合えなければ、相手とも向き合えないし、見つめられない。その上で、「相手に自分をあけわたす」とは、どういうことだろうと私は考えた。これは読書会のお題のひとつであったが、皆、なかなかこたえが出せず、無言で俯いたり、唸っていたりした。
「あけわたす」について、人の数だけ解釈がありそうだが、私なりのこたえは「嫌われてもいいから、相手に自分のすべてをさらけ出す、ぶつける」だった。似たような意見は多く、やはり自分を守る術(たいていがプライドやトラウマが原因だ。プライドはまだしも、トラウマを克服するのは大変かもしれない)を壊して、まっさらな身体(裸だし)と心を相手に「あけわたす」。
嫌われてもいい、と丸腰でぶつかってきた相手を、突っぱねる人がいるだろうか。皆、なかなかそれができないと知っているし、それこそ死ぬほどの勇気を出す人だっている。結果、恋愛関係や婚姻関係までは結べない場合だってあるだろうけど、自分自身は変わるだろうし、一度それができたら、目と目でつながる相手だって見つけられるはずだ。心がとろけてしまえば、身体もとろける。
読書会の最後に、呼吸法を行った。この呼吸法は3種類あり、「つながる」にも掲載されているのだが、同じ志を持った参加者と実践するのは貴重な機会である。やりかたの詳細は省くが、この呼吸法だけでイッてしまう人もいるくらい強力なのだとか。強力と書いてしまうと、バイアグラとかマムシドリンクみたいな即効性のある印象になってしまうが、感想としてはそうではない。
深い呼吸は深いリラックスを導き出し、短い呼吸は身体を熱くし、感情を解放してくれる。なるほど、ヨガと通じるものがあるな、とナチュラルなトランス状態に陥りながら、自分を縛っていたあらゆるもの(プライドやトラウマ、情報に踊らされていた心など)が解きほぐされていく気がした。
セックスの基本というか、生きとし生けるものの基本を知った、貴重な1日だった。