アラフィフ作家の迷走生活 第47回

男女のお金のやりとりは、思惑次第で美しくも陳腐にもなる

男女のお金のやりとりは、思惑次第で美しくも陳腐にもなる

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小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回は、男性側がお金を支払うのが当然とされていた時代や、森さんが過去に貢いだ話から、お金を使うこと、使わせることについて考えていきます。

*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2019年9月28日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています

「初デートの時、男が割引クーポン持っていたので、即、別れた」

という話を、知人女性から聞いたことがある。彼女は婚活中だったので、余計に男性を見る目がシビアだったのだろう。私からすれば特に別れるほどの問題ではないのだが、彼女は「だって初デートですよ。いきなり割引クーポンなんて安く見られているし、バカにしている」と憤懣(ふんまん)やるかたない。

彼女は結婚相談所に登録していて、割引クーポン男もそこで紹介された相手だ。初デート、しかも結婚相談所でのお見合い、という流れを考えると、確かにありえないのだろうか。「金銭感覚がしっかりしている男性だわ!」とむしろOKな女性もいるかもしれないけれど。

若かりし頃は男性に支払ってもらっていたけれど

男と女のお財布事情は、人によって基準が異なる。そんなことを改めて考えさせられたのは、私が男に貢ぐか貢がないか、という議題で討論する場に参加したからである。昭和生まれ、特にバブル期を経験している女性は「お金はすべて男性が支払うもの」という刷り込みができているかもしれない。

私はバブル期のイケイケ(死語)な様子を指をくわえて見上げていた世代なので、100%の恩恵は受けていない。それでもバブル期の余波は充分にあったので、男性側が支払う風潮だった。私も若かりし頃は男性に支払ってもらったのだが、支払ってもらって当然、という境地には至らなかった。なぜだろう。

男性に“買われている”感じや、お金の対価として扱われる自分が我慢ならなかったのか。自分も働いているのだから、多少はこちらも支払うべきだという自負があったのか。私にお金を払うメリットはない、とはなから自分を卑下していたのだろうか。むしろ私のために時間を割いてくれてありがとう、私が支払いますよ、の境地とか。

若かりし頃の私は、自分も働いているのだから、と、私にお金を払うメリットはない、のふたつのミックスだった。バブル期の風がまだ香ばしかった時代、私の周囲には「私にお金を使うのは当然」「私がお金を使わせてあげている」という女性が大多数だった。今でこそ性格が悪そうな響きだが、男性達もよろこんでお金を使っていたように思う。むしろお金を使うことで自己や自尊心を保っているというように。

お金を支払うというのは、実に気持ちいい行為なのだ。本当は、お金を使ってもらうことよりお金を使うことのほうがはるかに気持ちいい。そういう思いを男性に抱かせる女性は、すこぶる魅力的だ。

本当の紳士は、セックス前の綿菓子のような時間にお金を費やす

若かりし頃、私はそういう人生の機微みたいなものがちっともわかっていなかった。輝くばかりの笑顔で女性が「おいしい」と言えば男性はA5ランクの松坂牛をいくらでも食べさせるだろうし、ジュエリーだって買ってくれる。決してその後のご褒美を期待してはいけない。本当の紳士はセックスではなく、セックス前の綿菓子のような時間にお金を費やすのだ。もやっとふわっと正体不明な清くて甘い時間。

そう、私は、自分も働いているし、だの、私にお金を払うメリットはない、だの、大義名分を掲げていたが、とどのつまりセックスがこわかったのである。コーヒー1杯でもごちそうになったら、それがセックスへの架け橋になる。1万円くらいのディナーをうっかりごちそうになったら、セックスへの架け橋どころかベルトコンベアーに乗せられたも同然。私にお金を払うメリットはない、とか、自分を守るフリして、自分を高みに上げていた。謙虚なようでいて、卑屈。卑屈なようでいて、とんでもなく高飛車。私とセックスしたいのなら、てめえの真心を持ってこい、と顎で指図しているのだから。何様なのだ、貴様は。はした金など受け取るもんか、ってかたくなに身構えていたわけだ。

私は何も、おごってくれる男性全員が女性にセックスや性行為を求めている、とは思っていない。女性側だってそうだ。ただ、可能性はゼロではないだろう。お互い何らかの化学反応が起これば関係性は進むし、その先はお互い交渉をすればいい。

男性からの金銭をスマートに享受できる女性は、自分の価値や男性と過ごす時間の意味を理解している。金銭のやりとりは男女の思惑次第で美しくも、陳腐にもなるのだ。数十年前まで、私はそういった貴重な誘いをかたっぱしから断るか、誘いにのったとしても全額を相手に支払わせるなんてしなかった。会計時にいい子ぶってお財布をひらいていたのだ。男性はさぞかし興ざめしただろう。

お金を使うという清々しさをおしえてくれた彼

そんな私が、一度だけ男に貢いだことがある。貢ぐつもりはなかったのだが、なんとなくそういう関係になってしまったのだ。貧乏性の私なので、大金は貢がなかったが、塵も積もれば……、でそれなりの金額になっていたかもしれない。当時は、バカだったな、と後悔したが、しかしさっぱりした後悔だった。

いや、本当には後悔していなかった。後悔するとしたら、もっと潔く貢いでいればよかった、という一点かもしれない。あの時の彼は、私にお金を使うという清々しさをおしえてくれた。誰かのために使うお金の気持ちよさを、私は初めて知ったのだ。同時に、使ってもらう気持ちよさも知ったのである。私のために誰かがお金を使ってくれる→お金を使う気持ちよさを私が与えている→相手を気持ちよくしている自分って気持ちいい、という図式。

だからと言って、今、私は誰かに貢ごうとは思っていない。貢がれようとも思っていない。ただ、長いお付き合いにしたい相手には、都度、いくらか負担するようにしている。前述したように私も働いているし、もう若くはない。ご馳走されてよろこぶ年齢ではない、と言っているのではなく(ご馳走されればとてもうれしい)、なんていうか、対等にお付き合いしたい気持ちも芽生えたのだ。

単なる知人か気の置けない友人か、はたまた好意を抱いている異性か、お付き合いする相手によって状況も、金額も変わってくるが、特に行為を抱いている異性だったら、相手を慮ってさりげなく支払う、という場面に私は憧れている。毎回じゃなくて、五分五分というか、うまくバランスを取りたいのだ。アラフィフになってまで男性におんぶにだっこしたくない、というのは、やはり可愛げがないのだろうか。大人になってもまだ、私の若かりし頃の悪い癖は抜けていないのだろうか。いや、年を重ねたからこそ、お金は身を守る盾になったり、身を飾るアクセサリーにもなる。

偽物だけど美しい絆を、お金で買いたい

究極、私は将来、身の回りの世話をしてくれる誰かを買いたいと思っている。ホームヘルパーというレベルではなく、疑似家族というのが正しい。きっと今後、引きこもりやニートが増えるだろうから、そういう人達に住居と適度な金銭を与えて、身体の弱った私の面倒をみてほしいのだ。

最近の若い人達は物欲があまりないというから、さほど高額は請求されないだろうし、私が頑固でわがままな老人にならなければ、つかず離れずの距離感で面倒をみてくれるんじゃないかな、と思っている。かなり希望的観測だが、そういう偽物だけど美しい絆を、お金で買ってもいいと思うのだ。だって人生100年、120年とか言われている時代、家族だけに頼っていられないし、そもそも家族自体が崩壊する恐れもある。子供を持たない人もいれば、結婚しない人もいる。お金に関する考え方だって変わってきている。

男性がお金を出すのがあたりまえだった頃は、皆、恋人や結婚相手を躍起になって探していた時代ともいえる。女性は25歳過ぎたら行き遅れ、とか本気でささやかれていたのだ。男性側だって、結婚しないと出世できない企業も多数あった(本当に信じられない)。結婚しないと身分が保障されないとか、余計なお世話だなと今なら鼻で笑うが、当時は笑える事態ではないだろう。女性に貢ぎまくって結婚した人だっているはずだ。

今は、金銭的呪縛から逃れられた人が多い時代かもしれない。世間一般的に言えば、収入の格差は歴然としていたり、相変わらずの就職難だったりと、切羽詰っているに違いないが、個々の金銭的呪縛はないに等しい。ていうか、そんなものはなくしていきたい。個人的に、おごられるうれしさと支払えるという心地よさの両方を知ったので、相手ありきでうまく使い分けていきたいと思う。そのためには、勿論一生働く気でいる。

お金のために働くのではなく、お金で紡げる縁を大切にしたいからだ。

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