アラフィフ作家の迷走生活 第40回

告白とか別になくてもいい、のかもしれない

告白とか別になくてもいい、のかもしれない

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小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回は、恋愛や結婚における「告白」について。告白ありきの恋愛をしてきた森さんも、最近は、なくてもいいのかなと思うようになったのだそう。そして、告白がなくなれば他にもなくなるものがあるのでは?と考えます。

*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2019年6月8日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています

告白という垣根がなくなりつつあるらしい。

告白とは、「好きです」「付き合ってください」「結婚してください」etc、秘め事や希望を特定の相手に打ち明けることだ。

昨今では皆さん、野性的な勘が冴えたり、時代の変革とともに誰もがオーラリーディングができるようになったり過去生が読めるようになったりして、もう言語なんか要らないよね、という風潮なのだろうか。

今や壁ドンも顎クイも古くさい?

私などは古い人間なので、やはり告白はあってしかるもの、と思っていた。だってわからないじゃないですか。「言わなくてもわかるだろ?」壁ドン、顎クイ、という世代のその前に私は色恋沙汰をやっていたのだ。いわば「言ってくれないとわからない」世代だ。今や、壁ドンも顎クイも古臭くて、皆さん、空気でやっちゃっているんでしょう? 「空気読めよ」じゃなくて「空気感じろよ」とか「空気発しろよ」(これも声にしないで視線や波動でやる)な世界観。

そんな私でも最近は、告白とか別になくてもいいのかな、と思うようになってきた。いえ、色恋沙汰云々ではなく、言語感覚の変容をそれこそ空気で感じたのだ。私は昭和生まれなので、恋人になる、結婚する、等々、やはり告白ありきの世代である。

インターネットのない時代、時間はゆっくりと重く過ぎていったものだ。電話はあったが家電がメイン。両親が自宅にいる時は公衆電話まで走り、限られたお金と時間で愛を伝えなければならない。「明日言えばいいか」なんて躊躇している間にお金と時間が切れてしまうのだから。

故に「俺達(私達)、付き合ってるんだよね?」と素早く確認せねばならない。それも10円玉ではなく100円玉を投入後だ。もしくは度数が余裕たっぷりのテレフォンカード(死アイテム)を差し込んでからである。うかうかしていると、「俺達(私達)、付き合って……、ガチャプー(電話が切れる音)」と無残にもシャットダウン(という言葉もなかった時代だけど)される恐れがある。空気を感じたり発したりするどころではなく、言葉やそれに付随する行動がないと何も始まらなかったのだ。

レッテルがあれば自信が持てた

私自身、かつては「好きです」「付き合ってください」「結婚してください」と言われてきたし、言ってきた。結婚の場合は「結婚しよう」だったかもしれないが、とにかく旦那さんからの告白があった。なんていうか、連絡はすぐに取れないし、待ち合わせ場所ですれ違う可能性だってあるし、言葉で存在価値を示しておかないと不安だったのだ。昭和だろうが大正だろうが、特に言葉を要しない人達もいたに違いないが、私の周囲では少なくとも、告白といった確認事項はあったように思う。

私はあなたの「恋人」「彼女」「妻」というレッテルがあれば自信が持てた。頻繁に会えなくても、滅多に電話できなくても、言葉というレッテルで自分を落ち着かせていた。彼ないし夫が外で浮気をしていようとも、私はあなたの「恋人」で「彼女」で「妻」なのだから。彼は私に一世一代の決心をして告白したのだから(と思いたいのだから)。

ロマンといえばロマンだけど、つまりは安心材料だったわけだ。だって当時の時間はゆっくりと重く過ぎていったのだ。今日告白できなかったら、明日またチャレンジしなければならない。SNSがないから、今日や明日の彼や彼女のスケジュールは見えないし予想できない。誰か友人や知人に聞いて回ればいいのだが、電話しても出るとは限らないし、おしえてくれるかどうかも不明だ。

告白がなければ、「あなたと私は仲がいいし、セックスもしてるけど、どういう関係なのかな」といつまでも悶々とする。繰り返すがSNSがないから、彼や彼女の交友関係が今ひとつ謎だし、把握するまで時間がかかる。まあ、感覚的に本命なのかセフレなのかはわかるものだが。

いろいろなサイクルが速くなっている

告白なんて、今ではテレビのお見合い番組でしか見なくなったほどの風物詩。あれって一種のパフォーマンスだよね、と令和バージョンになった私なら微笑ましくなる。

インターネットやAIの普及により、言語感覚はもとより様々な流れが変わっていき、しかも速い。情報などは発信した瞬間から劣化するし、思考も空気に触れたらすぐに腐るのではと不安になる。だから、好きだな、とうっすらでも思ってしまったらLINEで絵文字を送信したり、インスタでアピールする。

アクションが返ってこなかったら終了。またはインターネットでSNSを検索、すかさず連絡を取る。会わずとも何回かのやりとり、あるいは一回のメッセージ交換でもう空気、というか電波? が読めるだろう。

「好きです」なんて言わずとも、すべて空気と電波がおしえてくれる。そういう流れの中で生きていれば、私達の言語感覚もそれに呼応してくるし、肌感覚もそうだろう。一度セックスした瞬間に「あ、私とこの人はセフレ! 究極のセフレ!」と肌が覚醒するかもしれないし、「あ、私とこの人は一夜限り! これ以上寝たら幻滅する!」というのも肌センサーがキャッチするかもしれない。もう、いちいち「セフレ希望!」とか「一夜限りで!」などという告白も野暮だ。

それほどいろんなサイクルが速くなっている。しばらく会わないうちに友人知人の顔が変わっていたりするのも、めずらしくない。一昔前は「ニキビ治療で皮膚科」って意識だったのが、今やニキビひとつ潰す勢いで目を二重にし、鼻毛1本抜くくらいの小さな気合で全身脱毛している。

特別な関係の終わりには

「好きです」「付き合ってください」「結婚してください」etc。人と人が特別な関係を結ぶに至って言葉が必要じゃなくなれば、関係が壊れる時も言葉は要らないのだろうか。

「嫌いになりました」「付き合いを解消しよう」「離婚してください」etc。人と人を結ぶ言葉と比較して、なんて残酷な響きだろう。わざわざ別れを告げなければ、けっこう便利だ。

なぜなら、保留というストッパーに置き換えられるから。でも、付き合いや結婚に告白が必須じゃなくなっても、別離に告白は必須だろう。残酷な響きでも、今まで付き合った、結婚していた相手に線引きしてやらなければ、新たなスタートは切れない。

GW明けだっただろうか、退職代行業というのが話題になった。退職したいけれど自分では言えない人の代わりに退職の手続きを代行してくれるのだ。代行業自体はめずらしくはないが、退職代行が流行るというのは、ちょっと驚きだ。時代だなと感心せずにはいられない。退職も一種の告白だが、恋愛や結婚に関しても告白代行業があるのかもしれない。勿論、はじまりではなく終わりのほうの告白がメインである。

特別な関係の始まりは、皆さん、空気や電波で感じ取れるくらい研ぎ澄まされているでしょう。でも特別な関係の終わりは、皆さん、空気や電波で感じていても認められない。認めたくない。悲しい、つらい感情にけじめをつけてリスタートを切るには、言葉がまだ必要なのだ。

それもできれば、声とセットがいい。たとえバイオレンスな別れであって「声なんか聞きたくないし、金輪際会いたくもない」な状況だったとしても、LINEやメールの無機質な文字よりも(あるいはアプリなどの音声よりも)、直接会って、声で、言葉をもらいたい。そのほうがさっぱりするし、礼儀でもあるかなと思う。

実際は、きれいごとだけで済まされない種類の告白もある。でも、告白って自分自身のためでもあるのだ。自分自身の人生から逃げないため、みたいな。ちょっと大げさかもしれないけれど。

せめて恋愛や結婚は、告白代行業が流行らないことを願う。

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