アラフィフ作家の迷走生活 第32回

生きていればさみしい

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小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回は食欲と性欲の関係性について。30年前に発売された書籍のタイトル『淋しい女(ひと)は太る』を見て、当時18歳だった森さんは何を感じたのでしょうか。

*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2019年2月9日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています

食欲と性欲はリンクしているのだろうか。

肥満、メタボ、端的にデブ。職業的にその体型が良しとされる人以外、太っている人はやり玉に上げられやすい。とかく女性芸能人なんかだと、ちょっと太ったり痩せたりするだけで、やれ劣化した、やれ離婚秒読みか、だのと騒がれる。SNSやYouTubeが普及したおかげで、素人と著名人の境目が曖昧になった昨今、一昔前よりも顕著に、皆が体型を気にするようになってしまった。太った痩せた問題がパンデミックのごとく広まっているのだ。

30年前に発売された、女心をかき乱す書籍

外見において他人からの評価を怖れるのは女性が大半だろう。ダイエットなんて、趣旨や趣向は違えど時代を選ばず誰もがかかってしまう病みたいなものだ。かくいう私も十代後半から二十代前半までダイエット地獄に陥ったクチである。過食症あるいは拒食症(アプローチは異なるが根源は紙一重)の一歩手前まで足を踏み入れた。当時の私は決して太ってはいなかったが、痩せてもいなかった。いたずらに巨乳で丸顔だったため、印象的にふっくらしていたのである。

時は1988年、私が18歳の頃、女心をかき乱す書籍が発売された。『淋しい女(ひと)は太る』だ。私と同世代の女性なら、鮮烈に記憶されているのではないだろうか。実のところ、私はこの書籍を読んではいないので、内容について言及するのは気が引ける。とても興味があり読みたいのは山々だったのだが、手にしてしまうと「私は太っている。私は淋しい」と自分で認めているようでこわかったのだ。

さらに言えば、認めているようでこわい、と躊躇したということは、事実私はさみしかったのだろう。そのさみしさを体重と結びつけるのは、あまりにつらい。とはいえ、この書籍は爆発的に売れた(と思う)。かなり話題に上がり、連日ワイドショーなどであれやこれや議論されていた(と思う)。歯切れが悪くて恐縮だが、当時の私がダイエットに憑りつかれていたため、良くも悪くも鮮烈な思い出として脳裏にこびりついているのだ。

欲求不満=性的に満たされていない?

「淋しい女(ひと)は太る」。なんて残酷なタイトルだろう。さみしいとひとことに言っても、様々な意味があるが、成熟した女性が「さみしい」とつぶやくと、「欲求不満=性的に満たされていない」という風に見られてしまいがちだ。彼あるいは夫がいないからさみしい、セックスしていないからさみしい、またはセックスしていても満足していないからさみしい等々。充実したセックスライフ=スレンダーな女性って、単純な公式が成り立ちそうだよな、と鼻白む。いやいや、それは言い過ぎだよってさすがに私もわかっているけれど。

でも当時18歳だった私、ダイエットしてもいまいち効果がでないのは彼がいないから? と本気で悩んだ。だから、適当な相手とセックスだけしてみた。いくら繰り返しても痩せないし、太りもしない。ただ、むなしくなって、余計にさみしくなっただけだ。

セックスは全身運動だし、うまくやれば確かに痩せるかもしれないけれど、その分空腹にもなるからたくさん食べて太るかもしれない。やりすぎて痩せぎすになる可能性だってある。そもそも満たされない性欲を食欲で満たすなんて無理がないか? だって、どうしても今すぐセックスしたいけれど誰もいないからカップラーメンを食べてスッキリした、なんて話は聞いたことがない。

まあ、よくてオナニーかなと思うけれど、セックスとオナニーを別物とする人だっている。ていうか、そのほうが多くないか? ああ、満たされない性欲を無理に食欲で満たそうとするから、余計にストレスがたまって食べまくるという悪循環なのだな。なるほど。

だったら、痩せている人はさみしくないのかな、と不思議になる。痩せている人は人生においてすべてオッケーなわけ? そんなわけはないのに、そうなのだと18歳の私は確信していた。ダイエットに憑りつかれると、思考そのものが危険になる。痩せている人はすべてにおいて愛にあふれた毎日を謳歌していて、太っている人はすべてにおいて不満だらけで孤独でさみしいのだと、私と同じなのだと安心し、同時に軽蔑するのだ。

胃に入れて嘔吐するよりはマシだと思った

日増しに性格が刺々しくなっていると自覚しつつも、私は痩せたかった。さみしい女だと指をさされたくなかったし(誰も指なんかささないのに)、相思相愛の彼がいなくてセックスしていないと笑われたくなかった(別におかしなことではないのに)。もはや何のために痩せたいのか、何のためにダイエットしているのか、わからなくなっていた。そもそも私は太っていないのに、500g体重が増えただけで下剤を飲んだり断食をした。参考までに、身長156㎝、体重47~48㎏だった。18歳なら健康的な数値だろう。

ねえ、どうして「淋しい女(人)は太る」の?

痩せている人に、美しい人に、めくるめくセックスをしている人に、聞いてみたかった。やがて私は、食べ物を咀嚼して飲み込まずに吐く、という行為をしはじめた。胃に入れて嘔吐するよりマシだよね、と自分なりに考えた結果だ。親元を離れてひとり暮らしをしていたので、食材の買い出しも食事の時間もすべて自己管理だったから、とてもやりやすかった。あとから知ったのだが、これはチューイング※といって、摂食障害の一種である。

※ チューイング(chewing)……噛み吐き・噛み砕きとも呼ばれる。 食物を口に含み咀嚼して飲み込まずに、ビニール袋等に吐き出すという行為を一定時間に渡って行うものである(以上、Wikipediaより抜粋)。

ところが不思議な現象が起こったのだ。胃に食べ物を入れていないはずなのに、体重が少しずつ増えていく。脳が「食べた」と認識して身体に指令でも出しているのだろうか、と訝った。食べても食べなくても、人間は太るのだ。さみしいとか、さみしくないとか、その頃にはもうどうでもよくなっていた。さみしいのが何なのか、わからなくなるのが一番さみしいのだろうか。

彼氏もセフレもできなかったけれど

私の摂食障害は、わりとあっさり治った。カウンセリングを受けたとか、クリニックに通ったわけでもない。彼もできなかったし、身体の相性がいいセックスフレンドもできなかった。ただ、さみしいのを自分で認めただけだ。体裁の整った食べ物が咀嚼され、ヘドロのようになって吐き出され、捨てられる。その一連の作業のなんとさみしく、むなしいことか。「うわー、さみしいな、むなしいな!」と声に出してみたら、自然と涙が出て、あげく号泣した。

床に散乱した菓子パンやコロッケやおにぎりと、テーブルに並んだドーナツやケーキやからあげ、スーパーのレジ袋に吐き出された唾液まみれの食べ物に囲まれてたたずむ私は、さぞかし不気味だっただろう。

でもアラフィフになった私がもしタイムスリップできるとしたら、あの時の私に会いにいき「よく頑張った」と抱きしめてあげたい。さみしくてむなしくて無様な私。それらを認めることで、とてもスッキリしたのだ。太っているとか、痩せているとか、彼や夫とのセックスがいいとか悪いとか、満たされるとか満たされないとか、いったい誰が誰に言っているのか。

「淋しい女(ひと)は太る」を書いた人は、本当はこう言いたかったのではないか。「さみしいことを認めよう。そうすれば自分らしい心と身体になる」と。

生きていればさみしい

さみしくない人なんていない。女性だけではなく、男性だってさみしい。大人も子供もさみしい。芸能人も素人もさみしい。でもなんで、世間という正体不明のモンスターは「さみしい」を認めさせてくれないのだろう。

すべてとは言わないが、やたらとセックスに結びつけるのもどうかと思う。セックスに落とし込んでしまえば話題はさらえるかもしれないけれど、それはそれでセックスに対して失礼だ。セックスして痩せる、とか、膣を締めて痩せる、とか、ひとりエッチで痩せる、とか、なんでもかんでもセックスや性欲で解消できるほど、人間は簡単じゃないぞ。セックス関連や、キテレツと思われる方法で理想の体型になれたなら、それはその人の望む方向だっただけで、万人には当てはまらない。

今、私の体型はやや痩せ気味だ。身長156㎝、体重44~45㎏。体調もいいし、概ね健康だが、やはりさみしい。夫も猫もいて、仕事も充実しているが、でもさみしい。生きていればさみしい。太っても痩せてもさみしい。時には18歳の頃のように「ああ、さみしい、むなしい!」と言ってみる。さみしい私を認めたら、食べ物がおいしくなった。さみしい私を認めたら、夫や猫がより愛おしくなった。

さみしい自分を認めたら、みんなきっとセックスも今より良くなるかもよ。

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