小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回のテーマは「占い」です。森さんは以前、占い師のアシスタントを務めていたのだそう。様々な悩みを抱えたお客さんが訪れるなか、「彼と結婚してもいいでしょうか」と悩む女性に対して、森さんは腑に落ちないものを感じていたそうです。
*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2019年1月12日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています
今から10年以上前、私は執筆業の傍ら占い師のアシスタントを務めていた。都内某所で事務所を構える男性占い師(以下X)に師事し、アポイントメントを取るなどの事務処理の他、簡単な接客、パワーストーンのアクセサリー制作などを行っていたのだ。霊が出るという噂の家を除霊するため、お供としてくっついて行ったこともある。私は写真撮影に挑んだのだが、後日現像してみたら、確かに写したはずの写真が、まるで白い絵の具で乱暴に塗りつぶすように不自然に消えていた。霊の仕業だろうか。
私は彼を信じた
Xには、観えないはずのものが観える力があった。私には観えないので証拠を示せないのが残念だけれど、感覚的に「ああ、観えているんだな」というのはわかった。玉石混合の占い師業界で、私はXを信じた。信じなければ師事できないし、偽物と認識しながら手伝い、お金をいただいたら私も詐欺に加担したことになる。
観えないものに説得力を与えるには、道具を使うのが手っ取り早い。という理由でXがタロット占いをメインにしていたかどうかは定かではないが、パフォーマンスとしてわかりやすい。顧客のほうも、タロットカード自体に意味があるしイラストも描かれているので、ニュアンスも伝わりやすく腑に落ちるのではないか。ともかくXは評判が良く、引く手数多だった。
占いの定番といえば恋愛相談である。顧客は女性が大半だったが、その9割の相談事がそれだった。「出会いはありますか?」「今、付き合っている人と結婚できますか?」「A夫とB太とC郎、結婚するなら誰がいいですか?」「別れた彼と復縁できますか?」等々、毎日毎日、私は耳をそばだてて……、いや、そばだてずとも聞こえてくるのだ。なんせ事務所はワンルームマンション、ついたての向こうで鑑定している状況だ。勿論、秘密は厳守である。
当時、私は独身で彼もいなかった。連日容赦なくおそってくる恋愛相談のシャワーに私も辟易していたが、どうにも腑に落ちなかったのが「彼と結婚してもいいでしょうか」という悩みだ。本当にその人と結婚したければ悩む暇なんてないだろうし、もしXが「結婚すべきだ!」と促し、結婚してからDVや多額の借金が判明したらXを恨むのだろうか。あるいは「結婚しないほうがいい!」と否定されたら、「そうですか、そうですよね」と引き下がるのか。
そもそも心の底からその人と結婚したいのなら、Xやその他占い師の門など叩かないだろうよ、と私は高を括っていた。悩む隙など与えないほど、彼への愛で心はぱんぱんに満たされているはずだ。だって「結婚してもいいでしょうか」と他人にこたえをゆだねるなんて、彼または結婚に対して迷いがある証ではないか。愛する人や結婚に迷うなんて、とんでもなく贅沢な悩みだ、この野郎、と正直私は憤慨していたのである。
人生にはいくつもの岐路がある
とはいえ私は占いが嫌いではない。むしろ好きなほうだ。タロットカードも持っているし、女性誌の占いコーナーにも欠かさず目をとおす。人には、家族でも友人でも尊敬する知人やメンターでもない、まったく面識のない第三者にアドバイスを求めたい時がある。
なぜなら、家族や友人など、少しでも己を知られている人には、その人の中にその人が作り上げた“私”像が入ってしまっているからだ。アドバイスを求めても、どうしてもその人の主観が入ってしまうし、こちら側としてもこちら側の中にいる“その人”像が邪魔をして、素直に頷けない。「ああ、この人は私に気を使って言葉を選んでくれている。これはこの人の本心ではないかもしれない」という、偏った見方をしてしまいがちだ。
人生にはいくつもの岐路がある。たとえば、かの有名なRPG『ドラゴンクエストⅤ~天空の花嫁~』では、冒険の途中でふたりの花嫁候補からひとりを選択しなければならない。ちなみに主人公は、幼なじみ(花嫁第1候補)と結婚の約束をしている。その約束を果たすため、試練の道中で大富豪の娘(花嫁第2候補)と出会い、結婚を打診されるのだ。ここで悩む主人公に「ていうか、口約束とはいえ結婚の約束した女を待たせておく間に、別の女と結婚だと? しかも金持ちかよ!」と腹を立てるのは女性プレイヤーが大多数で、男性プレイヤーは私が知る上でほぼ全員が「何日も、身悶えするくらい真剣に悩んだ」という。
※DS版では第3花嫁候補もいる。男性プレイヤーは七転八倒するほど悩んだのだろうか。
話が横道にそれてしまったが、女性が占い師に結婚を決めてもらうのと男性がRPGで花嫁選びに悩むのは、同じレベルかなと思ったのだ。とにかく、私達の人生はRPGではないので、岐路に立ったらすみやかに道を決め、まっとうするしかない。失敗か成功かなんて予測できないから、少しでも予測できる人に頼りたくなるのが人の世の常だ。
付き合っている相手への侮辱では?
そんなわけで、「彼と結婚してもいいでしょうか」問題である。私の経験上、Xに占ってもらい、ダメ出しされたのちに結婚を辞めた人が大半だった。Xもまさか「ダメ、絶対!」という言い方はしない。人生の舵取りはその人がするべきだし、どんなに当たる占い師でも人の行く末を100%予言できないだろう。Xは、「苦労しますよ」だの「あなたの個性が彼によって削がれるかも」だの、否定するというよりはデメリットを説いていく。
Xの言葉を噛み砕いた上での解答が「結婚しない」だ。迷って悩んで相談に来ること自体が、結婚を前提として付き合っている彼への侮辱だと、その頃の私は思っていた。プロポーズされて一瞬でも躊躇したら、Xやその他占い師の元へ走る前に、今、躊躇した正直な気持ちを彼に言うべきではないのか。場を繕うように「……はい」なんて、恥じらうふりして頭の中で計算しまくっているなんて、結婚に対しても失礼じゃなかろうか。
「僕と結婚してください」
「はいッ」
寸分も臆せず、彼の胸に飛び込むくらいの気概がなければ、結婚してはいけない。そうでなければ、この先長い結婚生活など送れるはずがない。
と、信じていた私自身が、やがて付き合った彼(現夫)にプロポーズされてからすぐにXの元へ走った。ダイヤモンドよりも固かったはずの信念は、あっけなく壊れた。だって結婚だよ、日常ががらりと変わる出来事だよ。一瞬でも躊躇せずに「はいッ」なんて言えないよね。
ということがやっとわかったのだ。いや、実のところ「はいッ」と即答したのだが、ほぼ同時に「占ってもらおう」と決意した。彼が好きだ、嫌いだ、苦労しますよ、個性が削がれますよ、の不安より先に、生活の変化を心配したのである。単純に、未知なる生活がこわかったのだ。
特に私は独身生活が長かったので、ふたり暮らしになって相手に失望されるのを怖れた。家事もろくにできないし、執筆中は家にひとりでいたいし、連絡もなしに突然帰宅されて執筆が中断されるとたちまち不機嫌になってしまう。これは独身生活が長い云々じゃなくても、皆さんが懸念する部分ではないだろうか。
万が一ダメ出しされたとしても
そう、生活習慣はお互いがすり合わせていくしかない。結婚は日常を、お互いの愛によってぼやかしていくものだ。見たくない部分は愛で隠し、見たい部分は愛で大げさに光らせる。そして私は、占ってもらおうと決意しつつ、万が一ダメ出しされたとしても結婚するつもりでいた。だって常日頃私はXに「もしプロポーズされたら私なら即座にOKする。占うなんて失礼だ」と豪語していたからである。そんな私が手のひらを返して占ってほしいと懇願した。いささか自虐的だが、私は自分で自分を「ダメ出し」できない状況に追い込んだのだ。
Xやその他占い師にダメ出しされて結婚を辞めた人の心理は、私の例にはあてはまらないかもしれない。結婚は連綿と続く日常だから、なるべく苦労はしたくない。我慢もしたくない。脳科学では恋は3年で冷め、愛は4年で終わると提唱されているし、長年培った生活習慣を変えるのは至難の業だ。愛で隠したり、愛で大げさで光らせるのも限界が来るかもしれない。
そうはいっても、結婚を誓い合った(誓い合おうとした)相手だ、占い師に鑑定を依頼するのは、何かモヤっとしたためらいが芽生えたからだろう。「彼の年収が私より少ない」事実にモヤっとしている女性もいるだろう。愛とお金を天秤にかけるのは卑しい、と頭ではわかっていても、湯水のようにお金を使わせてくれた父親に庇護されて育った女性なら、いつか彼を見下す日が来るかもしれない。
「貧乏ゆすりが気になる」事実にモヤっとした女性は、そのくらいなら何でもない、と打ち消そうとしても、生理中などにどうしようもなくイラッとし、勢いで貧乏ゆすり離婚してしまうかもしれない。無くて七癖、無意識の習慣を甘く見てはいけないのだ。世の中には、いびき離婚や食べる時に音をたてる離婚が存在するのだから。
Xの占いの結果は…
Xからの私へのこたえは、「超オススメ物件! 今、あなたが決断しないと彼は他の誰かに取られるよ」といった具合だった。結果オーライとはいえ、私も結婚には躊躇した。でも、わかったのだ。結婚は人生そのものではなく、人生の中で上位にくる貴いエピソードのひとつということが。特に女性は、結婚によって人生が左右されがちだ。
自分で解読できないモヤモヤをあらわにしてくれるのが占い師だ。人生を快適に健やかに歩んでいくために、占い師は存在する。ゆえに、結婚した今、私が占い師のアシスタントをやるなら、ついたての向こうで繰り広げられるあまり純粋ではない相談事にも、うんうんと頷ける。あなたの人生はあなたのものです、勘や思い込みや一時の熱情だけにとらわれず、時には的確なアドバイスを参考にし、荒波を避けて舵取りしてください。
でも反面、占い師に抵抗する女性にも会ってみたかった。皆さん、自分の人生を守りすぎていませんか。人生は、誰もが唯一経験できるギャンブルで、違法ではないカジノで、出たとこ勝負なんですよ。占いなんて、当たったら「ほら、私のおかげで幸運がめぐってきた」って占い師にドヤ顔されて、はずれたら「ほら、私のおかげで不運を最小限にとどめてあげられた」ってやっぱり占い師にドヤ顔されるんですよ(そうじゃない占い師も勿論います)。
前述したが、当時の私は独身で彼もいなかった。だからこそ、夢を見ていたのかもしれない。私はどこかで待っていたのだ。「苦労しても、個性が削がれてもいいんです。私は彼と添い遂げたいんです!」とXを一蹴してくれる女性を。かりそめの愛を、自らの手で、根性で、永遠の愛にしていく勇猛果敢な女性を求めていたのだ。だって、私にはそれができなかったから。
人生において、激しいアップダウンを経験した女性は、最初から占いには頼らないのだろう。結婚してください、とプロポーズされたら、一も二もなく飛び込む。結果、不運に見舞われても自力で這い上がる。私は占いが好きだが、それ以上に、占いなど必要としない強くて潔い女性が好きなのだと思う。