アラフィフ作家の迷走生活 第24回

女友だちの彼を奪うとき

女友だちの彼を奪うとき

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小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回のテーマは「略奪愛」です。森さんは、過去に女友だちの彼を奪ってしまったことがあるそうです。

*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2018年10月13日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています

私が小学生の頃から高校生あたりまで、女友達と交わした議論の中でポピュラーだったのが、

「友人の彼を奪うこと。またはそれに付随するバトルについて」

というお題だ。私は常々、

「友人の彼を好きになること自体がもう言語道断だし、あわよくば付き合っちゃおうなんて、もともと友人ではないのだ」

とか、

「友人ならば、彼を紹介された時点で自分の心に結界を張るはずだし、たとえ身悶えするほど好みだとしても、己の欲を律するはずだ」

など、偉そうに力説していた。

それなのに、私自身、友人ではないが近しい人に彼を奪われた経験と(正確には二股をかけられた)、友人の彼を奪ってしまった経験がある。

あっさりと友人の彼を奪ってしまった理由

二股をかけられたあらましは今回は伏せるとして、小学生から高校生までジャンヌ・ダルクばりの確固たる正義を振りかざしていた私が、あっさりと友人の彼を奪ってしまったのはなぜなのか。

そもそも私が友人(仮にA子としておこう)に彼を紹介されたのは、私が私の近しい人に私の彼を奪われてから、1年後くらいである。私の傷はまだ瘡蓋にもなっておらず、膿と血液がじゅくじゅくしている状態だったので、男女関係にかなりの不信感を抱いていた。なので友人とはいえよその女に、いとも簡単に自分の大切な彼を紹介するA子の神経をまず疑った。

これは当時の私が若干病んでいたせいもあるのだが、A子の思惑として「彼はこの人(私)には絶対に惹かれないだろう」という驕りが感じられたのだ。つまり「私は女としてこの人(私)より格段も上だから」というマウンティングだ。まさかそんなはずないよね、A子の性格はそんなに悪くないよ(ていうか、私の性格がそんなに悪いのかも。いや、病んでいただけだよね)、と思いなおそうとしたが、いったん思ったことを思いなおすのは無理である。

A子の彼=仮にYとしておこう、Yはヒーラーというかセラピストのような仕事をしていた。「一度会ってみてよ」とA子が自慢げに言うものだから、試しに会ってみた。正直に言おう、「ヒーラーと付き合っている私ってすごいでしょう。いつでも見えない高次元の世界と繋がれるの、Yを通じて」というA子からのマウンティングを受けた気がしたのだ。どれだけ病んでいたのだろうか、当時の私。

売られたケンカならぬ感じちゃったマウンティングは味わい尽くすのが礼儀と言わんばかりに、私は「うん、私、最近病んでいるから(病んでいたのは自覚していた)、ヒーラーのYさんに会ってみたい」と尻尾を振ってA子宅に赴いた。YとA子は同棲していたのである。A子は「せっかくだから、Yのヒーリングの施術を受けてみたら?」と提案し、私は快諾した。

彼と部屋にふたりきりになり……

Yの施術室は自宅の一室だったので、余計な“気”が介入しないよう、A子はYと私をふたりきりにした。「終わったら連絡してね」とYに言付け、にこやかに散歩に出て行った。Yの第一印象は、普通の愛想のいい中年男性だ。それ以上でもそれ以下でもない。施術室には妙なグッズもないし、曼荼羅や護符が貼ってあるわけでもない。よくよく見渡せば、仏教や民間医療や精神世界系の書籍が並んでいるくらいだ。スピリチュアルというものは、人によって見解が異なるのでここではふれないでおく。私個人は霊感体質ではないし、どちらかというと鈍いほうなので、Yからヒーリングをされても、癒されたとかスッキリしたとか、よくある変化は皆無だった。

ていうか、これがヒーリング? な印象だったのだ。Yは私の手を握り、じっと見つめ、「良くないものが憑いているね。憑きやすい体質だね」などと諭し、手のひらをほぐしたり、撫でたりした。深呼吸を数回するように指示し、「悪いものを吐くように、思いきり吐いて」と限界まで息を吐かせ、背中をさする。胡散臭いな、と頭の片隅で訝りつつも、実際、気持ちはラクになった。A子の紹介だからと料金はまけてくれて(2万円だった。これが高いのか安いのかわからない)、数回通うように言われた。

ややあってA子が帰宅し、「どうだった?」などとまた上から目線で私に聞くものだから、「うん、すごくよかった。ありがとう」と私はA子を崇めるように礼を言った。

病んでいた私は、無意識に可哀想ぶっていたのではないだろうか。Yは、そんな私の“気”とやらを察知したのではないか。数回通ううち、どう考えてもこれはヒーリングじゃないよな、という行為をされた。一歩間違えばセクハラ、痴漢レベルだ。

詳細は記さないが、やられた方が嫌じゃなければセクハラでも痴漢でもない。私はそっち方面も鈍いので、かなりのレベルで身体をまさぐられるまで「これはきっと新手のヒーリングなのだ」と勝手に納得し、されるがままになっていた。身体の不感症ならぬ心の不感症ぶりにYもあきれたのか、やっと「A子には内緒で付き合おう」と告白してきた。さすがに私も「これも新手のヒーリングなの? 告白ヒーリング?」とは思わなかった。私の手痛い失恋から約2年が経過し、傷はすっかり癒えていた。

やはり私はマウンティングされていた?

そういった意味では、新手のヒーリングだったのか? いやいや冗談ではなく、Yと私はA子の目を盗んでは会い、施術室でいけないヒーリングをしていた。そのY、他の女性患者にも同じことやってるよ、と賢明な読者の方は辟易したでしょう。私も思っていましたよ。でも、私が思うということは、当然、A子も思っていたわけで。あとからYに聞いたのだが、A子は女性患者をいちいちチェックし、自分と同世代あるいは若い女性が来るのをそうとう嫌がったらしい。当然、A子の友人や知人だろうとも紹介はしなかったという。

じゃあ、私は何だったのだ? やはり私はマウンティングされていたのか? 私の不信感を察してか、Yは私にこう言った。「だから、僕が君に会えるよう、力を使って引き寄せたんだよ」と。どんな力なんだろうなぁ。ちなみに料金は初回の2万円以降一切支払っていない。

Yの話がどこまで真実かわからない。Yと付き合うようになってから、私はA子とは会っていないし話もしていなかった。Yは、A子と私を比較しては私を誉めてくれた。A子の愚痴を私に言い、私がYを慰め、YはA子とはできないことを私とした。しかし、Yの肉体はA子が作った食事でできている。Yは、A子の愚痴をもらしたその口で、A子が丹精込めて作った食事を口にし、A子がていねいに洗濯した衣服に袖を通し、私の前で柔軟剤のいい香りをぷんぷんさせてそれらを脱ぐ。そしてYは、A子とYが暮らす部屋で私を愛で、A子とYが寝るベッドに私を寝かせる。私は、A子とYが吸ったり吐いたりする酸素や二酸化炭素が充満する空間を、キッチンからバスルーム、トイレに至るまで、少しだけ侵食して帰宅する。

ホラーだな、と書いていて吐きそうになった。深呼吸を数回して、限界まで息を吐いたら、胃液まで出てきそうだ。やがてYとA子は別れた。A子はおそらく、Yから別の女の匂いを嗅ぎとったのだろう。Yからというより、そこここに浮遊していただろう私の“気”を嗅いだというべきか。女=私とは特定されていない。私もそれなりに姑息だったし、保身は忘れなかったので、部屋に入り浸りつつ痕跡は残さなかった(妖しい“気”は残っちゃったかも)。

それとも、A子は私以上に理性的で、終わりが見えている恋愛に、今更第三者をあぶり出しても虚しいだけ、と割り切っていたのか。A子とYが別れてから、私の熱も急速に冷めた。密会からスリルを無くせば、単なる平和で退屈な営みである。

人は誰しも黒い感情を持っている

友人や知人から彼を奪う心理は、それこそある種の自己ヒーリングかもしれない。私はYが施したヒーリングによって病んだ心を克服したのではなく、Yなど単なる人柱だ。失恋は、人がアイデンティティを失う最たる経験で、とりわけ女性にとっては地獄の苦しみに成り得る。失恋も経験値が上がれば、立ち直りのバリエーションもそれなりにできてくるだろうが、当時の私にはほとんどそれがなかった。

失恋により女として無価値だと太鼓判を押され、憔悴しきっている時に、公私ともに充実した女が現れた。その女=A子には罪もへったくれもないのだが、人は誰しもが黒い感情を持っている。心身ともに健康ならば黒い感情は飼い慣らせるのに、病んでいたり弱っていたりすると、人はたちまち黒に染まる。きれいな水に一滴二滴と墨汁を垂らすように、じわじわ滲んであっという間に真っ黒だ。

私は、女としての価値を今一度掘り起こしたかった。人の物(者)を奪うという行為は不道徳である。そんなのは私、小学高時代から知っていた。だってほら、「友人の彼を好きになること自体がもう言語道断だし、あわよくば付き合っちゃおうなんて、もともと友人ではないのだ」とか「友人ならば、彼を紹介された時点で自分の心に結界を張るはずだし、たとえ身悶えするほど好みだとしても、己の欲を律するはずだ」とか、豪語していたわけだし。ほんと、無知っておそろしい。道徳を遂行するのはあたりまえで、不道徳をやってしまうのは快感だ。

非難を浴びるのを覚悟の上で言おう。不道徳、言い換えれば背徳は、時として女にとっては生き返る源になるのである。生きる源ではなく、生き返る源だ。

友人の彼を奪う、不倫をする、等々、リスクがつきものなので、遊び感覚でやれとは言わない。でも、愛においてはやってはいけないことはないと思うし、もしあなたが誰かを人柱にしないかぎり生き返れないほど苦しんでいたら、やってもいいと思う(自覚もなしにやってしまうと思う。当時の私のように)。

女としての価値を見出せば、また女を生きられるから。

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