アラフィフ作家の迷走生活 第18回

すっぴんがメイクに追いつく日は必ず来る

すっぴんがメイクに追いつく日は必ず来る

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小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回のテーマは、「メイク」です。10代〜40代前半までずっと同じメイクと髪型をしていたという森さんですが、「すっぴんがメイクに追いつく日は必ず来る」と言います。

*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2018年7月7日に公開されたものに一部小見出しなどを改稿し掲載しています

すっぴんが好き、いやいや最小限のメイクはマナーでしょetc、男性の意見は実にさまざまである。今回は、女性とメイクがテーマだ。「ブスがメイクしたって無駄無駄無駄ァ!」などという意見は却下する。

素顔とすっぴんのちがい、知っていますか?

むりやりジョジョ的掛け声をぶっこんですいません。漫画家・荒木飛呂彦氏といえば言わずもがな『ジョジョの奇妙な冒険』シリーズが有名ですが、初期の名作『ゴージャス☆アイリン』をご存知だろうか。ご存じない方のために、サクッとあらすじを紹介してみよう。

主人公のアイリン・ラポーナは16歳にしてプロの殺し屋。彼女はメイクをすることにより、自分に暗示をかけ、顔だけではなく肉体までも変化させ、まったくの別人になってしまうのだ。殺し屋は巨乳で巨尻じゃなきゃいけないのか? と訝るほどのムチムチボディでターゲットを悩殺、もとい、殺し屋としての使命を果たす。この漫画を読んでメイク道具の見直しをおこなったのは、私だけではないだろう(たぶん)。

ふと、素顔とすっぴんの違いについて気になってインターネットで検索してみた。すると、素顔とは、「化粧をしていない、地のままの顔。飾らないありのままの姿。」だ。すっぴんとは、「化粧をしていない状態(ノーメイク)のこと。主に女性に対して使われる言葉である。また、素顔でも美人という意味もある。」(以上、コトバンク、Wikipediaから抜粋)

と出てきた。注目すべきはすっぴんに「素顔でも美人という意味もある」という説があるのだ。

でも、美の基準って人それぞれですし、私はむしろ「化粧をしていない状態(ノーメイク)」よりも、「化粧をしている普段の状態」がすっぴんのような気がするのだ。だって、女性のメイクは、こうありたい顔の自己表現なのだから。

メイクは、別の自分を探すツール

また漫画の話で恐縮だが、栗原まもるさんの『素肌の放課後』はメイクをテーマとした名著である。素顔に自信のないメイク大好きの女子と、他人にメイクをするのが大好きな男子の恋愛物語だ。ばっちりメイクできめた主人公が、全校生徒の前でメイクを落とし素顔になるのを余儀なくされるという、残酷なシーンではじまる。しかし、全校生徒に嘲笑されながらも、主人公は片時もうつむかない。そんないたいけな姿に、メイク好きの男子が「魂が超キュート!」と心打たれるのだ。

この主人公の素顔は、少女漫画なのにけっこうブスだった。しかし、メイクを施すごとに可愛く、すっぴんまで美しくなっていく。素顔ではなくすっぴんだ。「素顔でも美人という意味もある」といったうえでの、すっぴんである。

これはフィクションだからではなく、ノンフィクション上でも起こりうる現象だ。そう、メイクとは道具を使った自己表現であり自己暗示。私が『ゴージャス☆アイリン』を読んでメイク道具を一新したように(別に、誰かを殺したかったわけではありませんが)、別の自分を探すツールなのだ。

前述したように、美の基準はひとそれぞれである。実際に私は女友達に「あれ? あんたメイクしないほうが目が大きいんだね」と指摘されたし、最大のコンプレックスだった額と眉毛を出したら「そのほうがいい」と言われる始末。

色白で地味目な顔立ちにはこれが一番だと思い込んでいたけれど…

前回の『もしかしたらモテていたかもしれない私』では恋愛に関する思い込みは呪いだと書いたが、この思い込みの呪いは自身のルックスにも影を落とす。私は10代~40代前半まで「前髪パッツンのロングヘア。色は黒か赤茶。メイクはライト系ファンデーションと黒系アイラインと赤系の口紅」と決めていた。色白で地味目な顔立ちにはこれが一番だと思い込んでいたのである。

ところがある日、姉に、

「おまえさあ、いいかげんその前髪やめなよ」

と吹矢でも吹かれたように、ごくさりげなく痛いところを突かれたのだ。

確かに自分でも、「そろそろ40半ばだし、眉毛のメイクを知らないとか、ファンデーションの節約とか、若く見られるからって、延々と重苦しい前髪をたらしているのって、大人になるのを拒絶しているみたい」とうすうす自覚しており、いわば姉は私の心の叫びを代返してくれたのである。これぞまさに思い込みの呪いではないだろうか。

人生の折り返し地点を越えてから、私はメイクやヘアスタイルで改革(大げさ)をはかった。手始めに前髪をあげ、額を全開にした。以前友人に「眉毛は唯一自分で変えることができて、顔の額縁になる重要なパーツ」と諭されていたので、眉毛の研究もした。

「魂が超キュート!」な顔を目指して

ひとつひとつは小さなことだが、なんていうか、引っ込み思案な部分が減っていった。今まで額から下にしかファンデーションをぬっていなかったのを、顔の全面積にファンデーションをぬり、さらに眉毛を整えることで、顔に対する責任感まで芽生えたのである。

確固たるポリシーを持って前髪パッツンにしている方は別だが、いい大人が顔の半分だけメイクしてボサボサ眉毛を鉄壁の前髪で覆う、なんて、心に半分バリアを張っているのと同じだ。

こんな興味深い実験がある。毎日メイクをしている女性は、だんだんとそのメイクを施した顔に近いすっぴんになっていくのだそうだ。毎日素顔で過ごす女性より、確実に洗練されていくという。

メイクによる自己暗示や催眠効果を、如実に物語っているではないか。女性は(男性も)メイクで自分を解放し、なりたい自分へと育てあげることができる。コンプレックスを生かすも殺すもメイク次第、というかあなたの人生観次第だ。できれば、コンプレックスは生かしてほしい。だって、コンプレックスって他の人から見たら長所の場合もあるのだもの。思いきってさらけ出したら、さっぱりして背筋も伸びるだろう。

どんなメイクでも、「魂が超キュート!」に見える顔を目指したい。すっぴんがメイクに追いつく日が、必ず来るから。

以前の私のように、心に半分バリアを張っていたら、顔も半分ブスかもしれないけれど。

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小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴る連載です。

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