アラフィフ作家の迷走生活 第7回

生徒全員と否応なく抱き合った30代の頃の話

生徒全員と否応なく抱き合った30代の頃の話

「アラフィフ作家の迷走生活」
の連載一覧を見る >>

小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴るこの連載。今回は、森さんが介護学校に通っていた頃のお話です。介護から学んだふれあいの極意とは…?

*本記事は『cakes』の連載「アラフィフ作家の迷走性(生)活」にて2018年2月3日に公開されたものに、一部小見出しなどを改稿し掲載しています。

2018年、私は48歳になる。48歳とは、ドラクエの呪文くらい遠かったグルコサミンやエストロゲンといった言葉が身に染みる年齢だ。介護の現実も、ドラクエのモンスターよろしく背後に迫ってきている。介護される側、介護する側、両方だ。

30代のとき、介護学校に通ってみた

30代前半の頃、失業して時間を持て余した私は「自分に一番似合わないことを学んでみよう」と突如決意し、介護学校の門を叩いた。引きこもり体質の自分に、無意識に危機感を覚えたのかもしれない。

一昔前はネガティブなイメージだった引きこもりだが、昨今は意外にかろやかでふわっとしている。在宅で会社勤務も可能だし、「OK! グーグル」で一日が終了する人がいてもおかしくはない。さみしくなったらペットを飼えばいいし、ペット不可ならAIBOを買えばいい。

「でもAIBOって、ぬくもりはないんだよね」

テレビの情報番組で特集された、限りなく犬に近いAIBOを見てつぶやく私に、

「そうだね」

と旦那さんは切なげな顔をし、やがて明るく、

「でも、そのうち人間型ロボットもできるかもよ。AIBU、なんてね」

と言った。AIBUか。ふむ、と感心したが、体温や息づかいを人間と同等に再現し、家庭内に持ち込めるのはまだ先の話だろう。アクティブな引きこもりもありだが、やはりぬくもりやふれあいは、外へ探しに出ねばならない。

毎日、誰かしらと抱き合っていた

話は冒頭に戻るが、ぬくもりやふれあいの経験を得るひとつの方法は「介護」だ。私は非モテ人生だったので、介護学校に通いはじめた当初も、ぬくもりやふれあい経験は乏しかった。しかし、介護学校にはそれがあったのだ。だって毎日が、オムツ交換、トイレ介助、入浴介助、清拭、と相手ありきのプライベートプレイもとい日常生活に寄り添う授業が満載なのですから。

介護を軽んじているのではない。下は20代、上は60代の男女が至極真面目に取り組んでいるのだ。当時、私の父も入院中だったし、他の生徒でも身内が病床にいる方がいた。命の危うさと儚さに直面していたからこそ、私達生徒は真剣に介護に向き合い、真剣に抱き合っていた。

いや、冗談ではなく本当に毎日毎日、誰かしらと抱き合っていたのである。

例えば、

「今日は誰とやろうかな」

「今日は××君とやりたい。彼は背が高いしマッチョだから」

といった、往来で語っていたらヤリマンと勘違いされそうなことを日々論議する。ちなみに上記会話を介護的に訳すと、

「今日のロールプレイング授業は、誰と組もうかな」

「今日は××君を選びたい。背が高くガッチリした男性を介護するのに、女性の体力を最小限に抑えるコツを習得したいから」

となる。

20代男子とのシャンプー合戦

私が一番こそばゆくなったプレイもとい授業は、20代男子とのシャンプー合戦だ。介護される側(私)はベッドに寝たままの状態を維持し、介護する側(20代男子)はペットボトル数本にためたお湯と、薄めたシャンプー液を入れたキッチン用洗剤の容器を携える。

たどたどしい手つきで私の頭や首筋を支え、髪をさわり、ていねいに洗っていく20代男子。

「俺、こういうの初めてで。あの、痛くないですか」

「大丈夫、恐がらなくていいのよ。あ、そこ、もう少し強く」

といった、文字だけ見るとR指定っぽい会話が展開されていく。確かに、美容師志望でなければ、男性が女性を洗髪するなんて稀だろう。お互い、授業の一環だとわかっていても、妙な高揚感があふれてくる。20代男子だって、年上の女性相手だと余計に緊張するのか、指先から私の毛髪や頭皮へ、愛が伝わってくるのだ。ほどよい緊張感に包まれた、慈愛や情愛といった部類の愛が。

懸命に学ぶ姿勢は純度100%で、だからこそのぎこちなさが私の胸を突いてくる。

吊り橋効果という言葉もあるが、介護効果というのもあるのかも、と真剣に思った。私はついうっかり、20代男子=シャンプー君のことを好きになりかけたのだから。

軽率だと笑うでしょうか。でも現に、布オムツや紙オムツの交換、トイレ介助など、羞恥と背中合わせの行為を共有するような授業だと、当然、あられもない格好を披露しあうので(着衣ですが)、甘酸っぱい連帯感が生まれるのも事実だ。さらに、生徒全員と抱き合っても、肌が合う人、合わない人というのも不思議と振り分けできてくる。

ふれあいやぬくもりは、大きな愛への着火装置となる?

前述したとおり、授業はすべて着衣で行われるが、人の感覚は意外に鋭い。相手の目線や力加減、ぬくもりやふれあいで、以心伝心ができる。だからきっとシャンプー君も、シャンプー中は私が好きだったのではないだろうか。

最近は、合コンでも男女をシャッフルしないという。「男は男だけ、女は女だけで固まって、席を交換したり移動したりしないんだよ」と、私の知人で、老齢の大学講師が嘆いていた。嫌われるのを恐れているのだろうが、好きになる恐ろしさを知る方がしあわせだよとおしえてあげたい。ふれあいやぬくもりが、大きな愛への点火装置かもよ、とささやいてあげたい。

48歳を目前とした、女の戯言と笑われてもいい。グルコサミンやエストロゲンが減っても、薬やサプリで補充できるけれど、ぬくもりやふれあいは、人や、生きているペットじゃないと代用できない。AIBOじゃ無理なのだ。AIBOの可愛さは認めるけれど。

「認知症は、神様からの最後のプレゼント」

と、知人の巫女さんが言っていた。認知症で赤ちゃん返りをする人がいるように、最後の最後で、ある種の無垢さを取り戻すのかもしれない。

介護の現場は決して生ぬるくはなく、厳しさや悲しさ、辛さと背中合わせだ。とはいえ、否応なく抱き合い、ふれあい、ぬくもりを分かち合う。かけがえのない時間でもあるのだ。無防備な仕草や、介護する側を頼り切った潔い裸体が、いとおしくなる瞬間だってあるだろう。

介護学校では、これらがかいつまんで体験できる。実際に、卒業までの3カ月でカップルが誕生したほどだ。

少々荒療治かもしれないが、肌活を求めている方は、介護学校を視野に入れてはどうだろう。当然ながら、学んだ技術や知識は私の細胞にまで沁みついている。

こそばゆい経験とともに。

SHARE Facebook Twitter はてなブックマーク lineで送る

この連載をもっと見る

アラフィフ作家の迷走生活

小説家の森美樹さんが自分自身の経験を交えながら、性を追及し、迷走する日々を綴る連載です。

この記事を読んだ人におすすめ

この記事を気に入ったらいいね!しよう

生徒全員と否応なく抱き合った30代の頃の話

関連する記事

編集部オススメ

2022年は3年ぶりの行動制限のない年末。久しぶりに親や家族に会ったときにふと「親の介護」が頭をよぎる人もいるのでは? たとえ介護が終わっても、私たちの日常は続くから--。介護について考えることは親と自分との関係性や距離感についても考えること。人生100年時代と言われる今だからこそ、介護について考えてみませんか? これまでウートピで掲載した介護に関する記事も特集します。

記事ランキング