知らないはずなのに知ってる…燃え殻さんが使う魔法【病理医ヤンデル】

知らないはずなのに知ってる…燃え殻さんが使う魔法【病理医ヤンデル】

『週刊SPA!』の人気連載を書籍化した燃え殻さんの『すべて忘れてしまうから』(扶桑社)が7月24日に発売されました。書籍の発売を記念して、Twitterのフォロワー数が12万人超を誇る、病理医ヤンデルさんに書評を寄稿いただきました。

「そうだ、燃え殻って知ってる?」

わりと最近の話。とある年上の医者に、仕事関係の話が途切れたタイミングで突然、「そうだ、燃え殻って知ってる?」とたずねられた。彼の口から出てくる「燃え殻」という単語が、作家の燃え殻さんを意味するのかどうかとっさに判定できず、「あ、えー、人のほうですかね」と雑な間合いで返事をしてしまった。そのときは、ぼくが「知ってる」燃え殻さんが、彼の言う「燃え殻」と同じであるとは限らないと思ったし、他人にとっては別の燃え殻があるかも、とぼくなりに気を遣ったのだ。

でも彼は「そうそう、小説家の。彼すごいよねえ。知ってる? めちゃくちゃエモいよ」と続けた。合っていた。今さらだが「人のほう」はひどかった。せめて「小説の」とか言えばよかったと後悔した。

ところで、二回目の「知ってる?」には、あきらかにぼくを上から諭すような、「それくらい知っておけよ」というニュアンスが込められていたように思う。そういう声と顔を彼はした。彼は燃え殻というジャンルでぼくをマウントして殴ろうとしていた。そういうの、分かるけどな、と内心思った。

「燃え殻さんの作品を誰よりも早く読む自分」に酔っている

ぼくらはいつも、五感で世界に接続し、情報を脳内で勝手に組み換えて、編み上げて、一本のナラティブ(物語)にし、それを自分の声で朗読することで、さまざまな世界を「知ってる」と言い張る。本当のことと嘘のことの境界線がよく見えなくても、うまくストーリーがつながっていればそれを「知ってる」と名付けて悦に入る。「知ってる」という言葉をぼくらは、「自分になじむ」「自分が納得できる」くらいの意味で用いることが多い。

ぼくが自分の中で組み換えた燃え殻さんの姿は、ぼくにとって都合のいい姿に改変されてしまっている。こういうのを、彼を「知ってる」と呼ぶのは、ちょっと違うんじゃないかな、とも思う。けれども無礼な医者の耳元で、「お前よりよっぽど知ってるよ」と叫んで耳骨を全部破壊してやりたいくらいには、ぼくは彼の文章が好きなのであった。

『SPA!』に連載されている1ページのエッセイを、dマガジンで、『SPA!』の最新号が表示される毎週火曜日の朝6時に読む。6時ぴったりだと少しキモいかなと思って、たいてい6時2分くらいまで待ってから、「読むよ」のスクショと「読んだよ」の感想を立て続けにツイッターに投稿する。燃え殻さんの作品にかぶれ、「燃え殻さんの作品を誰よりも早く読む自分」に酔っている。同じ酔いが回った人間が、世のあちこちで、一人ずつ青い顔をして立ちすくんでいることを、「知ってる」。スマホを手に、世界に向けて「今日もぼくは誰よりも先に燃え殻さんを知ったぞ」と宣言することがどれだけ滑稽(こっけい)で、どれだけぼく自身を救ってきたかということを、「知ってる」。

燃え殻さんが使う魔法

ぼくは自分を取り巻く環境が気になってしょうがないから、あらゆるセンサーを外側に向けて感度を最高にして、世界から届く衝撃を息を殺して待っている。環世界で何かがひずめばそれをすかさず感じ取って自分の中に取り込み、物語に編み込む。外からやってくる刺激を内的に虚構に変換して心に蓄積する。こうして、自分だけの「知ってる」を自分勝手に作り上げていく。勝手に社会を代表して言うと、誰もがみんなそうだろうと思っている。

ところが、「逆に」、燃え殻さんという人は、五感のセンサーが自分の外側と内側、両方に向いているようなフシがある。外界からやってくる刺激と、自分の内部から出てくる衝動とを、境界にある細胞膜の膜上でブレンドさせるようなことをする。彼が膜上に書いたものを読むと、ぼくは世界と自分がどこまで地続きなのかが分からなくなり、自分の中にだけ流れていたはずのナラティブが燃え殻さんによって文章にされたかのような錯覚をし、錯覚と知覚の区別もあいまいになって、「ああ、この経験をぼくは知ってた。」と、時制と空間認識がめちゃくちゃに狂ったタイプの感動に襲われる。不思議で、痺(しび)れるような快感。

「何言ってるの? あなたにはおじいさん越しに見えた女性の記憶も、アイスを噛(か)めと言われた記憶も、殴り待ちさせられた記憶も、祖母に口元をぬぐわれた記憶もないじゃない」

ないはずなのにある。あるはずなのにない。知ってると言いながら知らない。知らないはずのことを知ってる。

燃え殻さんはそういう種類の魔法を使う。

特異点に立つ人

先日書店を歩いていたら、最近あまり行かなくなってしまったバーの店主にばったり出会った。やあご無沙汰です、あまり顔見せられなくてすみませんと頭を下げると彼はいえいえと手を振ってこう言った。「前にお見えになったときはお茶をいただいて、ありがとうございました」。正直あまり記憶になかったのだが、むりやり過去をほじくり返して、「ごまそば茶でしたっけ、あれは確か空港で見つけただけなので、たいしたものではないんですよ」と返すと、彼は少しだけ静止してからこう言った。

「いえ、紅茶です。おいしかったですよ。そうですね、人にあげたものってあまり覚えていらっしゃらないですよね」

ふいに、燃え殻さんのことを思い出す。燃え殻さんは自分が書き終えて世に放ったものをきちんと覚えているものですか、と尋ねてみたくなる。なんとなくだが、彼は、文章を何かの境界面に置いた瞬間から、自らの体を文章から引き離して距離をとっているように見えるのだが、気のせいだろうか。気のせいかもしれない。自意識のほかにもいろいろ過剰なぼくの気のせいかもしれない。一方で燃え殻さんは、遠く断絶したはずの記憶の隣に腰を下ろしてゆっくりとそれを撫(な)でるような語り方をすることもある。こちらは気のせいではないと思う。

ぼくらは、デフォルトでは他人の物語をどれほど読んでも分かり合えないようにできている。ところが燃え殻さんというのは特異点みたいな人で、彼自身のナラティブ(自分事)と世界のナラティブ(他人事)が釣り合うような、ここしかないという絶妙のラグランジュ・ポイントに立っている。だからぼくは彼の書いたものを読むたびに、「知ってる……」と言いたくなる、本当は何も知らないはずなのに。

(文・病理医ヤンデル)

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