支援団体代表に聞くDV被害後のケア

>>【前編はコチラ】DVから逃れられない“被害者の心理”とは? 支援団体代表に聞く「加害者に支配された世界」

自身もDV被害の経験があり、現在はDV被害女性の支援を行うNPO法人レジリエンス代表の中島幸子さんへのインタビュー。前編では、DV関係に置かれた当事者の心理や、DV被害・性暴力をめぐる、社会の対応の問題点についてお伺いしました。後編では、NPO法人レジリエンスの活動や、被害に遭ったあとのケアなどについてお伺いしていきます。

    過去と向き合うことは、「自身のケア」をすること

――NPO法人レジリエンスは、どのような活動をしているのですか?

中島:本当に様々な活動をしています。ピア・サポートグループ(当事者が集まる自助グループ)や性暴力被害支援者研修などを主催していますが、もともとは、私自身がDVの被害のあとの心身の不調で苦しんでいたときに「あったらよかったのに」と考えてつくった、自分の抱えているトラウマと向き合う「レジリエンス☆ こころのcare講座」を主催することから始まった団体です。

――ご自身の経験について書かれた著書『マイ・レジリエンス』で拝読しましたが、この「こころのcare講座」は参加者条件を「被害を受けたことがある人」に限定せず、「女性」であれば誰でも参加できるようにしていますね。

中島:これは、「被害を受けたことがある人」に限定すると、自身がDV被害を受けたことを認められる人しか来られなくなってしまうからです。

多くのDV被害を経験した人たちが、自身のDVの記憶に対して「あの経験は、もしかしたら私が大げさに想像しているのかもしれない」「もしかしたらそれほどひどくなかったのかもしれない」という否定の力を働かせています。過去の体験を否定して、抑えこまなければ、自分がバラバラになってしまう、という感覚を無意識に持っているからなのだと思います。

自分の被害を認めるということは、過去の経験を直視するということであり、被害に遭っていたときの恐ろしさや絶望感を再現する、おそろしいプロセスを始めるということ。直視を避ける方が多いのも、無理もありません。

――被害を認めるのは非常につらいというお話でしたが、つらい中でも「こころのcare講座」といったプログラムを通し、自身のトラウマを見ていく意義はなんですか?

中島:トラウマとなった経験が、現在の自分におよぼす影響の形を変えられることです。過去を直視することによって、「ああ、私はこういうのが怖いんだ」「私にとってキツかったのはそこなんだ」って気づけば、自分自身で自分のケアを適切にできるようになります。

たとえば、私はDVから逃げ出して20年以上経った今でも、飛行機や新幹線に一人で乗るとき、通路側にしか座れません。どうしても「いざというとき、逃げ場がない」という恐ろしさが湧いてしまうから。でも、このことをきちんと自分で把握しているから、「必ず通路側を予約すればいいんだ」と適切な対応ができるようになる。

――被害に遭って、背負わなければいけないものができても、生活に適応していくことができるということですね。

中島:自分を家にたとえるならば、真っ暗な家の中を手探りで生きている状態から、少しずつ電気をつけていくような感じ。電気をつければ、「私、あの部屋のあのすみっこが怖いんだ。だから、こっち側にいよう」とか、「あそこはもう少しキレイにしたら、怖くなくなるかもしれない」とか、「あ、私はここにいるんだ」とか、そういうことがわかるようになる。

    「加害者のもとへ戻りたい」認めづらい感情は抑え込まず、向き合うことが大切

――著書では、ほかにも、過去と向き合う取り組みの重要な一部分として「グリーフワーク」という概念を紹介していらっしゃいましたね。

中島:「グリーフ(grief)」は、英日辞書で引くと「嘆き」といった訳が出ますが、 実際には大きな喪失感を経験したときに出る感情や反応すべてを指します。「グリーフワーク」はこの「グリーフ」と向き合っていく作業です。

死別体験でたとえると、大切な人との死別でも、何年間も看病して亡くなられるのと、ある日突然、交通事故で亡くなられるのとでは、まったく違った形の「グリーフ」があっても不思議ではない。でも、「交通事故がトラウマになってしまった」という感情は社会に受け入れられる一方、「亡くなられて寂しいけれども、看病しなくて済む」という安堵感はなかなか理解を得られません。自分のグリーフに向き合っていく「グリーフワーク」が大切なのは、こういった社会的に受け入れられづらいグリーフを自分できちんと消化していく必要があるからです。

――DV被害に遭った方の場合、どのような「グリーフワーク」が必要なのでしょう?

中島:DV被害者の場合、「(加害者のもとへ)戻りたい」や「もう一回ギュッと抱きしめられたい」、「もう二度と家庭を持てないかもしれない」といった、周りに言いにくい感情を抱えたりする。これらは非常に自然な感情なのだけど、社会的には理解されないですよね。だから、「家を出て、せいせいした」「これからは一人でがんばろう」というような感情ばかり肯定して、認めづらい感情を抑え込む人が多いんです。ところが、そうすると、抑え込んでいるところに刺激が入ったとき、とても苦しくなってしまう。さらに、抑え込んでいるので、 刺激されるまでは自分でもどこが苦しくなる場所なのかがわからない。

――否定したからといって、そういった感情はなくなるわけではないんですね。

中島:なくなるのではなく、見えなくなるだけなんです。そんなふうに、どこにあるのかわからない地雷がたくさんある中で生きるのは大変だし、場合によっては、地雷を踏んでしまったときの苦しさから「戻らなきゃ」と思ってしまうこともある。だから、認めづらいグリーフともしっかり向き合うことは大切なんです。

    DV、性暴力、児童虐待、パワハラ、モラハラまで、すべての暴力はつながっている

――中島さんは刑務所や少年院でもご講演された経験がおありだと伺っていますが、被害経験のある方が加害経験のある方と直接話をする意味とはなんですか。

中島:再犯を防ぐことではないでしょうか。加害者を罰するだけでは社会としての対応は不十分で、再犯をなくすために、加害者へしかるべき働きかけをすべきだ、という修復的司法という概念があります。

DVや性暴力は、特に再犯率が高い。つまり、今の刑罰制度では、加害者を罰することに成功していても、更生させることには失敗しているということです。この加害者たちが再犯をしてしまったら、被害者の数が増える一方です。

こういったことをふまえて、今年からは少年院を回ることもしています。特に、少年院は必ず入院者は社会復帰するので、一緒に暴力について考える時間を設けることで、2度と加害を繰り替えさないようになればと願っています。

――少年院に入っている未成年のうち、性犯罪などの容疑にかけられている男性もいると思いますが、被害経験のある方として、彼らと話すのは大変なことではないですか?

中島:一人の被害経験のある者として、性犯罪を犯した男性と話すのはやはり大変ですし、複雑な気持ちももちろんあります。それに、彼らに、自身の犯した罪に責任をもってもらうことは大前提だとも考えています。でも、それらのことを踏まえても、被害者が加害者になってしまうケースが多いことは無視できないと思うんです。

少年院に入っている子の多くは、虐待の被害者でもある場合が多いです。だから、講演によっては、暴力や虐待の話をするときに「身の回りの大人に、『なんでこんな目に遭わなくちゃいけないのか』『おかしい』とキツい思いをさせられた人、いっぱいいるでしょう」、と語りかけることもあります。そうすると、一生懸命聞いてくれようとする子たちが一気に増えますね。

――DV被害について、当事者意識を持てるからですね。

中島:暴力は、「支配・被支配」の関係がある、つまり、人間としての関係が対等でないというところから始まります。だから、DV、性暴力、児童虐待、さらにはパワー・ハラスメントやモラル・ハラスメントまで、すべて根底でつながっているんですよ。

暴力というのは、遠くで起きていることでもなく、自分と切り離して考えることでもない。そういったことを、活動を通じてもっと多くの方々に伝えていきたいです。

NPO法人レジリエンス

ケイヒルエミ

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