女社長の乳がん日記page.11

女社長、再び入院する「まさか私がおっぱいおっぱい言うようになるなんて…」

SHARE Facebook Twitter はてなブックマーク lineで送る
女社長、再び入院する「まさか私がおっぱいおっぱい言うようになるなんて…」

「女社長の乳がん日記」
の連載一覧を見る >>

女社長、形成手術を受ける

2017年6月6日(火)

今回は誰にも隠す必要が無いので、スケジュール調整もさくさくっと、過分なストレスなく入院日を迎えられた。ただ、入院を伝えると「すわ!再発なのか!」とあちこちで一瞬、心配をかけることとなってしまった。「今回は形成手術」というと皆安心してくれたのだが、小林麻央ちゃんのブログの影響で、今では多分全国民が、乳がんの転移やステージに詳しくなっている感がある。

何より、まだ若い彼女が闘病生活をブログで発表したことによって、幅広い世代の女性達が「乳がん」を自分事としてシュミレーションする機会になったはずだ。検査へも行く人も増えるだろうし、保険に入る人も多くなると思うので、乳がん患者以外の女性達にとっても、自分自身の体に向き合い、将来に備えるきっかけになったのではないだろうか? 備えあれば、罹患してしまった時(罹患しないのが一番良いのは当たり前として)に、選択肢が増えるし困窮しない事につながる。

元キャスターだし、有名家庭に嫁いだ身として、がんを公開することを私とは比べ物にならないほど迷われたと思うが、彼女の勇気ある発表によって乳がんの理解が広まり、早期発見できて命が助かる人もきっと増えるに違いない。

今回の形成手術は、右乳房のエキスパンダーを取り出してシリコンに変更するためのものだ。新たなギザギザ(傷)が増えるのではなく元の傷を活かして手術するとは言え、再び全身麻酔をするので検査も含め4泊5日の入院となる。相変わらず入院生活は苦手だが、前回の半分以下の期間だと思えば気も楽だ。

SNSに「おっぱい作ってまいります!」とアップすると、たくさんの友人達から「素敵なおっぱいになりますように!」とコメントをいただく。それにしても、ネット上で自分のおっぱいについて言及するようになり、「おばさんになったから」とはいえ、こんなにも「おっぱい、おっぱい」書いたり言ったりする日が来ようとは。人生はいとをかし。自分が未来において何をしでかすか解らないのだから。

(病室)

(病室)


(病室から見える景色)

(病室から見える景色)

夕方、シャワーを浴び終わると形成の先生がやってきた。
そして、マジックで私の体に謎の印をいっぱい書いていった。明日の手術で必要な印なのだろうが、鏡に映った私はまるでどこかの部族(戦士)みたいだ。これも面白いので写真を撮っておく。

(らくがき)

(らくがき)

明日は手術なので、今日は早めに寝ようと思う。
早くニューおっぱいと対面したいものだ。

6月7日(水)

朝から看護師さんに連れられて手術室へと向かう。前回はストレッチャーに乗っていたので手術室の中を観察できなかったが、今回は歩いていった為できる限りキョロキョロしてみる。分娩室とは違い、いろいろな器械があり全体的にはメタリック調でサイバー空間みたいだ。いろいろ質問してみたいが、皆さん忙しそうなので自重した。

この前と同じように名前を確認され、麻酔をかけられると、私はあっという間に眠りに落ちた。そして、手術が終わった後、先生に呼ばれてはっと目を覚ましたのだが、感覚としては2、3分だけ眠っていた感じだ。しかし時計を見ると1時間半が経っている。

このワープ感、全身麻酔恐るべしである。そのまま歩いて行けそうだったので看護師さんの手を借りて病室に戻ると、夫と次女が待っていた。次女の、今日買ってもらったというドラえもんTシャツに目が和む。手術中私は何をしていたわけでもないし、感覚としては2、3分の手術(誤解)だったので疲れは感じないが酸素マスクをしているし、多少フラフラするためベッドに横になった。

(酸素マスクをつけた女社長)

(酸素マスクをつけた女社長)

すると次女が、
「まま、みぎのおっぱいできたの?」
と、聞いてきたので、
「まだ見てないけどできたらしいよ。でも乳首はまだついてないよ。」
と、説明した。

「なんだー。はやくのみたいなー」
と、照れながら言う次女。もう5歳だから、ママのおっぱいをたまに吸っているのを家族にも(特にお姉ちゃんに)ひた隠しにしていたが、皆にばれてからはすっかり開き直っている。

そろそろ完全卒業して欲しいと思っているが、なんと言っても次女のこの癖(5歳の乳しゃぶり)によって私のがんは早期発見されたのだからある意味とても感謝しているのだ。何とか小学校入学までには止められるよう、しっかり導いていきたいものだが。

6月10日(土)

本日予定通り退院した。退院前日、傷口はまだ赤黒いが前回のような内出血も見られないので良好だと先生は言った。
私も触ってみたのだが、確かに岩のような硬さはないし、以前よりも左おっぱいに近しい形状になった。が、正直なところ手術前とあまり変わり映えがしない。

先生の説明によると、まだ皮膚が腫れていて馴染んでないので、将来的にはもっと柔らかくなるとの事だが、左おっぱいが45歳なら、右おっぱいは18歳ぐらいの張りだ。このジェネレーションギャップはいつか埋まるのだろうか?

自宅に戻り、長女と次女に触らせてみても「まだ硬いねー!」と言われる。果物か何かのように。
ま、乳首もこれから作っていくことだし気長に観察してゆこうと決め、私は3日ぶりのシャワーを堪能したのだった。

6月23日(金)

小林麻央さんが永眠。
お会いしたことは無かったけれど、同時期に同じ病を経験し、同じ子供を持つ母親として、勝手にシンパシーを感じていたことに今日気づいた。

小林麻央さんの生前のご功績を偲び、心よりお悔やみ申し上げます。

女社長、家族と過ごす

6月25日(日)

ばーばの誕生日祝いと私の快気祝いで妹夫婦が我が家へやってきた。
普段は葉山に住んでいるので、甥っ子たちは既に真っ黒。うちの長女以外は年齢が近いので、部屋の中が途端に保育園の様相になる。義弟がマイ包丁で魚をさばいて、美味しい料理をたくさん作ってくれた。81歳になったばーばもとても喜んでいた。

家族って不思議だ。
ばーばがじーじと結婚して私と妹が生まれ、それぞれに結婚して子供たちがいる。
そもそも、この子たちはどこから来たのだろうか? 産んでおいてなんだが、正直なところ私には解らない。

私や妹が独身だった頃、この子たちはどこにいたのだろうか?夫や義弟が他の女性と結婚していたらどうなっていたのだろうか?「人生はもしもあの時……」の繰り返しだと聞いたことがある。少しボタンを掛け違えるだけで私たちはすれ違い、全く違う人生を歩んでいたかもしれないのだ。

そう考えると、今のこの状態がまるで奇跡のように私の目に映る。

大騒ぎしている子供たちと夫たちが遊んでいる。

私や妹を産んでくれたばーばが笑っている。

私の大好きな妹が笑っている。

甥っ子たちが、義弟が、笑っている。

私を見つけ、10年ずっとそばに居てくれた夫が笑っている。

私を選んで生まれてきてくれた(本人達談)、二人の娘たちが笑っている。

縁あって家族になれた、私の大切な人達が笑っている。

ただそれだけで、胸が震える程幸せだということ。

「乳がんプロジェクト」はそれを私に教えてくれたのだ。

(女社長の家族)

(女社長の家族)

【お知らせ】
本連載の書籍化が決定!『我がおっぱいに未練なし』(大和書房)が9月25日に発売されます。

この連載をもっと見る

女社長の乳がん日記

「がん宣告」を受けた女社長・川崎貴子(44)が、「乳がんプロジェクト」と自ら命名して己を奮い立たせ、がん宣告から手術・治療までの日々をリアルタイムにつづっていた日記を初公開します。

この記事を読んだ人におすすめ

この記事を気に入ったらいいね!しよう

女社長、再び入院する「まさか私がおっぱいおっぱい言うようになるなんて…」

関連する記事

編集部オススメ

仕事と恋愛、キャリアとプライベート、有能さと可愛げ……女性が日々求められる、あるいは自分に求めてしまうさまざまな両立。その両立って本当に必要?改めて問い直すキャンペーンが始まります。

後悔のない30代を過ごしたい。ありとあらゆる分野のプロフェッショナルに、40歳から自分史上最高の10年を送るために「30代でやっておくべきこと」を聞いていきます。

記事ランキング