34歳から42歳まで踏ん切れなかった自分 不妊治療から人生最後の想像妊娠まで

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34歳から42歳まで踏ん切れなかった自分 不妊治療から人生最後の想像妊娠まで

「産むも人生、産まないも人生」
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34歳で「子供がほしい病」に陥り、40歳で不妊治療をやめ、現在45歳となったコラムニストでイラストレーターの吉田潮(よしだ・うしお)さん。

今年2月に掲載して大きな反響のあったコラムをきっかけに新連載がスタート。「産まない人生」を選択することにした吉田さんが、「オンナの欲望」に振り回されっぱなしだったという30代を振り返り、今思うこととは?

自分の中で踏ん切りがつくまで8年がかかったという吉田さんですが、今回はそのきっかけについて書いていただきました。

母から義援金が届く

掻爬(そうは)手術の数日後、母から現金書留が届く。中には手紙が入っていた。母の字は筆圧が強くて、ごつい。私の字も母の字に似ている。

「手術を受けるとのこと、若い体にいかばかりの負担がかかるかを想像し、大変心配しています。今後しばらくは安静にしていなくてはならないことと思います。自分で決めたことをまっしぐらに進んでいる様子を万全の信頼をもって見てきましたが、時には危なっかしいなあと思うこともあるのよ。

手術の件はそのひとつで、いくら医学が進歩したとはいえ、体への影響はどうなのだろうと多少の不安があります。ずいぶん、費用もかかったことでしょう。同封したものはほんのお見舞い。美味しいもの食べて又元気になって仕事頑張ってね」
 
母、泣かせるじゃねーか。2万だか3万だかを送ってくれたのだが、実は母も私の不妊治療に併走してくれていたのだと気づいた。もちろん、夫も姉も友達たちも。

さらには、当時吉田潮を応援してくれる女性たちも何人かいて、イベントなどにも遊びに来てくれたりした。その方たちからお手紙やメールもいただいた。彼女たちも不妊治療を経験していたから、温かい言葉をかけてくださった。女たちよ、本当にありがとう。そのありがたさに気づいただけでも、私は不妊治療をやって本当によかった。

その後、検診に行って、子宮からの出血も収まり、通常の状態に戻った。もし不妊治療を再開するなら、2回生理がきてから、という。続けるか否かを考えたが、中絶の経験であまりに打たれ弱い自分を知ってしまった。

また、再び採卵から始めて(受精卵ストックがもうないからね)、尻やら腟やらに薬を詰め込んで、一喜一憂して……ということを考える余裕がなくなってしまった。

自分の体に向き合ってきたつもりだったけれど、不妊治療による妊娠となると、ホント別物。ホルモンによって左右され、ホルモンによって一喜一憂し、ホルモンによってスケジュールが組まれる。つくづく、優秀な化学物質を人間の体は製造しているんだなぁ……。

感心している場合ではない。それをまた繰り返すほどの根性がない。お金もない。しかも2回の生理を待っていたら、「40歳までに妊娠」という目標も微妙なラインだ。自分の弱さを知っちゃった今、テンションも上がらない。「そこまでして子供がほしいか?」という命題に、自分自身がこたえられない状況でもあった。

結局、不妊治療には75万円。妊娠出産本だの、激痛マッサージなども含めると、この一連の騒動で約80万円を使ったことになる。いろいろと知ることができたので、授業料は決してお高くなかったと思っている。

「できたらいいな、でもできないだろうな」

手術の後、生理が通常通り戻ってきた。出血量が多く、下腹部痛も強い。妊娠のことはできるだけ考えないようにしようと、仕事や旅行の予定をがんがん入れた。友達も気を遣ってあえて誘ってくれたのかもしれない。ホームページで日記を書いているのだが、友人たちはそこを読んで私の近況を知ってくれている。そのせいか、みんな、優しい。

今思い返してみると、この2か月の間にあちこちへ出かけている。ひとりになりたくなかったんだと思う。余計なことを考えたくなかったんだと思う。

子連れや家族と一緒に過ごす日もあった。子供を愛でるフリをしながら、まったく別の話題へとすり替えるのに必死だった。自分が話題の中心でなきゃイヤだという人がいるけれど、まさにあのときの私はそうだった。イヤな女だっただろうな。

ペラッペラと得意げに自分のことばかり話す自分自身に嫌気がさす。家に帰ってから落ち込む。なんで一緒に笑いながら、子供や家族の話をできないのか。これ、一生続くんだろうか。あの不全感が私を狭量にした。

たかが不妊治療で失敗して流産しただけ。でも、お金をかけて再び治療を始めようとまでは気力がわかない。たった1回の流産で完全にあきらめることができればよかったのだが、実際はそうでもなかった。自然妊娠する可能性もゼロではない、と頭の片隅で思っていた。だから、その後も避妊はしなかった。中途半端なのだが、心のうちはこうだ。

「体外受精でもできなかったのだから、自然妊娠する確率は相当低い。それでも、もし妊娠するのであれば、きっと産め、という啓示なのだ」

ただし、別居婚だし、夫も家業の立て直しで精神的にかなり忙しい。排卵日付近に会えるときはできるだけセックスをしていたが、タイミングはそううまく合わない。

スパッとあきらめたのだったら潔いのだが、実際にはダラダラと「できたらいいな、でもできないだろうな」のモヤモヤ期が続いたのである。

日記を読み返しても、しばらくの間は「妄想妊娠→生理が来てがっくり」を繰り返していたようだ。「妊娠してねーかな」「できてるかも」「もしや妊娠?」などの文言が徐々に減っていく。それよりも「生理きた」「腰が痛い」などの文末が目立つようになっていく。

自分のカラダが教えてくれた踏ん切り

子供が欲しい病が完治したのはいつだったのか。「まだ妊娠できるかもしれない」と思わなくなったのはいつだったのか。これがまたハッキリしないのである。

2013年の10月には「もう疲れた、妄想妊娠」と書いてあるし、人生最後の妄想妊娠は2014年の9月。このとき、特別に何かが起きたわけでもない。流産の手術以降、生理が重くてしんどかったのだが、その痛みがかなり忌々しくなっていたようだ。

「産めないのになんでこんなに血が出るんだよ!」

「産めないんだから、とっととあがってほしい」

自分の生理を呪い始めている。まあ、これも後遺症のようなものかな。昔から生理痛は重いほうだったが、妊娠しないとわかるとさらに憎たらしいモノになってくる。

そして、気づいたら、どんどん縮小傾向になってきた。周期が乱れてきて、来たとしても潔い出血が始まらない。始まっても1日でほぼ終わり、あとはほとんど出てこない。

ああ、もう更年期が始まったのだなとわかる。つまり女性ホルモンの分泌が低下し始めていて、月経というシステムが乱れ始めているのだ。正直、子供を産まない人生としての踏ん切りが本当についたのは、この状態になってからだ。そんなことを書くと、30代の女性は絶望感を抱くかもしれない。

「そんなに長いことモヤモヤしなきゃいけないんですか!」

「34歳から42歳になるまでずっと踏ん切りがつかないなんて、ツラすぎる!」

って思うよね。でもね、私の場合はそうでした。

たとえば、禁煙もそうだ。タバコをスパッとやめられたとしても、実はずっと「タバコを吸う自分」がどこかにいるという。禁煙して20年たっても、未だにタバコを吸う夢を見るという人もいる。だから、禁煙した人が超嫌煙家になる理由もちょっとだけわかる。

試験のように、正解の点数で評価され、線を引かれるならわかりやすいが、妊娠するかしないかというのは、本当に個人差がある。自分ではなかなかバシッと線引きできない。だからこそ、40歳を超えても頑張って不妊治療にトライし続ける人が大勢いるのだ。
 
中途半端ではあるけれど、不妊治療をやってみた自分、そして、長い間潔くあきらめられなかった自分は、カッコ悪いなあと思う。思うけれど、カッコ悪い自分も受け入れた。竹を割ったような性格ではないし、けっしてサバサバした性格でもない。打たれ弱いし、すぐ逃げる。現実逃避して、別のことを考えようとする。でもそれも私なんだよね。

【新刊情報】
吉田潮さんの連載コラム「産むも人生、産まないも人生が、8月25日にKKベストセラーズから書籍『産まないことは「逃げ」ですか?』として刊行されることになりました。
公式Twitter

(吉田潮)

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産むも人生、産まないも人生

34歳で「子どもを産みたい病」に罹り、40歳で不妊治療をやめ、現在45歳となったコラムニストの吉田潮さんが、「産みたい」というオンナの欲望と折り合いをつけていく様子を綴る。

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