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2013/11/13

ミニスカート史に見る女の性解放への闘い

10月4日、ハンガリーの大学では学長が命じた服装規定に抗議しようと、一部の学生が下着姿で授業に出席した。裸同然の肢体を、大事なところだけ大きな本で隠しながら授業を受ける若々しい男女…。この写真は日本でも「ミニスカート禁止に抗議」と大きく報道され、話題となった。その新しい服装規定では、女子生徒はジャケットとブラウスに、パンツかロングスカートを推奨。ミニスカート、サンダル、濃い化粧、その場にふさわしくないアクセサリー、手入れをしていない爪や髪などが禁止されている。

レイプ防止のためにミニスカートを禁止した国

ハンガリーのデモは「大学生の服装規定」として考えると、規制した側にも妥当性があるという意見もある。しかし、学生はともかくとして、世界を見渡してみると、今なお女性の服装は制限されていることが少なくない。昨年12月、アフリカ南部のスワジランド王国では、「レイプを誘発し、またレイプを容易にする恐れがある」として、国単位で女性がミニスカートやローライズのジーンズを着用することを禁止。違反者は6か月の懲役刑を受ける。同国ではその前月、女性の保護、性的暴行の防止を政府に求める女性らのデモ行進が行われ、これを受けての措置だそうだ。しかし、この禁止令は国王ムスワティ3世が、ダンスを踊る少女の中から妻を選ぶ恒例行事「リードダンスセレモニー」においては適用されない。ムスワティ3世はすでに13人の妻を持っている。

ミニスカートは成熟した「女らしさ」に対するカウンター

そもそもミニスカートの歴史を紐解いてみると、そこには「女の性解放」という大きな価値転換があった。1960年代に始まったアメリカのウーマン・リブ。ラディカル・フェミニストたちによる「男性的な価値と文化の拒絶とそれに対抗する女性的価値と文化の主張」は世界中に影響を及ぼし、もちろん服飾モードへも大きな影響を与えた。60年代のフェミニストたちは、それまでのモードが女性に伝統的な女らしさを強制したものであるとし、新しい女性解放や自己解放は、「強制された女らしさを排除すること」であると考えた。そこで若い女性たちは、それまでのオートクチュールが提案していた「成熟した女らしさ」に対するカウンターとして、若さを強調する「少女ルック」を採用した。

ロンドンのストリートから服装のモード革命へ

「少女ルック」は、50年代末から60年代初めころまでのロンドンのストリート・ファッションで、その代表的なスタイルがミニスカートだった。背景には女性の性意識の変化と、ピルなどの避妊薬の普及、パンストの普及がある。20世紀半ばまで、女性は望まない妊娠を避ける避妊・中絶の手段をとることができず、体を衣服でおおって身を守る傾向にあったのだ。このミニスカートに目をつけたのがイギリス人女性のマリークアントで、数年後にフランス人男性のクレージュが高度な技術と美意識によってミニスタイルを創作。オートクチュールとして発表したことで、世界の服飾史を塗り替えるほどの衝撃を世界に与えた。

現代の日本ではもはやなんら珍しいものではないミニスカートだが、その歴史はまだ新しい。20世紀のはじめまでは、コルセットやブラジャーで体を変形したり、服装でおおい隠す文化が主流であった。「女性が手足を出すことは奇妙な行動ではなく、自然なことで、健康的な振る舞いである」という価値観も、先達の女性たちがそれぞれの闘いの末に社会に浸透させてきたという側面がある。そう考えると、「なんで欧米の女の人たちは、なにかっていうと脱いでデモするんだろう…」という疑問にも、答えのヒントが見えてくるような気がする。

参照:「女性の服飾文化史」日置久子、西村書店

(文=編集部)