ブスの社会学 最終回 “ブス”の生きる道(後編)

「タラレバ」女子が増えた理由 結婚、出産…私たちの正解はどこにある?

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「でもブスだよね?」——仕事で評価されても地位を得ても、私たち女性はその一言で突き落とされてきました。それほど強く根付いた“ブス”という価値観が、近年のCMや企業動画の炎上を経て、少しずつ変わり始めているようです。それでも、いまだ“美人“であることを求められる現代社会。私たちはどうサバイブしていくべきなのでしょうか?

著書『セーラームーン世代の社会論』(すばる舎リンケージ)などで女性を論じてきた稲田豊史さんと、数回にわたり紐解いていく連載です。

無宗教の国・日本に生まれる「こじらせ女子」

前回、“ブス”にとって男が介入できない「土俵」や「権威あるオルタナティブな外部規範」がいかに有用かを考察した。本連載の最終回となる今回は、いわゆる「こじらせ女子」が、なぜここ数年の日本で多いのかという話からはじめよう。

端的に言えば、「こじらせ女子」は「信頼のおける外部規範」が与えられないから、こじらせる。「女子は女子らしく生きるべし」と(主に男から)言われたところで、「女子」の定義と実践法が書かれたマニュアルや、FAQ(よくあるご質問)と回答集は、誰からも支給されないからだ。

「これが最適解」を教えられない状態で、職業も婚期も子作りも、選択肢だけが無限に増えていく。いっそ、単純なロールモデルでも設定してくれたほうが幾分か楽なのに、進歩的な現代社会は「ダイバーシティ」という名目のもと、それを許さない。

そんな状態で男が勝手に決められた土俵に上がらされ、取り組みごとに「女子」の定義設定から着手せねばならない。病んで当然だ。

だから、無宗教者の多い日本に「こじらせ女子」が大量発生するのは、合点がいく。宗教は心の安定をもたらす。体系的で、可能な限り矛盾を潰したロジックで構成された教義を自らにインストールすれば、「迷う」ことがなくなるからだ。

何かに迷いそうになったら、教義という名の分厚いマニュアルを参照すべし。それに従ってさえいれば、問題が起こるごとにゼロからソリューションをひねり出さなくてもいい。

“ブス”に限った話ではないが、問題発生ごとに「生きる意味」から遡って解決法を探っていては、人生が何百年あっても足りないのだ。宗教は、多くの人が抱くポピュラーな疑問を漏れなくリストアップし、回答に至る思考プロセスをショートカットしてくれる。偉大なる人生FAQなのだ。

「教祖」ならぬ「メンター」を探せ

特定の宗教にどっぷり浸かってしまえば、「不本意な他人が決めた土俵で戦う」ことからは避けられる。宗教とは、「不本意な他人」に代わる「信頼のおける外部規範」だからだ。有望な若手女優が突然出家するのも、そのあたりに理由があるのかもしれない。

そういえば、本連載の担当編集女性も「『タラレバ娘』的な神経戦にまったく足を踏み入れることなく、穏やかな心で早くに結婚した知り合いの女性は、某国産有名新興宗教の信徒でした」と言っていた。

とはいえ、日本では「宗教」という単語自体にアレルギーを感じる人も少なくない。であれば「教祖」を、そのカジュアルダウン版ともいえる「メンター」と言い換えてみるのも悪くない。

「メンター」とは、仕事上、もしくは人生における助言者・指導者を指す。「未婚のプロ」として知られるジェーン・スー氏は未婚女性のメンター、と言ったら怒られるだろうか。

巷には、コンプレックスまみれの女性が主人公の「こじらせ女子マンガ」「働き女子マンガ」なるジャンルがある。それらの作品には一様に、主人公女性の「信頼できる外部規範」たるメンターが登場するではないか。

メンターは、やり手の男性上司だったり、憎まれ口をたたく同期の男だったり、オネエの親友だったりする。要は、主人公の恋愛模様(という土俵)の外側で、土俵内のバトルに干渉されない立ち位置から、絶対的な教義を託宣する人間、というわけだ。

こうして考えると、「マーマーマガジン」は「宗教」よりずっとポップでガーリーな「権威ある外部規範」であり、服部みれい氏は「教祖」よりずっとフレンドリーでラブリーな「メンター」だ。この界隈に、男が測定する容姿の美醜評価軸は、存在しない。

「ブス」か「美人か」 不毛なチキンレースから逃れるには?

まとめがてら、本連載の主旨「“ブス”の生存戦略を考える」に、ひとつの結論を与えるなら、「男が決めた土俵で戦わない」「信用のおける外部規範を設定すべし」であろう。

外部規範は男子禁制の世界観でも、特定のメンターでも、それこそ宗教であっても構わない。それさえ叶えば、不本意で不毛なチキンレースから、早々に離脱できるだろう。

男が絶対に介入できない評価軸上に身を置くことで「戦線から離脱した」と後ろ指を指されても、気にすることはない。男が「年収」以外の要素を売りにしても、別に惨めではないように(惨めだと感じる男は、おとなしく年収レースに戻るべし)。エシカルもホリスティックも、救済であって逃避ではない。

ただし、これは究極のトレードオフ――一方を追求すれば他方を犠牲にせざるを得ないという状態――だ。男が足を踏み入れられない「土俵」、関与できない評価軸に女が身を置くということは、男にとってその女が、文字どおりアンタッチャブルな存在になるということを意味する。

“ブス”の生きる道、すなわち女子の生きる道

何度も例に出して恐縮だが、エシカルでホリスティック(*意味は前回参照)な聖域、いわば「奥の院」に身を隠した女子に、男性は触ることも近づくこともできない。というかコミットする気を失せさせる。理由は、「聖と性はなじまないから」といえば聞こえはいいが、ぶっちゃけ「そういうことに没頭してる女子は、めんどくさそうだから」だ。

もちろん、男にだって女人禁制の「聖域」はある。フィギュア収集や改造車程度ならいいとして、ギャンブルや風俗まで「神聖なる男の領域」とする男性に、女性は近づきがたい(近づきたくない)。

「聖域」から出て不本意な土俵、不本意な番付という「俗」にまみれなければパートナーを獲得できないのは、女も男も同じ。無論、パートナーを獲得することが人生の最終目的ではないが、理不尽だが公平な世界の真理がここにある。

“ブス”の生きる道、これすなわち女子の生きる道どころか、人類全体の生きる道へと、それはそれはホリスティックにつながっている。

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いまだ“美人“であることを求められる現代社会。私たちはどうサバイブしていくべきなのでしょうか? 稲田豊史さんと紐解いていきます。

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