バスク料理レストラン「ランブロア」・磯部美木子さんインタビュー

夢は「母のような専業主婦」だった40歳 おひとりさまでレストランを開業するまで

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夢は「母のような専業主婦」だった40歳 おひとりさまでレストランを開業するまで

2016年8月、42歳で東京・用賀にスペイン・バスク料理レストラン「ランブロア」をオープンした磯部美木子(いそべ・みきこ)さん。スペイン留学で食に感動、現地で専門教育を受け、有名レストランで修行を続けた本格派ながら、夢はずっと専業主婦だったそう。

「でも、このままおひとり様かな……」と思った時、不安を抱えたままひとりで生きるのはイヤと、アラフォーで開業を決めました。

開店から半年で東京のスペイン料理ファンが応援する店となった「ランブロア」。オープンを決意するまでの道のりを聞きました。

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<磯部さんが「やりたいこと」を見つけるまで>

21~22歳:スペインに語学留学中に料理の美味しさに目覚める
23〜24歳:2年間OLをしながら友人たちにスペイン料理を教える
25〜29歳:バスクの料理学校に2年間留学、各地で勤務する
31〜38歳:帰国後、愛知万博をきっかけに東京のスペイン料理店で働く
39歳:独立を決意し、準備を始める
42歳:レストランをオープンする

料理人になるとは夢にも思わなかった20代

大学3年生の時、バックパックをかつぎ、スペインを1ヵ月旅したのが楽しくて、言葉も学びたいと翌年から2年間スペイン・マラガに語学留学。

「20歳まではかなりの偏食で、料理には全然興味がなかったです」という磯部さんを変えたのは留学中にバルで食べたスペイン料理でした。

「魚介類もキノコも食べられなかったのに、スペインに行ったらすべてがウッマ!(笑)何を食べても美味しいと感動しました」

ホームステイ先がバルだったのが、料理の道に続く扉に。「座って見ているのも何かな、と調理を手伝うように。料理って楽しい、と人生変わりました」

OL時代を経てスペインの名門料理学校に留学

留学を終え、大学卒業後は地元・愛知で2年間のOL生活に入ります。休日は地元や大阪でスペイン料理教室を開催していた磯部さん。「料理はその場で喜んでもらえて、結果が早く出るので嬉しい」と夢中に。

やがて、スペイン料理を基礎から正式に学ぼうと決意します。

「塩とオリーブオイルとニンニクだけで、上手に野菜や肉の旨味を引き出すのですが、その秘訣をちゃんと勉強したくなりました」

多くの人からの助言で、スペイン北部の美食の都サン・セバスティアンにある名門「ルイス・イリサル」料理学校に2年間留学しようと決めます。

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ビザが切れ、自分が外国人だと思い知らされる日々

留学中は「バスク人は義理堅くて約束を守るし、一度友達になったらずっとよくしてくれる。何よりも食べ物が美味しかった」とバスク地方と料理を魅力にどっぷり浸って過ごしました。

午前中は授業、午後は学校が斡旋するレストランへ。7、8カ所で3ヵ月ずつ勤務したそう。卒業後は他の地域のレストランに半年ずつ勤務するも、労働ビザが下りず、不法滞在を余儀なくされた苦しい時期もあったといいます。

「泥棒騒ぎで警察を呼んだ際、ビザがない私がいたら皆に迷惑がかかると家に軟禁状態にされたんです。すごくショックでした。車もないし、出歩けない。自分が外人だと毎日思い知らされるつらさに耐えきれず、帰国しました」

おしゃれな料理より家庭料理にこだわりたい

名古屋の実家に戻り、料理人として日本で最初の仕事を得たのは、2005年、31歳の時でした。愛知万博のスペインパビリオン「タパスバー」のスタッフとして働き、料理長だった著名なスペイン人シェフ直々の招きで上京することに。小笠原伯爵邸のスペインレストランで働き始めます。その後はバルブームの先駆けである「ティオ・ダンジョウ」(東京・恵比寿)に移り、7年働きました。

バスクは世界をリードする最先端調理や繊細なコース料理でも有名ですが、磯部さんがこだわったのは、あくまで家庭料理でした。

「私は田舎くさいコテコテのスペイン料理が好きだと再確認。もともとはバルで、お母さんが作った味にガツンとやられて、この道に飛び込みましたから」

夢は専業主婦。まさか店を持つことになるなんて

しかし、独立して店を持つつもりはなく、夢は常に専業主婦だったそう。

「毎年年始に、“今年の目標は寿退社です”と宣言。母のように生きるのが幸せだと思っていたんです。いつか結婚して仕事を辞めてと決めていたのに、出会いがなくて」

そして、勤務先の移店をきっかけに「料理は十分に勉強してきたし、自分でやるしかない。精神的にもラクになるはず」と独立を決めた磯部さん。当時39歳でした。

「不安を抱えて生きていくのもイヤなので、『ひとりで生きる』を前提に、自分に何ができるか見直しました。20代から積み重ねてきたものをちゃんと一つの形にして残したかった。今も、出会いを拒んでいるわけではなく、いい人がいれば、とは思っていますが」

39歳の決意、それから準備に3年

パートナーに選んだのは同僚だった、ソムリエ北澤信子さん。「私の料理を知ってくれているし、この人しかいないと、しつこく誘って」資金は自分で少しずつ貯めながら、ご両親にも助けてもらったそうです。

「親にも借りました。ありがたいことに親も応援してくれています。母もやりたいことがあっていいね、と喜んでくれました」

「店を持つ」と決意してからの3年は、物件探しに明け暮れる日々。当初の予定地は鎌倉。ところがワインを出して夜の営業をメインにするなら都内と、予定地を変更します。理想より手狭な8坪ながら、用賀の物件に出会ってからはトントン拍子に事が運びました。

パートナーの北澤さんと

パートナーの北澤さんと

あくまで等身大で続けていきたい

一見おっとりしていて、やわらかい雰囲気の磯部さんですが、パートナーの北澤さんには「気が強くて頑固。意見を聞かない」と評される一面も。従業員を雇わず、それぞれのやりたいことを口出しせずやる方針なので、気がラクだそう。

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メニューは固定のものはなく、日替わり。スペインで学んだレシピから磯部さんが積み上げてきたものばかりです。

「2、3年続けられたら、くらいの気持ちです。大きくせず、こぢんまりと。ガッツはないです。昼の営業をする体力もないし、40代はやっぱりすごく疲れる(笑)」

そんな等身大な姿勢が、レストラン「ランブロア」の魅力です。

次回は、共に店を経営数するスペインワインの専門家であるパートナー、北澤信子さんのインタビューです。

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【店舗情報】
ランブロア

(志田実恵)

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