辞めるのは決して逃げでも挫折でもない――。転職が珍しくない世の中になっているものの「辞める」というと、ネガティブなイメージもあることは事実。しかし「辞めた」ということは、新しい世界への一歩を踏み出したということ。一見、キラキラして見える人にも、必ず何かを辞めてきたヒストリーがあります。彼女たちが何を選択し、どんな道を歩んできたのかに迫ります。
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外資系広告代理店のアートディレクターとしてキャリアをスタートし、会社員とフリーランス、両方の働き方を行き来。現在、フリーランスで取材マンガ家兼イラストレーターとして忙しい毎日を送る新里碧(にっさと・みどり)さん(32)。

「出戻りも全然アリ!」「流れに身を任せるように、自然な感じで会社を辞めてしまった」

そう笑顔で話す新里さんに「辞める。」ストーリーを聞きました。

<新里碧さんの「辞める。」ヒストリー>

22歳 東京藝術大学を卒業後、外資系広告代理店へ就職。
25歳 会社を辞め、フリーランスへ。
28歳 前社のグループ会社に中途入社。
32歳 会社を辞め、2度目のフリーランスへ。

まさに「輝く」女性! でも……

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東京藝術大学在学中、電通が主催する広告業界志望者向けのクリエイティブ塾に参加したことをきっかけに広告業界の道に進もうと決めた新里さん。大学院進学やアーティストを目指す同級生たちがほとんどの中、数少ない就職組として外資系広告代理店に入社したところから新里さんの社会人生活はスタートしました。

広告のビジュアル面を指揮・統括するアートディレクターという肩書きを携え、数億円規模の予算を持つ巨大企業、有名ブランドの広告制作現場に立ち続ける毎日。

まさに傍目からは“キラキラ”した生活を送っているように見えますが、毎週のように押し寄せるプレゼンの嵐に深夜のタクシー帰り。息つく暇もないくらい多忙な日々が続く中、大きな仕事に関われるやりがいを感じながらも、新里さんの心の中はある葛藤がくすぶり続けていたといいます。

「誰もが知る大企業の広告を作ってはいるんですが、スケールが大きく関わる人間の数も多いがゆえに手応えが見えにくい。私が作ったものは誰の目に触れているんだろう、誰の役にも立たず捨てられているんじゃないかと。直にクライアントと話をして、モノを作り、ダイレクトな反応を得る。大きな企業でなくてもいいから、そういうモノ作りがしたいと思うようになったんです。あとは、正直すごく忙しかった。実は2年目に軽いうつ病になってしまい、3ヵ月間休職したんですよ。その期間に仕事のあり方を自分の中できちんと整理して戻ったので、復活できる……と思ったんですが、結局3年目の終わりには会社を辞める方向へ気持ちが傾いていました」

「ツラい状況からとにかく抜け出したかった」

理想に近い働き方を探し、新里さんはメーカーのデザイナー職を目指して転職活動を開始しました。デザイナー経験がなく、さらに異業種への転身ということもあり、職探しは思いのほか難航しました。「いっそ大学院に戻って勉強し直したほうがいいんじゃないか」と悩みながらも、間もなくして食玩メーカーのデザイナー職に内定。ところが周囲に退職の報告をする新里さんに、直属の女性上司が思いもよらぬ一言を発します。

「ねえ、新里はその仕事、本当にやりたいと思っているの?」

「ハッとしました。次の会社には本当に申し訳ないけれど、冷静に考えると私はその新しい会社に心から行きたいというより、今のツラい状況からとにかく抜け出したい、仕事に疲れて休みたかっただけなんじゃないかって」

「私が本当にやりたい仕事は次の会社にはないのかもしれない」。そう考え直した新里さんは結局、食玩メーカーの内定を辞退。そして会社に残るのでもなく、4年弱のサラリーマン生活にピリオドを打ちました。

流れでフリーに

独立への覚悟や準備などは何もなく、ただいったん歩みを止め、これからのことをゆっくり考えたかった――それが会社を辞めた時の正直な気持ちだった、と当時を振り返る新里さん。

「辞めた時は貯えが200万円くらいあったので、1年間は過ごせるかなと半年くらいぼんやり過ごしていました。その後、大学の同級生に滋賀県の信楽でアートイベントがあるから作品を出さないかと誘われて。そのイベントは2ヵ月間の開期でかなり人が集まるので、『せっかくだから食べ物のイベントも開催したらどうですかって?』と市役所に提案したら、特に支援はできないけど勝手にやっていいよって(笑)。それで、期間限定の『たぬき丼』というご当地メニューと食べ歩きマップを作って配ったんです」

知らないお店に飛び込み交渉をして、取材をし、イラストや地図を制作してプレスリリースを送る。「たぬき丼マップ」は朝日新聞や中日新聞、NHKの取材まで入り、大きな反響を呼びました。

「ああ、私がずっとやりたかったのはこれだと思いました」

「信楽まちなか芸術祭』の仕事をきっかけに、多方面からも少しずつ仕事の依頼がくるようになり、気づけばフリーランス生活は3年が経過していました。ところがこのタイミングで、新里さんは再び会社員に戻ることを選びます。

1度目は「失敗」したフリーランス生活

「自分一人で仕事をする限界っていうんでしょうか。作ったものに対して『もっとこうしたらいい』というアドバイスをしてくれる人が身近にいなくて、誰かに評価されたり、上司に怒られたりする経験が今の私にはもっと必要なんじゃないか、と思って。あとは正直な話、金銭的な部分のツラさもありましたね。ただ生きているだけなのに、なんでこんなにお金がかかるんだって。当時、貯金が5万円しかなくておばあちゃんにお金を貸してもらったり、ピンチの時はお米を買ってもらったり(苦笑)。フリーランスで生き抜いていくのは、そう簡単なものではなかった」

フリーランスから出戻って再び会社員に

結局、以前在籍していた外資系広告代理店のグループ会社に中途入社した新里さん。プランナーとして再び会社員生活をスタートしました。そして大手企業のプロモーションやイベントのノウハウを吸収しつつ4年弱を迎えた頃、2回目のフリーランス転身のタイミングが訪れました。

「以前いた会社の上司から『戻ってこないか』と誘われていて、移籍することを決めたのですが、会社の諸事情で白紙に戻ってしまって……。その時いた会社も『移籍が白紙になったのならいていいよ』と言ってくれたんですが、これって『他に好きな人ができた』と伝えた夫と一緒に暮らし続けるようなものじゃないですか。それは会社にも失礼だし、自分としてもできない。でも、今フリーランスになれば両方の会社と仕事ができる。そう考えて、会社を辞めることにしました」

悶々とするならまずは行動してみる

一度目も二度目も、いうならば流れに身を任せるようなカタチで「会社を辞め」、独立へ導かれたという新里さん。

「今回はわりと地固めをしてからフリーランスになったんですが、一度目は本当に丸腰状態だったので、意外とどうにでもなるんだなというのが率直な気持ちです。逆に『まだまだ自分は力不足だから……』と立ちすくんでいるのはもったいないと思う。会社を辞めようか独立しようか、と悶々しているくらいなら、週末限定の副業でやってみるとかイベントを開いてみるとか、とりあえず何か動きだしてみたほうがいいと思います」

「辞める。」は特別なことではない

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最後に、新里さんにとって「会社を辞める」とは?

「働く=会社で働くこと」と考えて、悩んで、がんじがらめになって体を壊したりしました。それ以来、働くことを「自分の人生の中の一部」ととらえるようにしました。仕事、生活、余暇などいろんなものが詰まった「私の人生」を俯瞰(ふかん)的に見ることで、自分がどういう生き方をしていきたいと思っているかを見失わないように生きていこうと考えています。

そう意味でも「私にとって『会社を辞める』ってそんなに特別なことではない。多分2回目だからというものあると思うんですけど、別に辞めたからといって死ぬわけじゃないし、また会社員として働きたいと思ったら再就職すればいい。もちろん年齢的な制約はあるでしょうし、同じ職種やポジションに戻るわけにはいかないかもしれないけれど。

それにたとえ会社を辞めても、会社員時代にお世話になった人たちとの縁が切れるわけではありません。「新里、がんばって。本当に食べられなくなったら連絡よこせよ!」と笑顔で送り出してくれた上司や同僚たちには、感謝しきりです。

(江川知里)

新里碧(にっさと・みどり)1984年東京生まれ。2016年10月から取材マンガ家、イラストレーター、アーティストとしてフリーランスとして活動中。公式HP