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2016/09/28

LGBTの象徴とされる虹色の旗、「レインボーフラッグ」。今や世界的に使われるこちらのシンボルをデザインしたアーティスト、ギルバート・ベイカーさんが、ウートピからの取材に応じてくださいました。ゲイであるベイカーさんがアーティストとして出発するまでには、とある女性との友情物語があったそう。虹色の旗に隠された物語とは。
(インタビュアー:牧村朝子)

クレジット街のいたるところにはためくレインボーフラッグ

街のいたるところにはためくレインボーフラッグ

Q.ベイカーさんは、ご自身がゲイであることをオープンにしていらっしゃいますね。ご自分がゲイだと気がついたのは、いつのことでしたか?
初めからわかっていましたよ。

Q.どんな子ども時代を過ごされたのでしょうか?
とてもつらかったですね。私が育ったのは1950年代です。1951年に生まれたので、50年代から60年代が私の子ども時代にあたります。そんな時代に、たいへん保守的な共和党支持者たちの住む、アメリカ中西部カンサスに生まれ育ったんです。ゲイにとってはつらい場所ですよ。私はいじめを受け、笑い者にされて、さみしく、孤独で、家族も助けてくれず……本当につらかった。

わかるでしょう、よくある話ですよね。「人生何もかもダメだ」とか、「自分は間違った身体に生まれたのだ」とか。鬱々として、自分を恥じて、精神的なダメージに苦しんでいました。

Q.ご両親はどうでしたか?
とても難しかった……。

Q.というと? ベイカーさんがゲイであることについて、ご両親からは何か言われましたか?
彼らは、戸惑っていたようでした。19歳くらいの時に両親にカミングアウトしたのですが……その後何年か両親と私は話もしなくなり、疎遠になりました。とても難しい時期でした。とにかく、私は彼らを愛してはいたのですけれどね。

Q.私にも、似たような経験があります。
そうですね。誰も彼もが同じだとは言いませんけれども、ゲイの人々にはよくある話ですよね。乗り越えるのは本当に大変でした。

クレジットGoogleとレインボーフラッグ

Googleとレインボーフラッグ

Q.その後、米軍に入隊されたんですよね?
いいえ、徴兵されたんです。

Q.(「徴兵」という単語がわからず)何ですって?
米軍に誘拐されたということですよ(笑)。ともかく、それで私はカンサスの外まで連れていかれたんです。自殺を考えましたね。人生は生きるに値しない、恥にまみれたものだと感じ、痛みに苦しんでいた。

Q.そうでしたか……。何歳の時でしたか?
非常に若くして、です。徴兵を機に、というよりは……行きつ戻りつ、何度も死ぬことを考えました。とても苦しい時間でしたね。ストレート(異性愛)でない人の間には共通の経験でしょう。悲しいことです。本当にたくさんの若者が命を投げ出してしまう。ゲイの人々は、こうしたことに苦しむのです。非常によくあることです。……不幸なことに。

(少しの沈黙)

そう、それで、米軍に入れられた私は、サンフランシスコに送られることになりました。大都会、美しいウエストコースト、フリー・ラブ・ムーブメント……サンフランシスコが私を変えたんですよ。永遠に。

Q.それでも当時の米軍はまだ、「Don’tAsk, Don’t Tell」*の時代でしたよね。
米軍の中ではゲイでいられませんよ。現代でも、ね。
*米軍の中で、「あなたは同性愛者ですか」という質問をしてはいけないし、答えてはいけない、という規則。1993年に導入され、2011年に撤廃された。米軍所属者全員に異性愛者としての振る舞いを強いるこの規則は、同性愛をタブーとする流れをさらに強めた。また、この規則のもとで1万人以上が除隊処分となり、対象者は「ブルー・ディスチャージ」と呼ばれる青い紙を目印のように渡されたため、米軍除隊後も社会的偏見に苦しまされた。

クレジットグリニッジ・ヴィレッジに立つandroidの広告とレインボーフラッグ

グリニッジ・ヴィレッジに立つandroidの広告とレインボーフラッグ

Q.米軍の中では、どんな経験をされましたか?
ひどかった。最悪です。ケガ人に対して本当に雑な扱いをする。つまり……最低でしたよ。私は救護担当でしたが、私たちの見なければならないものは本当に悪夢でした。痛み、苦しみ……ただ、悪夢だった。

まあそれでも、私の配属先がサンフランシスコだったというのは不幸中の幸いと言えるでしょうね。それにしても最悪でしたよ。繰り返しますが、ゲイであり、独身者であり、なんだか人と違う、というような扱いを受けることが苦しみを二倍にする。幸いなことに、私はそれらを乗り越えたわけですがね……

とにかく、私は軍を除隊になったあとも、サンフランシスコに残ることにしました。楽しく、自由な時間だった。そこで、私は見つけていくことになったのです……本当の私自身を。

Q.つまりは、サンフランシスコという場所にいたことが、ベイカーさんをゲイ解放運動に導いていったと。
ええ。サンフランシスコは、寛容さや言論の自由、フリーラブといった運動に関して長い歴史がありますからね。

Q.いつ、どのようにして、ベイカーさんはゲイ解放運動に参加したのですか?
1972年からでしたね。ゲイについてだけでなく、政治全般に関心を持ったんです。それで1974年以降は、特にゲイ解放運動に関わるようになりました。この頃は、そうした運動に身を投じる人が増えた時期でしたね。

Q.なるほど。ですが、米軍を除隊になってからゲイ解放運動に参加するとなると、生活費を稼ぐ必要が出てきますよね。どのように暮らしを立てていたのですか?
ファッション関係です。裁縫をしていました。

Q.お裁縫の技術は、誰に教わったのですか? おばあさんですか?
友達が教えてくれたんです。家族は私をサポートしてくれませんでしたよ、全然。

Q.Wikipediaには、ベイカーさんのおばあさまがお裁縫をなさっていたと書いてありますけれどね(笑)。
Wikipediaね(笑)ええ。確かに彼女はお針子でしたが、何も教えてはくれませんでしたよ。このことについてのちのち家族と話し合ったのですが、当時は家族誰ひとりとして、私の裁縫やファッションやアートにまつわる活動を応援してはくれませんでした。

大変でしたよ。ゲイでいることより、アーティストでいることの方が難しかったかもしれない。(独り言のように)……だって、家族は、私なんて何者でもないんだと思っていましたからね……。

Q.そういう状況をベイカーさんは生き抜いたんですね。
やりましたよ。私は強い男です。それに、素晴らしいギフトを授かっている……素晴らしい才能をね。私はラッキーです。

クレジットMoMA(ニューヨーク近代美術館)館内で揺れるギルバート・ベイカーさん名義レインボーフラッグ

MoMA(ニューヨーク近代美術館)館内で揺れるギルバート・ベイカーさん名義レインボーフラッグ

Q.裁縫を教えてくれた友人はどんな人でした?
彼女は、私が若い頃からの仲間でね。私たちは二人とも1972年のサンフランシスコにいて、二人とも政治的にアクティブだった。何よりファッションを愛し、裁縫を愛していました。そうして私たちは絆を深めていったのです。

でもね、1970年代のサンフランシスコは、ファッションをやるための場所ではないですよ。ニューヨークやパリじゃないんだから。ということで私は服よりも、ゲイの権利、人間の権利のための旗を作っていった。ゲイ解放運動のための美しいヴィジュアルを作っていった。

私はサンフランシスコにいたんです。ファッションよりも、ゲイ解放運動が盛んな場所に。ゲイの進軍先……いや、進軍と言うべきじゃないな……移民先であったところに。家庭を追われ、故郷を追われた人たちが、新しい居場所、新しい家族を見つける大きな街・サンフランシスコに。そんな場所にいられたのは、ラッキーなことでしたね。

Q.そうですね。サンフランシスコという街に来て、ベイカーさんはやっと仲間を見つけることができたのですね。
ええ。彼女のおかげでスタートが切れたと言いましょうか。彼女こそ私に、人生で初めて、励ましというものを与えてくれた人です。

でも、そこから先は、私自身で見つけなければならなかったんです。自分が何者であるのか、を。裁縫は音楽みたいなもので、繰り返し練習しないといけません。実際にやらないといけないんですよ。なので、友人に教わっただけでなく、私よりも上手な人から学び取り、何年も練習を続けましたね。

練習をする。情熱に気づく。どうやってやるのかを身につけていく。それをしたのは、自分自身ですよ。

クレジット保守派ユダヤ教会、パーク・スロープ・ジューイッシュ・センターにかかるレインボーフラッグ

保守派ユダヤ教会、パーク・スロープ・ジューイッシュ・センターにかかるレインボーフラッグ

〈インタビューを終えて〉
ベイカーさんは、初対面の取材者に対しても、隣に座りまっすぐに目を見て接してくださる方でした。つらい経験を語る時にも、感情に流されず、淡々とお話になっていました。ご自身のことを「美しく、ゴージャスで、恵まれていて、才能がある」ときっぱりおっしゃって、冗談めかしたり自慢げにしたりしない、自然体の自信にあふれていました。

レインボーフラッグが世界各地で自由と平等のために使われるよう、ベイカーさんは、レインボーフラッグの商標登録や使用料請求などを行わず、一切の権利を放棄しています。よって、ベイカーさんのアーティスト活動は、募金や、手縫いのレインボーフラッグ、絵画作品やTシャツなどの販売によって支えられています。作品を鑑賞したり購入したりしたいという方は、ギルバート・ベイカーさんの公式ホームページをご覧ください。

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牧村朝子