キュレーションサイト「地元びいき」・和田富士子さんインタビュー

仕事を「作る」から「贈られる」へ 31歳で会社を辞めて見つけたもの

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仕事を「作る」から「贈られる」へ 31歳で会社を辞めて見つけたもの

「ライフ≒ワークな生き方」
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東京・品川。その昔、東海道最初の宿場として栄え、400年以上の歴史が至る所に残る街。その歴史を色濃く残すのは品川から京急線で一駅の北品川です。この街に身を置き、旧東海道の姿を次世代に残したいとローカルメディアキュレーションサイト「地元びいき」を立ち上げた和田富士子(わだ・ふじこ)さん。

「会社員をやるのは10年だけ」と決めて31歳で退職し、ハワイで2年暮らしたのち独立。そんな彼女が見つけた人から“仕事を贈られる”働き方とは?

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がんばりの対価がわかる仕事をしたい

――今年で「地元びいき」の運営は3年目と聞きました。自分で仕事を立ち上げた理由は?

和田富士子さん(以下、和田):大学時代から都内で音楽関係、マーケティング関係のエディターをしていました。ただ10代の頃から「丁稚奉公は10年」って決めていたんです。自分がやったことに対して見返りを得て、暮らしが成り立つ。そんな生き方に憧れがずっとありました。

それに、会社勤めを経験して、月の最後にもらうお給料が、何のがんばりが評価されたお金なのかわかりづらいと感じていたんです。とにかく、自分のがんばりがシンプルに結果につながる“生業(なりわい)”の仕事をしたかった。だから10年を契機に辞めようと決めました。

――職人気質ですね(笑)。

和田:そうですかねえ(笑)。それから、海外で暮らしたいという思いも強くて。偶然なんですけど縁があったのがハワイ。会社勤めをしていた頃も、ずっと日本から出る機会を伺っていました。だから、31歳の時10年勤めた会社を辞めると同時に就職活動のつもりでハワイに渡り、そこで3ヵ月過ごしました。とりあえず行くか、みたいな(笑)。

――仕事を辞めて行っちゃったんですね。思いきりがよすぎるような。

和田:そうでもしないと思いきれない、という感じですね。エディターの仕事を現地で探してたんですが、なかなか見つからず。でも、たまたま現地で飲食店をやりたいという人に出会って。調理師免許を取り、エディター業も含め、ハワイで2年間仕事をしました。

ただ、いろいろあって30代後半で帰国することになって。帰国して、「さて、何をやろう」と考えた時、まずは暮らしを立てるために大手のEC(電子商取引)関係の仕事をしました。当時は不本意だったけど、今となるとその経験が生きてるな、って感じます。

――というのは?

和田:最後に勤めたのが大手企業のECなんですが、これだけ全国展開しているのだから地域性を取り入れた事業の可能性があるだろうと考えることがあって。例えば、地元のものを生かして商品棚を作ったら相当インパクトがあるはずだから、それをやれないものだろうか?と。でも、大きな企業に働きかけるのに費やす自分の時間を考えると、とりとめのないことになりそうだな、と気づいていったん立ち止まりました。

――とりとめのないこと?

和田:つまり、なかなか結果につながらないんじゃないかと。じゃあ、それをどう自分で実現するか? 会社では時間がかかる。ならば、まずはやれることから始めてみようとなって、パン!と会社を辞め、40代前半でポータルサイト「地元びいき」を立ち上げちゃったんです。

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仕事は“贈り物”みたいに与えられるもの

――「会社を辞める」って、解放感もありますけど、同時に所属する場所がなくなったっていう不安感もありますよね。そういうものは、感じませんでしたか?

和田:ないといえば嘘かな。今でも時々会社勤めに戻りたいなと思うこともありますし。雇用されていると、安定感がありますよね。でも、こうして自分で日々仕事を生み出していく働き方は、お給料の保証なんかないし、1から10まで自分でやって片づけまでしなきゃいけないし。大変は大変なんです。でも、あえて、やっちゃおう!って楽しんでいる自分がいて。正直、苦悩もありますが、そこが面白いな、と。

――生活に変化はありましたか?

和田:「ビジネス=仕事をつくる」っていう感覚があるけれど、実はそうじゃないと気づきました。特に個人でやるとなるとバリバリ仕事をつくらなきゃいけないイメージがあります。でも、そうじゃなくて、仕事って、いろんな人との関係の中で贈りものように与えられていくものなんだな、と。だから、営業してがむしゃらに仕事をつくってる感じはないんです。

「地元びいき」をスタートして1、2年目は、もちろん自分から仕事をつくろうと奔走していましたよ。「事業性」っていうのかな。そういうのをつくらなきゃ、って。だけど、個人でやれる範囲に限られるので、定期的に仕事が来たり、大きな仕事につながるところまでなかなか到達しないんです。むしろ、お金にならないことでも気にせずに、街の人とつながりを持ち続けていることで、結果が少しずつ出てくるんです。不思議とね。

向こうから「そろそろ一緒に仕事しようよ」なんて言われると、やっぱり仕事は与えられるものなんだな、って感じますね。会社に勤めていた頃は気づかなかったけど、街と人とつながりながら暮らしていると、やりたい仕事はちゃんと与えられるものなんだな、と。

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二足以上のわらじを履いて

――つながりのある人から「そろそろ一緒に仕事をしようと」って声をかけてもらうって、幸せな働き方ですね。

和田:東京って、人間関係が希薄なイメージがありますよね。ここ(北品川)は東京だけど、全然希薄じゃないんです。田舎と同じ(笑)。“東京”ってものをないがしろにしない暮らしがある。そのよさに気づいたからこそ、今の自分の生活や仕事のスタイルがあるんだと思います。今は品川宿交流館の事務局をお手伝いしながら、品川宿の街づくりのことを考えたり、「地元びいき」の仕事をしたりしています。二足以上のわらじかも。

今年、商店街再生の一環としてやっているリノベーションしたレンタルスペース事業では、朝ごはんも担当しちゃったし。ただの朝ごはんではなく、ローカルな食を盛り込んだ朝ごはん。もう何屋なんだかわかりません(笑)!

人が行き交う旧東海道沿いにある品川宿交流館

人が行き交う旧東海道沿いにある品川宿交流館

――和田さんにとって、仕事とは?

和田:ひと言でいうと、「曖昧」という言葉が合う気がしますね。“ローカル”の中で仕事をするようになって気づいたのは、街の仕事には際限がないこと。どこからが仕事でどこからが(ビジネスではない)活動なのか曖昧だけど、その場その場でフレキシブルに行動して、仕事につなげていく。やり方は自由なんです。正解はないんです。本当に“手探り感”が満載ですよ(笑)。街の人に相談しながら、面倒なことも楽しみながら、仲間と一緒に地元を“ひいき”にして進むだけです。

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交流館の入口には駄菓子が並び、街の人が立ち寄る

交流館の入口には駄菓子が並び、街の人が立ち寄る

(たけいしちえ)

【和田さんの「地元びいき」からのお知らせ】
現在、「地元びいき」では、ローカル情報を発信したい「地元発掘隊」を募集しています。詳細はこちらから。http://jimoto-b.com/4037

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