医師・中島侑子さんインタビュー

キャリアを中断して旅に出る “遅れ”を“強み”に変える覚悟

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キャリアを中断して旅に出る “遅れ”を“強み”に変える覚悟

医大卒業後、同級生が医師としてのキャリアを着実に歩むなか、「わたし、このまま医者になっていいのかな」と疑問を感じ、研修医修了と同時に世界一周の旅に出た中島侑子(なかじま・ゆうこ)さん。2016年5月12日に、これまでの旅の経験をまとめた『医者のたまご、世界を転がる。』(ポプラ社)が出版されました。キャリアを中断してまで旅に出た彼女の勇気とは。

【『医者のたまご、世界を転がる。』より、ウートピに掲載したエッセイ・エピソード一覧はこちら】

「知らない世界」を残したまま医師にはなれない

——医師になっていきなりキャリア中断とは大きな決断ですが、旅に出るきっかけは何だったのでしょうか?

中島侑子氏(以下、中島):大学3年生のときに友人とインドネシア・バリを旅行しました。そこで読んだロバート・ハリスさんの『ワイルドサイドを歩け』(講談社)という本に衝撃を受けました。長い間世界を放浪し、ときには気に入った土地に住んでカフェやバーを経営したり、激しい恋をしたり……。当時、学校と家を往復するだけのまじめな学生だった私は、「こんな人生があるのか!」と鳥肌が立ちました。タイで各国の旅人に出会ったときも、自由を謳歌している姿が印象的で。自分が知らない世界をたくさん残したまま医師にはなれないと思ったんです。

——周囲は反対しませんでしたか?

中島:両親は大反対でした。研修でお世話になった先生方にもきっと反対されるだろうと思ったので、出発ギリギリまで黙っていました。次の就職先が決まってないとまずいというタイミングで旅に出ることを告げると、反応は十人十色。比較的応援してくれる方が多かったのですが、「伸び盛りの今行くべきではない」とか、「医者になってからの3年間がその後の人生を決める」という厳しい意見もいただきました。

——それを聞いて不安になりませんでしたか?

中島:確かに、帰国しても就職できる保証もないし、同じようなことをしている医者も他にいなかったので不安はありました。けれど、何があっても行くという気持ちが強く、決意が揺らぐことは一度もありませんでした。

ネパールの無医村で、医者のたまごがひとりで診察

——そして念願の出発ですね。行先はどのように決めたのですか?

中島:具体的な国は決めていませんでしたが、中東とアフリカと中南米には絶対行きたいと思っていました。日本から簡単には行けない場所だし、未知なものへの好奇心がわいて。実際、エチオピアにある火山でマグマを見たときは、「地球上で一番地球を感じられる場所」だって感動しました。でもやっぱり印象に残っているのは、たくさんの人とのふれあいがあった国や、人そのものが魅力的で面白かった国。旅で一番大事なのは、人との交流なんだなと思います。

——著書の中では、ネパールで診療所を運営している青年との出会いが印象的でした。

中島:そうですね。「医療」をテーマに旅をしていたわけではなかったのですが、現地では無意識のうちに「医」に足が向いていました。その診療所があるのは無医村で、そこで診療をさせてもらったんですけど、上司もいなければ、検査をするのに十分な医療機器もない。この身ひとつで目の前の患者さんの命を背負うという責任の重さを感じました。

1年の予定が3年に

——3年間で52ヵ国を巡っていますが、旅の終わりは意識していたのでしょうか?

中島:もともと1年の予定で出発したのですが、結局3年旅をすることになりました。学生時代のバイト代と研修医時代のお給料を資金にしていたのですが、予定より長くなったので資金不足に陥ったりもしました。一時帰国して、非常勤で働いて資金を補充していましたね。

——ここで旅を終えようと思ったきっかけは?

中島:3年も経つといろんなことに慣れてしまうんです。ある程度のハプニングにも対処できるようになるし、初めて行く場所もどこかで見たような景色に感じたりして。旅を始めたばかりの頃と比べて、感動が落ちているなと気づいたんです。だから「ここが潮時だな」って。

帰国後に襲った人生最大の悩み

——帰国後、救急救命医になられましたが、それは旅の間に決めたのですか?

中島:いえ。実は人生で一番悩んだのが帰国直後でした。今後どうやって生きていくのか、病院に就職するなら何科に行くべきか。1年近く迷っていました。講演会や写真展で旅の経験を形にしていくうちに、「いつどこで何があっても、助けを求められたときに力になれる人でありたい」と、医師を目指したときの気持ちに戻ったんです。それを叶えるには救急救命医という選択がベストだと思いました。

恥を捨てキャッチアップする覚悟

——同期はみんな年下という環境で、キャリアの遅れに焦りを感じませんでしたか?

中島:私が入ったのが4月ではなく10月だったので、同期といってもみんな半年先輩でした。私より知識も経験もある。初めは「こんなこと聞くのは恥ずかしいかな」という思いもあったのですが、一番に考えるべきは患者さんのこと。恥を捨てるしかないなってすぐに気持ちを切り替えました。キャリアが遅れることについては旅に出る前から覚悟していたし、私はその分貴重な経験もできたので焦ることはありませんでした。

中島侑子さん

——旅の経験が仕事でプラスに働いた面はありますか?

中島:上司に「度胸があるね」って言われました。現場に立つのは怖かったのですが、まったく焦っているように見えなかったそうです。旅で日常的に求められる瞬時の判断やコミュニケーションが自然にそうさせたのかなと思います。あと、多様性に対して寛容になれた部分もあるかもしれません。

心の天秤が傾いたらスタートの合図

中島:人生で何かしたいと思ったときが一番のタイミングだとは思うんですけど、今まで築き上げてきたキャリアが大きいほど簡単には動けないですよね。キャリアがほぼゼロだったときの私でも不安はありました。迷ったら、「キャリア」と「やりたいこと」を天秤にかけるといいのではないでしょうか。その思いが勝てば挑戦するタイミングだということ。勝たないならキャリアが大切ということなので、無理に飛びださなくていいと思います。

ただ、実際にキャリアを中断して世界一周してきた友人は、輝いている人が多いです。就職氷河期と言われていたときでもきちんと就職していましたね。やる気さえあれば仕事は見つかるし、自分で作ることもできるはず。旅や挑戦で得た経験と価値観が新たな選択肢を与えてくれると思います。

(安次富陽子)

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