『医者のたまご、世界を転がる。』第2回

日本人女医が1日12時間の瞑想修行 “日常”を覆してくれる国インド

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日本人女医が1日12時間の瞑想修行 “日常”を覆してくれる国インド

「いつもの“日常”を根っこからひっくり返されてみたい」

ひとり旅に出る時、心のどこかで密かにそんなことを願っていたりするものです。

だから、心地のいいリゾート地や日本と変わりなく過ごせるような国ではなくて、空港に降り立った瞬間から「何が起こるかわからない」と身構えるような土地に、わざわざ休暇をとって出かけてしまうのでしょう。たった一人で、自分がこれまで信じてきた“常識”がいっさい通用しない世界に飛び込んでみたい。夏の休暇に向けて、そんな欲求がむくむく自分の中で膨らんでいくのを感じる季節かもしれません。

インドはまさに“日常”をひっくり返してくれる土地。今回は、研修医修了と同時に世界旅行に出発、約3年間で52ヵ国を旅した中島侑子(なかじま・ゆうこ)さんに、インド北部の街、バラナシの魅力を綴っていただきました。最後に5月12日に発売されたばかりの中島さんの新刊『医者のたまご、世界を転がる。』(ポプラ社)からとっておきのエピソードを一部掲載します。

【ウートピに掲載したエッセイ・エピソード一覧はこちら】

『医者のたまご、世界を転がる。』(ポプラ社)

『医者のたまご、世界を転がる。』(ポプラ社)

22歳の夏の決意

「インドなんてもう2度と来たくない!」

私が初めてインドに行った22歳の夏、お供に連れて行った弟は帰りの飛行機の中でそう言った。弟は寝台列車で猛烈な下痢と吐き気に襲われ、数時間トイレで意識を失っていたのだ。私は笑いながら「確かに、きみはそうかもね。でも私は絶対にまた来るよ!」と断言した。インドを訪れた旅人はいう。「インドは、大好きか大嫌いか、二つしかない」と。

ガンジス河の街、バラナシのカオス

それから4年後、私は再びインドを訪れた。私が世界で最も好きな街の一つ、バラナシ。迷路のような狭い道を牛が占拠し、道行くチャイ売りや物乞い、「誰が買うの?」と首を傾げるような玩具を売る子どもたち。一歩足を踏み出せばそこら中にドラマが転がっている。

バラナシにはインド人にとっての聖地であるガンジス河が流れ、そのほとりでは様々な生活を垣間見ることができる。洗濯するおばさんや沐浴するおじさん、石鹸で体を洗う青年や泳ぎ回る子どもたち……本当にあらゆる人々。火葬場がすぐ近くにあるため、燃え残った遺体がそのままガンジス河に流されることもある。「カオス」という言葉はバラナシのためにあるのだろう。私がこの街を愛してやまない所以である。

1日12時間の瞑想修行へ

ネパールで見た情報ノート(旅人たちが情報を交換し合うノート)に、インドでは瞑想修業ができると書いてあった。スピリチュアルな修行というものを、前々から一度経験してみたいと思っていた私は、強く惹かれた。

しかし、いざ参加してみると、なんと修行開始前にパスポートを取り上げられた。「途中で勝手に脱走しないために」ということらしい。脱走してしまうほど修業がつらいということだろうか……? そして、徹底的にインプットとアウトプットを禁じられた。文字を書くこと、読書、パソコン、会話、目を合わすこと、すべて禁止。トイレ、お風呂、睡眠、食事以外のほぼすべての時間は瞑想(1日約12時間)とグル(先生)の講和を聞くことに充てられる。毎日4時に起き、21時半に寝る。そんな生活が10日間。

10日間の瞑想修行の“効果”とは

正気の沙汰か!? と思われるかもしれない。私も、はじまって早々、申し込んだことを後悔した。10日間会話しないことは問題なかったが、集中力のない私にとって1日12時間の瞑想は何よりもつらかった。そして、「10日間が終われば何か変われるかも?」なんて抱いていた淡い期待が日に日になくなっていく焦りと不安。こんなにつらい修行を終えても結局私は何も変わらないんじゃないか? そう思って泣いた夜もあった。

結局、最後はそんな不安にも打ち勝ち、「もう変わらなくてもいいや! とにかくやり遂げよう!」と、そんな前向きな気持ちで修行に臨むようになった。

10日間の修行を終えて何か変わったか?

終えた直後は、正直わからなかった。しかし、しばらくして振り返ると、確かに何かが変わっていた。私にとって、この瞑想修業は一種の扉だったのかもしれない。単なる偶然では片づけられないような「ご縁」や「幸運」を感じたり、目の前で起こった出来事をありのままの状態で受け入れたりできるようになった。この修行が直接関係があるかどうかはわからないが、これ以降私は各国のシャーマンを訪ねて歩くことになる。

ここから『医者のたまご、世界を転がる。』より、インド編を公開いたします。

 シャーマン。その名前は何度か耳にしたことがあった、何者なのか、どんなことをするのか、すべてが謎に包まれていた。ちなみに広辞苑には、次のような解説が載っている。

「自らをトランス状態(忘我・恍惚)に導き、神・精霊・死者の霊などと直接に交渉し、その力を借りて託宣・予言・治病などを行う宗教的職能者」

西洋医学どっぷりの世界に浸かっていた私にとって、「シャーマン」という言葉の持つ妖しげな魅力は絶大だった。

翌日、私は、旅人や現地での聞き込み情報をもとに、シャーマンが診察を行うという場所に足を運んでみた。

シャーマンの施術場は、日本で言うならば「怪しげなアパートの一部屋」のような所だった。一番奥の灯りがもれている部屋を恐る恐る覗いてみると、ドアの所まで人があふれかえっていた。そして、人ごみの奥に座っている女性が、何かをブツブツと呟いていた。

シャーマンだ……。鳥肌が立った。その空間の異様な雰囲気に。薄暗い部屋の中、こもった熱気と呪文のような声。人々の真剣な眼差しから、その必死さが伝わってきた。決して冷やかしで入ってはいけない空間。私は静かに足を踏み入れた。するとその瞬間、

「◯△☓□◯☓△!!!!!」

と、シャーマンがこちらを向いて怒鳴った。

え!? なになに? 入っちゃダメだったの?

 驚きのあまり硬直している私に、人々がしきりに「座れ!」とジェスチャーしてくる。しかし、そうは言われても、もう座るスペースがない。どこもぎっしり埋まっているではないか……。

「◯△☓□◯☓△!!!!!」

シャーマンがまたもやものすごい形相で怒鳴ってくる。お、恐ろしすぎる……。私はなかば無理やりではあるが、なんとかその場に腰をおろした。

村人が一人、シャーマンの前に呼ばれた。村人はお腹をさらけ出し、シャーマンに何か説明をしている。症状を伝えているのだろうか。シャーマンはそれを聞くと、コクリとうなずき静かに目を閉じた。すると、呪文のようなものを唱えはじめた。と思ったら、今度は村人のお腹に木製のストローを押し当てている。いったい、何がはじまるのだろう。私は息を飲んで見守った。

しばらく沈黙が続いた。すると、急にドバッ! と村人のお腹から水しぶきが吹き上がったではないか。思わず自分の目を疑った。

え? 何? 今、何が起きたの? 水が、出た? ツバ?

いや、違う。だって、水の量が半端じゃなかった……!!

目の前で起きた超常現象に、身動きが取れない。頭の中は「?」だらけで、思考は完全に停止していた。村人はありがたそうにシャーマンに何度も頭を下げ、部屋を出て行った。

次の村人が呼ばれた。今度は肩を差し出している。一瞬たりとも見逃してなるものかと、じっと目を凝らした。シャーマンがまた木のストローを肩に当てた。やはり、何かを吸っているようにしか見えないが、いったい何を吸っているのだろう……。と思っているうちに、また水しぶきがあがった! 水は、村人の長い髪の毛の先まで滴り落ちている。シャーマンは、さも当然のように吸った水を缶の中にペッと吐き出した。

夢、ではない。本当にあるのだ……。こんな世界が現実に!

果たして、村人の患部は良くなったのだろうか。みんな感謝して帰って行っているように見えるが……。ああ、私も受けてみたい。身をもってシャーマンの施術を体験したい。医者のはしくれとして、その真偽を見極めたい。一人、また一人と村人が施術を終え、帰っていくのを辛抱強く待った。

それから1時間くらい経っただろうか。ついに、シャーマンが私を見て手招きした。きた!! シャーマンの前に正座し、万年肩こりの肩を指差してみた。シャーマンはうなずき、ストローを私の肩に押し当てた。

うっ。肩に陰圧を感じる。やはり、何か吸われているのだ。ちょっとむずがゆい。

……ピュッ。村人よりはだいぶ少なかったが、水が髪の毛をつたわって滴り落ちていくのがわかる。シャーマンが吸った水を吐き捨てた。

ふと、その水が入った缶の中に目をやる。ぎょっとした。汚い灰色の濁った水の中に、アクのようなものがたくさん浮いているではないか。なんなんだこれは。

みんなから吸い出した悪いものが、目に見えるかたちとして現れたものなのだろうか。あ、あり得ない……。

治療が終わったあと、肩をまわしてみた。なんだか少し、軽くなったような気がする。私は、自分がしてしまった体験をすぐには消化できずにいた。

す、すごすぎる……。シャーマンの治療は、本当だったんだ!

今まで眉間に皺を寄せ怖い顔をしていたシャーマンだが、施術が終わると急に笑顔になった。シャーマンはまったく英語が話せなかったが、英語が話せる村人を介して私に質問をしてきた。

「どこから来たの?」「インドは好き?」

シャーマンは私が何を答えても「そうかそうか、よく来たね」とでも言わんばかりにとても嬉しそうに笑った。今思えば、灰色の水のことや治療のことなど聞いておけばよかったと思うが、この時の私はシャーマンに会えたことがあまりに嬉しかったのと、衝撃的な施術に頭が真っ白になっていて、そこまで頭が回らなかった。

今、当時を振り返ってみても、正直あの摩訶不思議な現象がなんだったのかはさっぱりわからない。西洋医学の常識からすれば、ストローで患部を吸って、水しぶきがあがって、それで病気が治るなんてことはあるわけがない。

ただ、私としては、この世にこういう手品みたいな治療法があってもいいと思うし、シャーマンだって本物かもしれないと思う。そこでこの機会に、「医者」としてあの施術を真面目に分析してみたい。

まず、あの水はなんだったのか。この話を誰かにすると、十中八九で「それ、唾液だったんじゃないの?」と言われる。確かに、そう考えるのが最も妥当だろう。

でも、実際にあの水を目の当たりにした私から言わせてもらうと、あの水の量は絶対に唾液じゃない! 通常の成人の唾液量は1日約1500ml、つまり1秒で0.017ml。シャーマンがストローを吸っていた時間は多く見積もっても10秒なので、唾液量に換算して0.17mlだ。とてもではないが、水が吹き出し、髪の毛をつたって落ちていくほどの量にはならない。私が施術を受けた時、アクの浮いた水はバケツ一杯程度溜まっていた。1ℓはあっただろう。たった1、2時間で1ℓとなると……やはりあの水は唾液では説明がつかない。つまり、残念な結論で申し訳ないが、真相はやっぱりわからない。

では、村人たちがみんな満足そうに帰って行ったのはなぜか。私自身、実際に効果があったような気がした。

考えられるのは「プラセボ効果」だろう。例えば、ブドウ糖や乳糖を使って薬としては効き目のない錠剤やカプセル剤を作り、「頭が痛い」という人に「頭痛薬です」と言って渡したとする。すると、薬の効果ではなく、薬を飲んだという安心感により頭痛が治ってしまうことがある。これをプラセボ効果というのだ。

プラセボは有効成分を含まない薬のことで、一般的には「偽薬」と訳されるが、薬以外にも、本当の治療のように見せて、実質的な治療行為を行わないあらゆる治療手段を意味することもある。

医療現場では、薬を常習している患者さんを薬物依存から救い出すためにプラセボを使うこともあるし、プラセボと治療薬を治験で比較することで、治療薬の有効性を科学的に立証できたりもする。

いずれにせよ、人の精神状態は病気に大きく影響してくる場合があるのだ。

シャーマンの治療にも、このプラセボ効果が関係しているのかもしれない。全幅の信頼を寄せる「シャーマン」という存在が治療をしてくれたという満足感、患部をストローで吸われ、身体の中にたまった「悪いもの」が視覚的に認識できる「汚い水」として排出される安心感。それらが人々を精神的に「病気がよくなった」と思わせる方向に働いているのではないか。

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